お留守番ホットケーキ③

 開けた窓から、季節を先取りした蝉の鳴き声が舞い込んでくる。部屋に沈黙が流れているせいか、その声はやけにうるさく感じた。

 2人とも微動だにせず固まっているが、視線は床の一点に集中している。割れた皿に、散らばった卵とチキンライス。紫音が昼食用に作ってくれていただあろうオムライスが、無惨にも床に散っていた。


「……ぁ」


「動かないでください!破片が刺さったら大変です!」


 サオリは冷たい表情が崩れ泣きかけている栞を呼び止め、ひとまず粉々になった食器から片付けた。術で再生したいところだが、先程パソコンを戻した時に本日分の魔力は使い果たしている。1日に使える魔力にも限度があるのだ。

 食器を二重にした袋に入れ、オムライスも中に入れて雑巾で滑りを拭き取る。勿体無いが、床に落ちたものを食べるわけにもいかない。

 だが掃除が終わって冷蔵庫を見れば、残っているのはサオリ用に作られたであろう、冷やし中華だけだった。これを2人で分けるには、少し物足りない気がした。


「むー……栞さん、辛いものはお好きですか?」


「からい?」


「舌がビリビリするアレです」


「……ニガテ」


「そうですよね……」


 カウンターには、レンジで作れるレトルトのカレーが1つ。ただ味は中辛で、子供には少し刺激が強そうなものだ。

 それに紫音の好みの問題だが、この家には冷凍食品が殆どない。料理が得意で冷凍食品を使うことがない上に、含まれている保存料がお気に召さないのだとか。


「こうなったら、私が作ります!」


「おー」


 ギュッとエプロンの紐を結で袖をまくるサオリに、栞は覇気のない声を返した。




⭐︎材料(3枚分)

・ホットケーキミックス 150g

・卵          1個

・牛乳         100ml


 サオリは引き出しを開けると、整理されたカゴの1つからホットケーキの粉を引っ張り出した。これを使わず粉から作る方法もあるが、料理が苦手なサオリは詳しく記憶していない。今回はパッケージの裏に載っているものを参考にした。


「えっと……そいっ。あっ、殻がっ!」


 慎重に卵を割り、牛乳を入れてよくかき混ぜる。小さな殻の破片も取り除くのを忘れずに。

 程よく混ざったところで、次にホットケーキミックスを入れた。最初の2つは丁寧に混ぜたが、こちらはサラサラというより、ドロドロの状態で留めるのがコツ。この方が、フライパンで崩れにくいのだとか。

 混ざったらフライパンを中火で熱して温め、1分ほどで濡らした布巾の上で少し冷ました。

 

「たしか高めからだったよね……」


 生地を流すのは高い方からという豆知識を活かし、フライパンより20㎝ほど上空から生地を流し込む。知人に、こうすると綺麗な円になると教わったのだ。


「ま、まぁ……うん。久しぶりにしては失敗してない方かな」


 少し円が不恰好だが、生地を流したら弱火で加熱をする。強火だと一瞬で焦げてしまうので、弱火でじっくりと生地の様子を観察した。

 生地の表面に穴が空いたら、いよいよ裏返す時だ。サオリはフライ返しを両手で握り、そっと裏に差し込んだ。隙間からはきつね色の焦げ目が覗いており、タイミングはバッチリだ。


「いきますよ……せーの!」


 大事なのは思い切りの良さ。だが力みすぎたせいか、ひっくり返った生地は空中で数回転すると、隣のコンロへと落ちていく。


「しまっ―…」


「▲√≡∇⊥∂〓」


 手遅れかと思われたケーキは空中でピタリと止まると、フワリと軌道を変えてフライパンに舞い戻った。

 そこでようやく、カウンターから覗いていた栞に気づき、ホッと一息ついて座り込んだ。歳はかなり離れているが、やはり少女の魔法の腕前は目を見張るほどだ。


「た、助かりました。ありがとうございます」


「ぶいっ」

 

 真顔でピースサインをする少女に、サオリは思わず笑みをこぼした。


 


「ど、どうですか……?」


 お子様フォークでぱくりとケーキを頬張る栞の向かいで、サオリは不安げに反応を伺った。公式レシピの通りに作ったアレンジのないホットケーキで、栞が普段口にしている紫音の料理には敵うはずがない。

 だがサオリの心配をよそに、栞はポワポワと目を細め小さく頷いた。無表情の中に、かすかに喜びの色が見て取れる。


「ふわふわ、甘い。おいし」


「そ、そうずら?えへ、えへへ……」


「ん。食べう?」


「では、一口だけ」


 差し出された一切れを口に含めば、ほんのりと暖かい甘味が口一杯に広がった。

 優しいケーキの甘さと、蜂蜜バターの甘さが喧嘩をする事なく、お互いの甘さを存分に高め合っている。

 

「これはやみつきになっちゃいますね」


「ソレなに?」


「冷やし中華です。メモに、暑い日にピッタリな食べ物と書いてあります!栞さんも、ぜひ」


「ん」


 2人のお昼ご飯の分け合いっこは、それからしばらく続いた。




 夕方になり、紫音はバイクを停めるとクタクタになった体で自宅へと向かった。久しぶりのハードスケジュールで、体と精神が疲れを訴えている。帰って風呂に入れば、一瞬で寝れる状態だ。


「あ、そっか」


 玄関扉に手をかけたところで、部屋に自分以外の住人がいるのを思い出した。少し前までは帰っても薄暗かった部屋が、今は小窓から明かりが漏れている。

 それと、扉越しに何やら慌ただしい音がしている。何かあったかとため息を漏らすが、出迎えてくれる人がいる生活と言うのも存外悪くない。


「だだい……ま?」


 予想通り、扉を開けると2人がわざわざ出迎えをしてくれていた。

 だがそれよりも目が引きつけられたのは、2人が手に持っているプラカード。栞は『私がお皿を割りました』で、サオリの方は『私はそれを防げませんでした』と、少し歪な文字で書かれている。サオリが書いたのだろう。


「な、何?どしたのこれ」


「読んだ通りです。栞さん、せーの」


「「ゴメンなさい」」


「あぁ……うん。別にそんな気にしなくていいのに」


 掛け声は聞こえなかったフリをしたが、紫音は思わず笑ってしまった。

 子供のイタズラでもないのだし、高い食器は買っていない。反省しているようなので怒る必要もなかった。

 

「それより留守は大丈夫だった?一応たまにカメラで見てたけど」


「はい!掃除・洗濯・食器洗い完了です!お風呂も沸いてますよ」


「そっか、ありがと」


「いえいえ。これくらい余裕のよっちゃんです!」


 今まで1人で家事をこなしていたが、料理以外は面倒で退屈な作業だった。疲れている日などは、もはや気にせずベッドに直行し、次の日へと持ち越していたほどに。

 お礼も兼ねてよしよしと頭を撫でてやると、サオリはびくりと肩を震わせたが、すぐに目を細めて身を預けてきた。まるで熟練された飼い猫のそれと反応がそっくりだ。


「栞も大丈夫だった?」


「うむ。ケーキふわふわ」


「ケーキ?作ったの?」


「あはは……ただのホットケーキですよ」


 少し困ったように笑うサオリに、紫音は少し考える素振りを見せ、荷物を下ろすと代わりにエプロンを手渡した。


「じゃあ、私にも作ってよ。ちょっと甘いもの食べたかったんだ」


「えぇ?!そんな、私の料理なんて紫音さんに比べたらとても……」


「またふわふわ食べたい」


「栞さんまで?!うぅ……わかりましたやったりますよ!」


 2人の圧に負けたサオリはエプロンを身に纏うと、凛々しい表情を浮かべて台所へと向かっていった。

 余っていた異世界フルーツを盛り合わせたホットケーキに、3人が頰を蕩けさせたのは言うまでもない。

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