お留守番ホットケーキ②

「いったぁ……」


 朝日の眩しさと共に感じたのは、右腕の鈍い痛みだった。

 紫音が腕をさすりながら起きて見れば、ベッドの上を居候の2人組が占領していた。栞はベッドに入った時と180度逆になっており、サオリの方は腕と足がベッドの外へと飛び出している。これに蹴り落されたのだろう。

 居候なのに家主を叩き落すとはいい御身分だ。


「まったく……」


 2人とも不思議なほどに同じ波長の寝息を立てており、呆れながらも紫音は静かに寝室を出た。




 今日は昼過ぎまで研究室に用事があり、午後に編集部での打ち合わせがある。早速で申し訳ないが、留守中の家の事はサオリに任せるしかない。

 紫音はリュックを背負うと、玄関で待っていた寝巻き姿のサオリに1枚のメモを手渡した。紫音のものを着ているので、サイズが少し合っていない。


「一応、作り置きが冷蔵庫にあるから昼はそれを食べて。冷凍食品は少ないけど、レトルトはあるから好きなの選んで」


「……ふぁい」


「本当に大丈夫なんでしょうね?」


「任せてください。そういえば、ΩйЮ■の葉は撤去しなくていいんですか?」


「え?なんて?」


 異世界の聞き慣れない発音に聞き返せば、サオリはあくびを噛み殺しながらベランダに散らばった葉っぱを指差した。前にプランターから出没した異世界の植物の葉が、いくつか散らかっている。


「あれ、根が無くても放っておくと再生してこの建物ごと呑み込んじゃいますよ?現に茎が出てきてますし」


「そういうのは早く言って!すぐに片付けといて!」


「おーきーどーきです」


 随分とふわふわとした敬礼だったが、念のための観察カメラもある。何かあれば、家に電話をして指示を出せばいい。

 メモにはスマホの電話番号も書いてあり、前回のような事態にはならないだろう。


「じゃあ」


「お気をつけて、いってらっしゃい」

 

「あ、うん……行ってきます」


 出掛けるときの挨拶など実に数年ぶりで、少し返事に戸惑ってしまった。

 紫音は小さく咳払いをして、玄関を閉めた。




 顔を洗って覚醒したサオリは、寝室のカーテンと窓を開けて朝の空気を出迎えた。暖かい春風が、頬をそっと撫でて部屋の空気を入れ替えていく。

 換気を終えたら、クローゼットにしまっていたセーラー服を取り出して袖を通した。日本で若い女性が着る服だと、この世界に来た時に知人に貰ったものだ。

 その隣で未だに栞は寝ており、掛け布団をはがして頬をつついた。


「えっと、なんて呼べば……し、栞さん。起きてください、朝ごはんにしますよ」


「……ん」


「もう……仕方ないですね」


 逃げるように寝返りをうつ少女に、サオリは小さくため息を漏らしてその小さな体を抱えた。そのままリビングまで強制連行し、椅子に座らせた。

 テーブルには紫音の残していったサンドイッチにラップがかけられており、栞はそれをはがし真っ先に手を付けようとした。だがすぐに、サオリが手で制して止めさせた。


「待ってください、この世界の食事には儀式があるんです」


「ギ……しき?」


 こてんと首をかしげる栞に、サオリは両の手のひらを合わせてみせた。


「食べる前には、『いただきます』って言うんですよ」


「なぜ?」


「確か、『ごはんを作ってくれた人や食材に感謝する』って聞きました。こうやって食べてる食材も、いろんな方の努力があってこそです」


「カンシャ……いただき、ます」


 2人はそろって手を合わせると、サンドイッチを口に運び、同じように足をパタパタと揺らした。




 朝食を済ませたサオリは、手始めに風呂掃除からはじめた。排水溝の汚れや、風呂場の水垢を丁寧に取り除いていく。掃除が行われていなかったのか、全体的に少しだが汚れていた。

 ちなみに栞は、パソコンで子供向けの玩具の紹介動画を見ている。


「本当に掃除が苦手なんですね……」


 家主の言い分にサオリは呆れながらも、嬉しそうな笑みを漏らした。


 それからしばらく水回りを清掃したが、片付けをしていたところで、脱衣所の扉が控えめにノックされた。

 振り返れば、栞が見慣れた無表情で佇んでいる。感情の起伏が小さい子で、何を考えているのかわかりづらい。


「どうかしましたか?」


「……アレ、こわれた」


「?」


 何のことかと彼女の後をついていけば、紫音のデスクにあるパソコンの画面が真っ暗になっている。

 栞の方を見てみれば、彼女は小さく頷くだけだった。


「どれどれー?」


 何気なくキーボードを押してみたが、画面が点く気配がない。もしやと思い充電プラグを差し込むと、パソコンは小さな起動音を鳴らした。


「やっぱり充電切れでしたか」


「ジュウデン?」


「私たちが術を使うのに魔力が要るように、この世界の発明は電気という特殊な力が必要なんです」


「おー」


 新たな知識に感心する栞の前で、サオリは液晶に拳銃のように指先を向けると、指先から魔力を放出した。


「◆η∞жπζ」


 黄色のオーラがパソコンをすっぽりと包み込むと、赤かった充電メーターが一瞬で緑色へと変わった。


「こうやって、魔力を電気に変えることも出来ますよ。この世界で役立つ術なので、栞さんも覚えておくのをオススメします」


「あい」


「そうだ!ベランダの掃除を手伝ってくれませんか?あれが片付けばきっと紫音さん喜びますよ」


「……ん」


 同じ異世界の者として親睦を深めるためにも、今度は2人で後片付けを始めた。




 それから2時間ほどが経ったところで、言われた葉っぱの撤去は完了した。

 回収したものは全てゴミ袋にまとめ、栞が異次元へと吹き飛ばした。次元を操る魔法は高度なもので、サオリはかなり驚いたが、当の本人は涼しげな表情をするばかりだ。


「や、やっと終わりました……」


「……うむ」

 

 ただ、日の照りつけるベランダで作業していたこともあり、2人とも汗を流しへとへとになっていた。サオリが水分補給はこまめにさせていたが、それでも夏の日差しはじわじわと体力を奪っていく。


「少し早いですが、お昼にしましょうか」


「おー」


「ちょっと、お茶を出してくれますか?私は水筒を洗ってくるので」


「おーいーどーいー」


「……真似しないでください」


「うぃ」


 サオリは使っていた水筒を洗浄し、濡れタオルでテーブルを拭いた。

 そして使ったタオルを洗おうと戻ったところで、冷蔵庫の高い位置へと手を伸ばす栞の姿が目に入った。


「待って!無理をすると危な―…」


 サオリの静止も空しく、ガシャンというガラスの割れる音が部屋に小さく響いた。

 


 



 

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