お留守番ホットケーキ
栞をソファに寝かせた紫音は、チェーンをかけたドアの隙間から外の様子を伺った。隙間からは、困った表情でドアの前に立ち尽くす女性が1人。
チェストブラウンの髪を肩ほどで揃え、翡翠の眼は少し垂れ気味で人懐っこい印象を覚える。セーラー服に包まれた身体はすらりと細く、栞と同じでモデルのような容姿は美少女と言っても過言でないものだった。
「あ、あのー……夜風が寒いので、私も入れて頂けると……」
「……あなた誰?なんでこの家の鍵を持ってたの?」
紫音の手には、先程受け取ったスペアの鍵が握られていた。
この家の鍵は、入居時に二本渡されている。一本は普段から使っているが、もう一本は予備としてデスクの引き出し奥にしまわれている。現に確認したが、鍵はやはり入ったままだ。
つまり今、ここには三本の鍵が存在しているのだ。普通ならありえない事態だ。
だが紫音の質問に、女性は何故か照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「怪しい者じゃないんですよ!お願いがあってきました」
「……何」
「私をお手伝いさんとして尽くさせてください!」
「は?」
力強く宣言して両手を挙げているが、怪しいことこの上ない。見た目の年齢と服装から高校生に見えるが、少なくともこのマンションの住人ではないだろう。
「……意味が分からないんだけど。それより何で家の鍵をあなたが持ってるわけ?」
「創ったんです、こんな感じで」
彼女は両手を差し出すと、パンと1つ拍手をした。手が合わさる瞬間、小さな花火のようなものが弾けた。
そして瞬き1つした後には、彼女の手のひらに新たな鍵が創り出されていた。これで鍵の本数が4本になった。
「どうです?これが鍵を持っていた理由です」
「な、何よそれ……」
手品やトリックではない。ここ最近で見た、栞がたまに見せる術のようなものと同じだった。
「あなたまさか―…」
「はい!異世界から来た者ですっ!」
ぴょんと跳ねる来訪者に、紫音は頭を抱えた。
この世界とは別次元の場所から来た女性は、名をサオリというらしい。
年齢は、神暦1876年8月7日生まれでこちらの世界では16歳となるようだ。確かに、紫音よりは少しばかり幼さを残している。
この家に来た理由は、近くから自分以外の魔素を感じ取ったからだとか。栞の事だろう。
他の住人に見られるのも厄介なので、ひとまずリビングに入れたが少しだけ警戒態勢は解かないでおいた。いざとなったら助けを呼べるよう、録音状態でスマホは机に伏せている。
頬杖をつく紫音の向かいで、サオリは面接に来たかのように背筋を伸ばして椅子に腰かけた。
「もう一度聞いておくけど……あなた、ここに何しに来たの」
「早見さんの身の回りのお手伝いに来ました!」
「いらない」
「即答っ?!」
却下されると思っていなかったのか、サオリは大袈裟に驚いてみせた。
驚いたのと同時に、頭から狐のような赤茶の耳と腰にふさふさの尻尾がぼんと飛び出したが、見なかったことにした。こういった驚きは既に栞で事足りている。
「そもそもここは、異次元世界の人たちの宿じゃないし」
「わ、私お役に立てます!料理は……苦手ですけど、それ以外の家事なら得意です。掃除・洗濯なんでも御座れです!」
「間に合ってる」
「えっと、じゃあ……い、今なら私の魔術使い放題のチケットもついてきますよ!」
「通販のセールじゃないのよ」
サオリは手作り感満載の紙のチケットを渡してきたが、丁重にお返しした。
ここまで拒否されるとは思ってもいなかったのか、サオリは落ち込んだ様子を見せると、静かに席を立った。
「すみませんでした……急に押しかけられても、迷惑でしたよね。今日はどこか別のところに行きます……」
口元は弧を描いているが、瞳が哀しさを訴えている。頭上の耳も悲しげにぺたんと倒れていた。当然の対応をしたつもりなのに、何故か罪悪感を覚えてしまうほどだ。
その姿がどこか、初めて会った時の栞と重なった。気のせいだと思いたかったが、紫音は気付けば彼女の腕を掴んでいた。
「……待って、行く宛はあるの?」
「えっと、近くの公園にでも泊まろうかと……。大丈夫です、野営は経験がありますから」
「ただの野宿じゃないの……」
本人は問題ないと言い張るが、それでも心配にはなってしまう。こんなにも目立つ少女が夜中に1人でいれば、最悪何かしらの事件に巻き込まれかねない。
紫音はしばらく考えたのち、ため息を1つ漏らすと、側にあったコードレスの掃除機と洗濯用の洗剤を手渡した。最近は栞のことで忙しく、掃除が疎かになり洗濯物が脱衣所に溜まり掃除も怠っていた自覚があった。
「今日中に部屋の掃除と洗濯物を片付けられたら、あなたをここに泊めてあげてもいい。私はあなたと違って、料理は得意でも掃除洗濯は好きじゃないの」
「本当ですか?!」
「ただし、私が必要ないと思ったら速攻追い出すから」
「はい!お任せくださいっ!」
少し強く言ったつもりだったが、サオリは満面の笑みを浮かべるとすぐに作業に取り掛かった。
ホコリ1つないピカピカに反射する床を指で撫で、紫音は洗濯物を畳むサオリをちらりと見た。家事が得意とは言っていたが、言うだけのことはあるものだ。山のようにカゴに詰め込まれていた洗濯物が、既に半分は片付いている。
サオリを雇ったのは、単に家事をさせるだけではない。栞のためでもあるのだ。
同じ世界の出身者がいれば少しは心強いだろうし、何より紫音が留守の間、栞1人では以前のようなことがあっても年長者がいれば安心だ。見守りカメラだけでは限界がある。
それに栞よりはこの世界の常識を心得ているようだし、留守中に2人で散歩くらいは出来そうだ。ずっと家にいさせるのも、子供の成長にはあまり好ましくない。
「ねぇ、ちょっと良い?」
「なんですか?」
サオリは畳んでいた服を置くと、正座のまま向き直った。紫音も向かいに座ると、彼女の首筋に軽く手を当てた。
「あの、何を……」
「正直に答えて。あなた、いつこの世界に来たの?」
紫音の質問にサオリは口元に手を当て視線を上に、少し考えるようなそぶりを見せた。
「えっと、1週間くらい前です」
「ふーん……じゃあ今までどこで生活してたの?」
「ある人にお世話になっていたんですけど、お金がなくなって追い出されちゃって」
「そう。家族は?一人でこの世界に来たの?」
「孤児でしたので、家族や親戚はいません」
素人が嘘をつくと、脈拍に異変が見られると前に資料で読んだが、指先に感じる脈拍は正常でおそらく嘘はついていない。返答の内容も特におかしいところはなかった。
「質問を続けるわ。君たちの使う魔法って、異次元世界なら当たり前なの?」
「人によりますが、大抵の人は使えますよ」
「じゃあ最後、なんで初対面の私に尽くしたいなんて言ったの?」
その質問にだけ、サオリは明らかな動揺を見せた。頬が熟れたリンゴのように赤く染まり、心拍数も跳ね上がっている。
「あの、ちょっと恥ずかしいというか……」
「いいから早く言いなさい。追い出されたい?」
「わ、わかりましたよ!その、紫音さんは私がお世話になった人によく似ていて、一目惚れというわけではないのですが……その、素敵だなぁと……」
耐えられなくなったのか、サオリは湯気が出そうな顔を両手で覆った。狐のような耳は恥ずかし気に倒れ、尻尾が左右に激しく揺れている。
まるで恋する乙女の反応を目の前でされ、紫音は何とも言えない感情に視線を逸らした。ここまでストレートに想いを告げられるのは初めてだ。
この短時間でわかったが、彼女は嘘のつけない純粋な子なのだろう。これが全て演技なら、今すぐ女優になることを勧めるほどに。
「はぁ……。わかった、少しの間なら居てもいいわ」
「本当ずら?!あっ」
「ずら……?まぁさっきも言ったけど、それなりの仕事はしてもらうからね」
「はいっ!無賃金労働・サービス残業お任せあれです!」
「ブラック企業じゃないのよ。それと声が大きい、栞が起きちゃうでしょうが」
紫音の心配もよそに、栞はまだ夢の中にいるようだった。だがいつまでもソファーで寝かせるわけにもいかないので、少女を静かに抱きかかえた。
「じゃあ私たちは先にお風呂入るから、出てくるまで待ってて」
「わかりました。あの、紫音さん」
「なに?」
「あ……。いえ、ごゆっくり」
何か言いたげだったが、外出した際にかいた汗を洗い流すべく、紫音は気にせず脱衣所に向かった。
紫音に抱えられる金髪の少女を、サオリは静かに見つめていた。
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