風邪には消化のよいものを③
栞をベッドに寝かせ、布団を肩までかけ身体が冷えないようにした。熱がある時に体温が下がると、免疫力の低下に繋がるからだ。
それから暫くして呼吸が少し安定したところで、紫音は早急にご飯の準備に取り掛かった。
☆食材(1人分)
・白飯 茶碗一杯
・卵 1個
・水 450㏄
・塩 小さじ1
・本だし(スープの素でも可) 小さじ1
栞の喉は赤く腫れているようなので、固形物を呑み込むときには喉や胃に負担がかかる。そんな時におすすめなのが、お粥だ。
お粥は歯で噛んだりせずとも食べることができ、水分を多く含んでいるので熱で脱水症状になった際に、水分を補給するという点でも優秀だ。
作り方は簡単で、まずは鍋に水を入れ沸騰するのを待つ。沸騰したら、白飯・塩・出汁を入れて蓋をして水分が飛ぶまで煮込む。この時は、弱火にしてじっくり煮込むと味が滲みやすい。
水気がなくなり粘りが出てきたら、溶いた卵を入れ、白飯と混ぜ合わせたら蓋をして火を消す。あとは、卵が半熟になるまで蒸らして待つのみだ。
卵を蒸している間に、紫音は冷蔵庫から先日のクレープづくりで余っていたリンゴを取り出した。
リンゴは、全体の8割近くが水分で構成されている。それだけでなく、他にもミネラルやカルシウム、カリウムや食物繊維までもが含まれているのだ。
この食物繊維はペクチンと呼ばれる水溶性繊維の一種で、ペクチンには大雑把に言えば体内環境を調整する効果があり、下痢を緩和する効果も持っている。
あまり大きくても食べずらいので、小さく薄く切りわけ小皿に盛りつければ完成だ。
「栞、ご飯できたよ。食べられそう?」
「…………ん」
お粥の香りを感じ取ったのか、栞はゆっくりと身を起こした。
まだ顔が赤く、呼吸が浅い。紫音はそっと背中に手を添え、栞の口元にお粥を運んだ。触れた背中は、初めに比べれば少しばかり熱が引いているようだった。
呑み込んだ時は少し苦しそうに目をつぶっていたが、なめらかな舌触りに弱々しいが反応を見せた。
「……おいし」
「そっか……リンゴは食べられそう?」
「……ん」
栞はそれから、お粥を半分とリンゴを数切れ食べてスプーンを置いた。かなり食欲が減っているようだが、これだけでも体には確実に栄養になっているはずだ。
あとは寝る前にスポーツ飲料と薬を飲ませ、再びベッドに寝かせた。これで熱が下がってくれるといいのだが、子供の身体は大人のそれに比べて繊細なもの。まだ気を抜くわけにはいかなかった。
「……ぁ」
「どうしたの?」
しばらくベッドの側に座っていると、栞がゆっくりと手を伸ばし、紫音の服の袖を握った。
小さな手は、震えていた。寒気のせいではない、何かを恐れるように怯えるような震えだった。そして薄っすらと開いた瞳には、大粒の涙が溜まっている。
「ゴメン、な、さぃ……」
「ど、どうしたの?」
「………………」
その言葉を残して、栞は静かに眠りについた。
少女の過去に何があったのか、紫音に知る術はない。初めて会った時に薄汚れた布で身を包んでいたのも、全身泥や傷だらけだった理由や経緯も知らない。
「……安心して、あなたは1人じゃないよ」
ただ今の紫音にできるのは、側にいてやることだけだった。
紫音はそっと零れそうな涙を指で優しく拭うと、少女の手をぎゅっと握った。
「…………ん……朝か」
窓からさす朝焼けの光に、紫音の長い睫毛が静かに上がった。凝った身体を伸ばしながら時計を見れば、時刻は朝の7時すぎを示している。
昨日は日付が変わるまで起きていた記憶はあるが、それから一度も起きることなく寝てしまったのだろう。フローリングで座って寝たせいか、足がジンジンと痛んだ。
「あ……起きたんだね」
「ん」
目の前には、ベッドの上で起き上がる栞の姿があった。大分回復したのか、スポーツ選手が勝利した時のように、両手を握って『むふーっ』と荒い息を漏らしている。知らない間に、格闘技の番組でも見たのだろうか。
紫音はその様子にようやく肩の力が抜けたが、昨日の事を思い出し深く頭を下げた。
「ごめん。早く帰るって言ったのに遅くなったり、栞の風邪にも気づけなかった。本当に……ごめん」
どんな反応をされるか怖くて顔を上げられなかったが、ふと、頭に何かが乗せられた感じがあった。
何かと思い顔を上げれば、どうやら頭を撫でられていたようだ。子供に頭を撫でられるのは奇妙な感覚だったが、どこか安心するような不思議な心地がした。
「あぃがと。まえ、してくえた」
「……あの時の。ふふっ、そういうことね」
タコ焼きを初めて作った、紫音が撫でたのを真似したのだろう。
思わず笑ってしまった紫音を見て、一瞬だが、栞も小さく笑みを覗かせた。今まで料理に興味を示すようなことはあったが、日常の会話で彼女が笑うのを見るのは初めてだ。
静かに笑う2人の間に、『ぐー…』という音が栞から響いた。昨日の昼からお粥とリンゴしか食べておらず、体調がよくなって空腹感も眼を覚ましたのだろう。
「お腹すいたね。朝ごはんにしようか」
「ん」
紫音は少女の手を取ると、リビングへと向かった。
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