05:べあどろっぷ
私と鈍原さんの会話、その八。
「
「カレーを入れる銀色の器って、名前なんなんだろうって」
「あー、なんだっけ。ウィジャボードみたいな名前だったよ」
〇
痛みを感じないから飛び降りても平気だろう――という私の浅はかな考えは、幸いにもなんの裏切りもなく正解だった。
落下中は自身の行動をひたすら後悔し、不安から逃れるため鈍原さんとの会話を思い出すという現実逃避に手を染めたが、無事私は着地に成功出来た。
生きていることへの喜びに全身を支配され、柔らかい芝の上を転がり回る。
見上げた空は今まで見た夕焼けで一番綺麗だと思った。器に入れて手元に置いておきたいくらいだ。あのカレーを入れる食器とか。
気になって調べてみたら、正式名称はグレイビーボートというそうだ。イギリス産の器で、ソースを入れる容器として使われていることからソースポットとも呼ばれるらしい。
ウィジャボードって……語感が似てるようでほとんど似てない。鈍原さんはそういう所も可愛いのだ。
ひとしきり命と大地を味わった私は、本来の目的である鈍原さんの護衛へ意識を切り替える。
手始めに鈍原家の敷地を出た私の足取りは軽いが、しかし計画の方は躓く羽目となった。
どこへ行けばいいの!
右を見ても左を見ても、当然ながら鈍原さんの姿は無い。そして絶望的なことに、先輩とやらの素性を知らない私には思考の取っ掛かりすらないのだった。
場当たり的に動き出したのは分かっていたけど、いやあ、私ってマジで何も考えてなかったのね。震えるわ。
念のため匂いを嗅いでみたが、普通にコンクリートの匂いがした。クマの嗅覚は犬よりも優れているらしいけど、私は名前に熊を冠するだけの人間でしかないのだ。
とりあえず見通しのいい場所にいるのは不味いと思い、近くの電柱まで移動する。
幸い人通りが少ないため動きやすくはあるのだけど、周囲の目が少ないのは基本的に嬉しいことではなく、鈍原さんを心配する気持ちが強くなった。
一刻も早く合流しなければ。
まずは電柱を見上げて住所表示を確認する。
となると、一旦この情報は隅に置いて別視点から考える必要がある。
鈍原さんが先輩と電話している時なんと言っていたかを思い返す。
そうすると一つ思考が先へ進んだ。
鈍原さんはゴミを片付けるのが面倒くさい旨の発言をしていた、つまり物臭な一面がある。そんな彼女が、いきなり呼び出されて遠出するだろうか。会話から察するに最初は先輩とやらが鈍原さんの家を訪れようとしていたみたいだし、ということは、二人の自宅はそう遠くない位置にあるのかもしれない。
推測に推測を重ねたお粗末な推理だけど、案外いい線いってるんじゃないかしら。
つまり鈍原さんはこの辺りにいるとみた! ていうかそうであって欲しい!
取っ掛かりの無かった最初と比べると大きな前進だ。他に縋るものもないし、ひとまずこの推理を前提に動こう。
あとはどっちに行くのかだけど……いきなり勘頼み。
鈍原さんと手を繋ぐ妄想をした時、私は左手を使っていることが多いので左に決めた。
私は鈍原宅から向かって左の道を、ベージュ色のブロック塀に沿って進む。煽るようなカラスの鳴き声が普段より高くから聞こえた。
塀が途切れた所で一度立ち止まり、余所様のお宅の前だから、誰かが飛び出してこないか確認するべく首だけを出して覗き込んだ。
玄関の前に設樂焼のタヌキの置物が居座っていた。丸くて真っ黒な目をしたタヌキが首を傾げてこちらを見ている。
動物同士のシンパだろうか、私はタヌキに話しかけた。
「やあやあそこのタヌキさん。一つ聞きたいことがあるんだけど」
片手を挙げてフランクに。
当然返事があるわけないので、さっさと進もうとしたのだけど、
「ええよ、なんでも聞き」
と、タヌキが私に負けず劣らずの軽快な口調で返事をした。
「タヌキが喋った! あ、でもタヌキは喋るか」
「薄味なリアクションやなぁ。へこむわぁ」
「さっき虎と喋ったので」
二度目も新鮮なリアクションを取れるほどの甲斐性は私には無かった。
デザインだと分かっていてもタヌキの顔が妙に悲し気に見える。
まあ、お互いさまってことで。
「関西から来てるタヌキなの?」
「ちゃうよ。似非やし」
「偽物かーい! なんでやねーん!」
喜ばれるかと思って突っ込んでみたけれど、気持ちの籠っていない「ええやん」で流された。
絶望的にお笑いセンスのない私である。
人生で一番レベルで恥ずかしい……フェイストゥフェイスだったら二度と立ち直れなかっただろう。しかしそもそも、クマの身体でなければこんな無謀な挑戦はしない。
私は平静を装い空回りに慣れている風で話題を切り替えた。
「可愛い女の子がここを通らなかった? 身長は160cmくらいで、髪の毛は肩くらい。ミディアムっていうのかな? あと、制服着てる」
「もたげちゃん探しとるん?」
「え、知ってるの!? そうそう、鈍原さんを追いかけてるとこなんだ」
「なんやキミストーカーか。じゃあ教えたないなぁ」
「違う! 私がストーカーから鈍原さんを守るの!」
結果的にものすごくストーカーの言い分っぽくなってしまった。
誤解を蹴散らすため、信じて貰えるかはともかくとして、私は自分の名前をはじめクラスメイトであることやどんな会話をするのかをタヌキに語り上げた。
ここはナガサワルールの適用外だし問題ないだろう。
「変わった子やね。個人情報大事にせなあかんよ」
「私なんてどこにでもいる平凡だよ。それより知ってるなら教えて貰えませんかね」
「ええよ。百円で教えたるわ」
これは私を信用してくれた、ということでいいのだろう。
感謝を伝え後日百円を奉納に参りますと誓ったところ、鈍原さんが数分前にここを横切ったと教えてくれた。
「あの子ものぐさやし、この時間な折奈ちゃんとこやろ」
「オリナチャン?」
「もたげちゃんもえらい懐いとるよ」
「教えてください。家の場所」
「ええよ。五百円な」
せこい。払うけど。
計六百円と引き換えに、私は折奈ちゃんこと咲沙折奈さんの自宅を教えて貰った。先輩の正体が正真正銘女の子だと知って一安心だ。
安堵による高揚感も込めて、もう一度タヌキに感謝を伝えた。
「ありがとうタヌキング、助かった! また会おう! ほなさいなら~!」
「腹立つ熊やわぁ」
世にも珍しい似非関西タヌキとの交流を終えた私は、咲沙さん宅を目指し冒険を再開する。人間の身体ならここから歩いて10分掛からない距離らしい。
ぬいぐるみである今の私では何倍くらい掛かるのか、計算するのが面倒なので3分で片付けてやるぜと意気込みタヌキ邸の敷地を飛び出した。
肩越しにタヌキを見ながら手を振りつつ前進、というお手本のような前方不注意が私にもたらしたのは恐ろしい一撃。
突然視界がぐらついて、それから景色がめくるめく移り変わっていく。サブリミナルかよってくらい切り替わりが速い。
ただ一つ分かったのは、私はぐるぐる回りながら空を飛んでいるということだった。飛んでいるというより、落ちる為に上がっているというか、ジェットコースターが自由に回転しながらのぼってる感じ。
ようやく身体の回転が止まると、逆さまのカラスと目が合った。私は結構な高さまで昇っているらしい。「よっ」と言ったら「グァー!」と返された。カラスと会話したのは生まれて初めてのことだ。
それよりも。てっきり車にでも吹っ飛ばされたのだと思っていたけれど、よくよく考えれば車でこうはならない。綿詰まりの小さな身体である私を電柱よりも高く吹っ飛ばす車ってなに。
そして落下が始まった今だから分かるけど、角度が急すぎる。ほぼほぼ真上に上がっている。
ハリケーンかしら。いやあ、もっと人為的な匂いを感じるぞ。
訝りながら私は恐らくどこかの木に突き刺さる形で、本日二度目の落下を済ませた。
痛くはなかったが、それはつまり自分の身体の異常に気付けないということで、鈍原さんのクマとなっている現状でそれが如何に恐ろしいのか、ようやく理解した。
枝でも刺さってたらどうしよう。
確認できる限りでは木の枝が刺さったり破れたりしていなかったので、突き刺さるというのはあくまでレトリックで済んだ。
下を見る。そんなに高くはない。人影もないし、思い切って飛び降りた。
ごめんなさい鈍原さん。下手に木を触るよりもいいと思ったの。
落ちることには慣れたもので、無事両足で着地する。
人間の身体で同じことをしないよう気を付けたい。
「芸術的な着地を決めてしまった。さてここはどこだろう」
ぐるりと周囲を見回して、丁度180度回った所で動きを止める。
木の陰から控えめに頭だけを出してこちらを覗く五歳くらいの少女がいたからだ。少女は眠たげな瞳で私をじいっと観察している。
無言。互いに無言で、見つめ合う。
どないしたらええんやろ、教えて似非関西タヌキ……。
私が反応を選びかねていると、少女がおずおずと言った。
「クマさん、喋る?」
少女の声は怯えたようにも期待しているようにも感じられる。
「わたし、みみ。クマさんは?」
どうやら期待が勝ったらしく、みみちゃんが私の前まで近寄ってきて、握手を求めてきた。
幼気な少女の夢を壊せるほど、私は優しくも厳しくもなくて、だから。
「私はユーカリ。人間を守る為にパトロールしているのさ」
胸を張って名乗りを上げ、ねねちゃんと握手を交わした。
せかいは綿に満ちている 鳩紙けい @hatohata
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