03:人を嫌うということ

 不審者が出没する――見出しのインパクトは中々だったが、しかしその内容は薄味を通り過ぎて無味に近かった。というよりも、内容が無かった。


「最近この辺りを変な人がうろついてるらしいわよ」


 そう言ったナガサワちゃんは、伝えることは全て伝えたとでも言わんばかりに沈黙を置く。


 待てど暮らせど続報は届かない。少なくとも将来ジャーナリスト志望ではないらしい。


 せめて外見的特徴の一つ、は欲張りすぎにしても見出し以上の情報が欲しかったけど、無い物をねだっても仕方がないので続きは私が引き取ることにする。


 私達の目下の課題は、鈍原さんの悩みを解消すること。

 となると、閃いた!


「私とナガサワちゃんで不審者を捕まえるんだ!」

「バッカじゃないの。そういう思い上がりが事件の始まりなのよ、餅は餅屋って言うでしょうが」

「分かってるよ、言ってみただけじゃん。そういえば桃太郎のおばあちゃんって団子屋さんなのかな」

「…………」


 模範的な無視を決め込むナガサワちゃんだった。中々距離を詰めさせてくれない……。

 最も、ナガサワちゃんには私と仲良くなるつもりが毛頭ないのだろうけど。


 もしくは、私が本当に不審者を捕まえようと行動を起こす正義感の持ち主だと思われたのかもしれない。


 まさかそんな、私は面白味の無い女。


 悪い奴がいるからやっつけよう、なんて思考が一番前に出てくる人間は、異常だよ。危険には関わらない、関わらせないが鉄則じゃないか。


 だから今回私達が選ぶべきは、鈍原さんを不審者と関わらせない、だ。


 手っ取り早く実現させるには、やはり肝試し企画をなんらかの形でとん挫させること。もはや肝試し云々の問題ではない気もするが、規模が大きくなるにつれ私のような凡人の存在感が薄まっていくので、そうはさせない。


 折角のチャンスを棒に振ってなるものか、むしろ尻尾を振って擦り寄ってやるのだ。


「ナガサワちゃん、誰かの計画をぶっ潰した経験ある?」

「当たり前じゃない。私は相手の命じゃなくて夢や生きがいを奪うタイプの復讐者よ」

「じゃあさ、どうやったら鈍原さん達の肝試しを邪魔できるか教えてよ。私、そういうの疎いから」

「簡単ね。あんたが実は幽霊が見える霊感少女って設定で狂ったように大騒ぎすればいいのよ。油揚げを舐めしゃぶりながら「霊をからかう罰当たりには死が訪れる!」とでも叫び回れば間違いなく中止ね。そして止めに大量の十円玉を吐き出すの。こっくりさんの祟りだー! って」


 やだよそんなの。

 間違いなく一番罰当たりな私になにかしら祟りが降りかかるって。


「ナガサワちゃんがやったらいいじゃん。絶対上手だよ、私じゃそんな意味分かんない発想できないし」

「デザイナーとパタンナーは別よ。あんたなら出来る」

「騙されないから! ナガサワちゃんがデザイナーだとして私がパタンナーってわけじゃないよ!」


 役割が二つ、人数が二人――だからと言って必ずしもそれぞれ役割が与えられるわけではない。人狼じゃないんだから。


「ふん。意外と賢いじゃないの。それじゃ普通に止めなさいよ」

「一番無理。正攻法って結局一番才能いるよね。それとさ、私のこと相当バカだと思ってない?」

「だからって裏の手が簡単、というわけじゃないけど。王道の対義語って覇道だったっけ? まあいいわ。そうだ、あんた、嘘吐いた事ある? 鈍原さんに」

「ないよ。あるわけないじゃん」

「じゃあ大丈夫ね。最初の嘘は誰にも平等に与えられた武器なんだから」


 何を言ってるんだこの子は。

 まさか私、鈍原さん相手に嘘吐かされそうになってる?


 さっきから私達、会話してるようで出来ていない気がするんだけど、どうだろう。同年代(勝手にそう思っている)とのコミュニケーションに疎い私ではいまいち分からない。


「とにかく考えておきなさいよ。私、今日はちょっと用事あるの。一旦落ちるわ」

「そんなオンラインゲームみたいな」


 考えてみれば、この状況はアバターを介して交流するオンラインゲームと同じだ。


 クマと虎。お互いの顔は分からない。声の調子である程度の表情は窺い知れるため、ボイスチャットをしているようなものかしら。


 ちょっと嬉しいけど、そうじゃなくて、ちょっと待って!


 言いたいことを一方的に投げつけてきたナガサワ虎子ちゃんが定位置の窓際へ戻って行く。


「ナガサワちゃん! これどうやって戻るの! ボタンとかあるのかな!?」


 私が小さい身体で後を追いかけ、デスクによじ登り更に窓際まで這い上がるとナガサワちゃんが言った。


「ああそうだったわね。それを教えておかないと――あ、ちょっと不具合が」


 それきり、虎は動かなくなった。

 頬を叩いてみても反応が無い。

 不具合って……不具合って!


「このやろー! わざとだろーっ!」


 キンデルダイクの風車群も目を見張る勢いで両腕をぐるぐる回して虎の頭を叩き続けた。




 ひとしきり怒りを発散したことで頭が冷却された。

 しかしどうしよう、何をしたらいいのかが分からない。


 ぬいぐるみになっている現状だけでも手に負えないのに、私がいるのは憧れている相手の部屋、そして喋る虎に他人の計画をぶっ潰せと無茶ぶりされて。


 疑問と緊張と不安が綯交ぜになり、得体の知れない感情がじっとさせてくれない。忙しなく手足を動かす私である。


 やってくれたなナガサワちゃん。

 肝心要の出入りについて何一つ情報を残さないまま、初日の私を宙ぶらりんで放り出すナガサワちゃんの性格の歪みには驚愕を禁じ得ない。


 と、理性的に言ってみたけれど、やっぱりシンプルに言っておこう。


 あの子は性格が悪い。意地悪だ。


 そりゃあ初対面の相手をズブズブに甘やかしてスポイルしろだなんて言えないにしても、少しくらいヒントをくれたっていいじゃない。


 だけどまあ、可愛らしくも思う。

 嫌いじゃないし、むしろ好きだ。


 人を嫌いになるのはとても難しい。瞬間的に「気に入らないぜこのやろー」と腹を立てることはあっても、その怒りが持続しない。


 それだけ悪い人と関わらずに生きてこられたのだろう。


 いつか悪人と出会って実害を被った際に私がどう感じるのかは、だから今の所分からないのだけど、もしも相手の好きな物を知ってしまったら、きっと無理だと思う。


 好きな物があって、好きな人がいて、何かを楽しみにして、好きな食べ物に心躍らせる――ごく普通の人間的な側面を知ってしまったら、嫌いになるなんて、出来るはずがない。


 どんな欠点も私への不利益も、愛らしく感じてしまう。


 そんな私だから、加えて好きなものが同じとくればたかだか意地悪程度に目くじらを立てたりしないのだ。誓って暴力は振るっていない。


 穏やかな心持ちになり、部屋を見て回ることにした私は再びベッドへ戻って、右から左へゆっくり視線を流す。


 改めて見ると、鈍原さん、相当な可愛い物好きだ。

 子供の頃に夢見たおもちゃ箱みたいで、けれど決して幼稚に傾かないバランスで配色やレイアウトがまとまっている。


 侵入してきた虫が自分は場違いだと気付いて速やかに出て行きそうな空間だ。私は虫じゃないので居座らせてもらう。


 さしあたりの方針を定めるべく、私はベッドの上でバッタのように跳ねまわり、シーツから放たれる甘ったるい香りを栄養に思考する。


 はずだったが、節操なく跳ねまわったり転がり回ったりしていた罰が当たったのだろう、無様にベッドから落っこちた。


 視界が逆さまになり重力に頭を引かれ、それからすぐに、ガサッと音がして目の前が真っ暗になる。


 肩を押さえられているのか両手はわずかにしか動かせない。動かす度にカサカサと音がする。


 足は前後左右自由に動くし、音の出所は上半身に集中している。


 うーん……もしかして私、ゴミ箱に頭から突っ込んだ? いま私、犬神家の一族の逆さ足みたいな状態?


 いけない、このままじゃ戻って来た鈍原さんの心に傷を残してしまう、それだけは絶対にあってはならないと私は全身全霊暴れ回った。


 物音を立てるのは迂闊だと分かっているが、ベッドで跳ねまわったし今更だ。


 およそお天道様に晒すべきでない不格好な動きで、ようやくゴミ箱を倒すことに成功した。転がってうつ伏せの体勢になり、もぞもぞと後退して、両手が自由になったのと同時に勢いよく頭を引き抜いた。


 黒い紙吹雪が舞う中、立ち上がる。

 足元を見れば丸めた紙や駄菓子の包装紙、手で細かく破ったものだろう黒い紙片が散乱していた。


 手早く証拠隠滅を済ませようとして、重要かつ当たり前の事実に私は直面する。


 細かい紙切れを掴めない。丸まった紙くらいなら手に力を入ればなんとか掴めるけど、小さな物は難しいようだ。某猫型ロボットには遠く及ばない。


 したがって大ピンチなわけだが、ピンチの時にこそクールであれ。


 大掃除が終わらない時や試験前の一夜漬け中に漫画を読むような、あの冷静と焦燥の狭間に浮かぶ情動にこそ活路はあるのだ。


 またの名を現実逃避。袋小路の先延ばし。


 そうして私は、落ちている紙の色に注目した。やけに黒が多く、淡い色を間違いなく好んでいる鈍原さんには似合わない。


 床に散らばる黒の切れ端。少し離れた所に、丸まった黒い紙が転がっている。


 この違いは何だろう、と疑問のままに丸まった紙へ近付き、全身を駆使して床に広げた。


 なんだこれは――。


 黒い紙は、手紙だった。手紙のような紙だった。


 中心には真っ赤な文字で――『イツモ アナタヲ ミテイマス』と。

 寒気がするほど規則正しい直線的な文字で刻まれていた。

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