02:先輩虎と後輩熊

 鈍原さんを一言で表すなら、ツンとしたクールっ子。


 口数は少なく大人しいけれど、輪郭のくっきりした存在感を放っていて友達は多い。いつもたくさんの人達に囲まれている人気者だ。


 私に言われるのは心外かもしれないが、その大きな輪の中で、鈍原さんは浮いている。


 馴染んでいるようで、馴染み切れていない。


 楽しそうに笑いながらも、彼女は時折、他人事みたいな顔で輪の外を見る。ふとした拍子に張り詰めていた糸が緩む瞬間を、私は見た。


 たぶん、あの瞬間に私は鈍原もたげという個人を意識し始めたのだと思う。


 一人だけ別のレイヤーに存在しているような、どこか歪な確実さに惹かれたのだと、そう思う。


 そんな鈍原さんを私はいつも遠くから眺めている――というわけではなく、席が隣同士なので割と遠慮なく見つめたりする。


 だからよく目が合うのだけど、鈍原さんはちょっとだけ目つきが悪い。


 初めて目が合った時は睨まれたのだと勘違いしてファイティングポーズをとってしまった。思い返すだけで顔の火山が噴火する(マジに)くらい恥ずかしい。


 今でこそ普通に話せるようになったものの、依然として彼女への印象は大して変わっていない。意外と悪戯好きで子供っぽい一面もありつつ、孤高を思わせる儚さはそのまま……だったんだけど。


「聞いて、ポウたん。今度クラスの子達と肝試しすることになった」


 鈍原さんは仰向けの体勢で私を胸に抱きながら、拗ねた風で打ち明けた。普段のキレのいい声は鳴りを潜め、甘えるような声を出している。


 ポウたんというのは考えるまでも無く私(ぬいぐるみ)に授けた名前だろう。


 つまりぬいぐるみに名前を付けて可愛がるタイプ。


 決して悪口ではなく、本当にごめんなさい、鈍原さんは人の名前を覚えるのが苦手だと勝手に思っていた。


 良くないタイプの思い込みだ、反省反省。


「ほんとは嫌だった。でも断れなかった。はぁぁ……私ってほんと」


 そこで一度区切って、私を強く抱きしめる。


 もしも私のこの身体に心臓が搭載されていたなら非常に具合の良いダイエット器具となっていただろう。


 震えるぜハート。


 思考を放棄したら変な笑い声が出そうなので、鈍原さんのぼやきに意識を転じる。


 肝試し。


 私の知る鈍原さんは、人間を驚かすことに掛けて人後に落ちない幽霊の方々を、冷ややかな瞳一つで撃退するイメージだったけれど、しかしそうではないらし「やだーやだー助けてポウたん」と駄々っ子モードで嫌がっていた。


 ギャップ萌えの典型例である。

 人前ではクールな子が自宅では可愛らしい部屋でぬいぐるみに名前を付けて話しかけているだなんてパーソナリティを、可愛らしいと感じるのは……そりゃあもう当然だった。


 王道はどこまでいっても色褪せない。


 さて、そんな鈍原さんが悩んでいるのなら、今すぐ私が、どんな手を使い何を犠牲にしてでも助けてあげたい所だ。

 

 いっそ妖精のふりでもして喋り出そうかしら。


 ワタシはポウたん! 助けに来たよ!


 いや……待てよ。さっき私を驚かせた喋る虎は、その口ぶりから鈍原さんの生活習慣を把握出来るようになるくらい以前からここに居たと考えられる。


 であるにも関わらず、事情を明かしていないのは何か理由があるからだ。


 突然ぬいぐるみが喋り出したら気味悪がられて捨てられるというのが第一候補。


 他にも、人間にバレたら元に戻れなくなるとか恐ろしい理由もあるかもしれない。


 まあ大丈夫だろうと根拠の無い自信はあるけれど、郷に入っては郷に従えとお釈迦様辺りが言っていた。たぶん別人の言葉だ。


 喋り出したくなる気持ちに気合で弁をして、間延びした声で甘えてくる鈍原さんの誘惑に堪え続けることどれくらい経ったか、鈍原さんは私をそっと傍らに置くと、ゆっくり立ち上がり部屋を出て行った。


 憧れの相手の知らない一面を、胸の中という特等席から味わえたことで、脳内麻薬がドバドバだ。


 衝動のままに踊り出すと、待ってましたと言わんばかりに背中に何かがぶつかった。私は大袈裟に転んでベッドをコロコロと転がった。


「調子に乗るんじゃないわよ。あの子はクマに話しかけたのであってあんたに話しかけたわけじゃないから」


「虎が喋った!」


 寝転んだまま私が言うと、虎が覆いかぶさってきて一切身動きが取れなくなってしまった。やはりサイズの違いは致命的。


「何か言うことは?」

「もうふざけません……」


 鮮やかに格付けを完了させた虎は、私を解放すると続けて言った。


「分かればいいのよ。で、一応聞くけどあんたここに来たのは今日が初めてよね」


「初めてだよ。家でボケーッとしてたらいつの間にかここに居た。これってどういうこと? 虎先輩はいつからここに?」


「二週間くらい前から。私も最初は同じような感じね。その前に、虎って呼ぶのやめなさいよ。なんかタバコ吸ってそうじゃない」


「どういう偏見?」


「ナガサワでいいわ。さんでもちゃんでも好きに呼んで」


 そういうのって下の名前で言うものじゃないの……あくまで個人の意見なので口にはしないけど。


 名乗られたので名乗り返そうとする私の口を、ナガサワちゃんが両手で塞いでくる。


「待って。あんた普通にフルネームで名乗りそうだから、待って。本名なんて知りたくないし、ここでは相手の素性を探らないことがルールよ」


「もがもが」


「こんな状況だからこそ、きちんとルールを決めて遵守しましょう。相手の素性を探らないこと。鈍原せ……鈍原さんと現実に接する際、ここでの出来事や積み重ねは持ち込まないこと。決して他人に話さないこと。あとは、そうね。丑三つ時とかの非常識な時間に来ないこと。一旦それくらいかしら。OK?」


 力強い一度の首肯を以って了解の意を伝えると、私の口は自由になった。


「分かった。ナガサワちゃんの言う通りにするよ。先輩だしね」


「分かればいいのよ。で、あんたのことなんて呼べばいい?」


「えーっと……じゃあ、ユーカリで。私、パンダが一番好きなんだよね」


 心苦しい嘘だった。私は普通に猫が一番好きだ。


 レスポンスを重視した結果、自分の本名に音引きを加えることしか出来なかったのである。我ながら捻りの無い……棒を入れるならせめてひねり揚げにするくらいのユーモアを身に付けたいものだ。


「ユーカリってコアラじゃないの?」


「…………ナガサワちゃんの言うルールは分かった。ルールがあるってことは私の他にも誰かいるってことだよね。もしかしてぬいぐるみ全部に人が入ってるの?」


「ちょっとなに話反らしてんのよ」


 この部屋のぬいぐるみはざっくり数えただけでも二十は超えるから、その全てに人が入っているとしたらそこらの幽霊屋敷よりよっぽど不気味だ。


 流石にそんなことは無いと思いたいけど……。


「まあいいわ。あんたの言う通り、この部屋には私達の他にもう一人いるわよ。今は……どうかしら。ねえ、いるの?」


 ナガサワちゃんが呼びかけるも返事は無い。不在のようで残念だけど、ひとまずは三人だけという慎ましさへの安心感が大きい。


 知らない間に何十人にも囲まれているだなんて、スペシャルすぎて身体が震えるわ。


 ほっと胸を撫で下ろし、ナガサワちゃんとの会話に意識を戻す。


「先に言っておくけど、私もどうしてこんなことになったのか知らないわ。どういう仕組みか分からないってのは馴染み深いでしょ。だから勝手に期待して勝手に失望とかしないでよ」


「しないよそんなの。それより私から言っておきたいことがある」


 なによ、とナガサワちゃんが素っ気なく応じる。


「名前。名乗ったんだからあんたとかやめない? じゃないと本名教えるよ」


「……そうね。ごめん。ちゃんとユーカリって呼ぶわ」


 勝手にしなさいよと言われそうな捨て身の脅しだったけれど、意外にも功を奏したようでナガサワちゃんは素直に受け入れてくれた。


 詮索をしないというルールには、ナガサワちゃんが自身を知られたくないだけでなく、相手のことを知りたくないという意図も、込められているのかもしれない。


 などと推測してみたが、さっきナガサワちゃんが本名なんて知りたくないと言っていたので、私はただ言い直しただけである。


「お互い名乗ったわけだし、話を進めるわよ。私達がここで何をするのか。身も蓋も無い言い方をすれば、覗きね」


「なんて身も蓋も無い!」


「若くして地獄行きが決定したってわけ。覗きって大罪だから」


「ぐうの音も出ない……一応聞くけど、鈍原さんは全く気付いてないんだよね」


「当然よ。あの人を不安にさせるなんて地獄行きでも生温い」


 声が一段低くなったことで、ナガサワちゃんの本心がストレートに伝わってくる。


 何度も頷き、私も迷いなく賛同の意を示させてもらった。


「最初は打ち明けることを考えなかったわけじゃないのよ。でも、あの人怖がりだし、それに……」


「それに?」


 マーカー必須の重大発言が飛び出してくるのだと、私は身構える。


「抱きしめて話しかけられたら普通無理じゃない? この特権を手放すの」


 めちゃくちゃ下心に負けてるナガサワちゃんだった。


 さっき私がされたように、ナガサワちゃんもあの天国を体験したらしい。


 無理だねえ。絶対無理。


「だからせめてもの罪滅ぼしに、こっそり忘れ物とか鞄に入れたりしてるわ。きっちり準備する割に鞄に入れるのだけは忘れたりするから」


「確かに鈍原さん、忘れ物多いもんね」


「マウンティングとはいい度胸じゃない」


「ナガサワちゃんってちょっと面倒くさいタイプだ。仲良くなれそう」


 鈍原さんとどういう関係なのか、どういった出会いを果たしどうやって惹かれていったのか、話せばすごく盛り上がるのだろうけど、詮索をしないという規律に抵触する以上、迂闊に尋ねることは憚られる。


 ルールはいつだって、人を守る為にあるから。


 彼女の守りたい物を踏みにじるわけにはいかない。


 そんな風に考えていたら、


「それじゃあ計画を練りましょうか」


 と、ナガサワちゃん。


「計画……? 私とナガサワちゃんが仲良くなるためのプラン?」


「おバカね。私達の共通項なんて、鈍原さん以外に無いじゃない。差し当たりの悩みの種を腐らせてやるの」


「腐らせるって、ああ、肝試し? 本当に嫌そうだったもんね。それに危ないし。よーし、それじゃいっちょ鈍原さん以外のクラスメイトに毒でも盛りますか」


「一番危ないのあんたじゃない。止めないけど」


 なんてことを言うのかしら。私はどこにでもいる平凡。


 それに、またあんたって言った。


 失言を言及するかを思案していると、ナガサワちゃんは気にした風も無く話を進ませる。


「それに出るらしいのよ、マジのやつが。危ないから迂闊に変なとこ行くべきじゃないわ」


「えー、出るってなにが? デザート? 力こぶ?」


「不審者」


「絶対止めなきゃじゃん!」

 

 文脈的には絶対幽霊だったし、先回りして気の利いた返しを考えていたのに。

 思い浮かばなかったけど。


 それと、不審者にマジじゃないやつもいるのかしら、と私は思った。

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