せかいは綿に満ちている

鳩紙けい

01:世界は平凡に満ちている。

 生まれてから今日までの十六年間、自分を特別だと感じた事はただの一度として無い。


 特別感というのは当然ながら、そして残念ながらそこら中に転がってはいないのだ。


 私はこれといった取り柄も無く何をやっても平凡で、特徴を箇条書きしても目を引く要素の見当たらないありふれた存在だけど――だからと言って、自分を無価値だと必要以上に貶めたりしないし、特別になりたいと身を焼かれる思いもしない。


 最近成績が下降気味だとか友人と呼べる存在が未だ空白であったりと悩みの種はあるけれど、その程度。


 超普通。超平凡。愛すべき没個性。


 個性が薄すぎて逆に目立っているとかも無い。


 右を見ても左を見てもどこにでもいる。右利きの私もいれば左利きのわたしもいる。


 他よりちょっとお喋りかしら。ほとんどが独り言なんだけど。


 そんな凡庸――だと傭兵のような只ならぬ響きを感じるので、私は自分を評する際に平凡という言葉を意識して使っている。


 例えば、雑用でも何でもいい、誰かの手を借りたくなったとして『凡庸な熊木くまぎゆかりさん』と『平凡な熊木くまぎゆかりさん』の二択を迫られたら、なんとなく前者を選んでしまうだろう。


 私だったらそうする。いや、意味は変わらないんだけどさ。

 こだわりの一つでも持ってないといよいよ誰だか分からなくなりそうだよね。


 とにかく、いかに私が面白みのない人間かのエピソードを並べたら枚挙に暇がない。


 私の人生を一冊の本にまとめようものならば、淡々と、ドラマチックの一粒も無い展開がゆるやかに続き、夢と現を行き交いながらの読了後、眠気覚ましに熱いコーヒーを一口啜れば、内容が一文字も余さず行方を眩ませてしまう一夜漬けのような代物となるだろう。


 唯一盛り上がるのは初めて大根おろしと出会った時かしら。それにしたって一分足らずで語り終えてしまうのだ。


 というわけで、熊木くまぎゆかりという少女わたしは、ごく普通の、ごく普通に平凡なのだと、誇ることも卑下することも、他人を羨むこともなく生きてきた。


 それはとても幸せで掛け替えのないことのように思う。


 一度きりの人生を、暢気に、平穏に生きていく――それは今後も不変の揺るぎない事実だと思っていた……のに、そんな私の人生観は、たったいま木っ端微塵にされてしまったのだった。


 ここは一体どこ?


 確か、学校が終わると寄り道もせず直帰して、自分の家の自分の部屋で、天井を眺めながらボーっとしていたはずなんだけど。


 いま私がいるのは、どう間違っても私の部屋ではない、西洋風のインテリアに彩られたパステルカラーの部屋である。薄いピンクを基調とした室内は、舌の上で転がせば溶けてしまいそうな柔らかさに満ちていた。


「これは夢……? でも夢にしてはメルヘンチックすぎる。私の脳みそは木綿豆腐なのに西洋風なのはおかしいなあ。なんちゃって」


 人の気配は感じられないし、誰も聞いていないなら無言と一緒、ということで私は会話のような声量で言いながら、首を右に向けた。


 お姫様が振り回しそうなアンティーク調の手鏡が、お姫様が跳ねまわりそうなお布団の上に横たわっていて、どうやら私はベッドの上にいるらしいことを知りながら手鏡を覗き込んだ。


 そこに結ばれた像は、私の姿では無かった。一目見ただけで絶対に違うと断定できる程に別物だった。


 いや、薄々気付いてたけどね。動いた時に手とか足とか見えるからさ。壁に寄りかかってるのに視点がおかしかったからね?


 だけど、私だよ? こんなことってある?


 鏡に映る私の姿は、どう見ても外国生まれのクマのぬいぐるみだった――全くの勘だけどドイツの子(色味がバウムクーヘンっぽいから)。生産自体は国内で行われているのかもしれないが、よく分からないしそこはどうでもいい。


 両手で自分の顔を覆うようにポーズを取り、動作自体は問題なく行えることに安心しつつ、同時に触覚の鈍さに不安を覚えた。


 平凡らしく頬をつねってこの状況が現実なのかを確かめたかったけれど、何分手が丸くて無理だ。


 声は問題なく出せるし、嗅覚もある。聴覚も異常はない。味覚は分からない。歩くのも、ちょっと頭が重いような気のせいのような、つまり問題ないと言って言えなくもない。


「いやいやいや、これは夢。私の脳が甲斐甲斐しくも記憶の整理をしてくれてるんだ。私の部屋も片付けてくれたらいいのに、ちょっとくらい手伝うからさ。そういえば将来の夢とかいつの間にか普通になくなったなぁ。あった方がいいのかしら、あるんだろうなみんなは。聞いてみようかな。友達いないけど」


 対人なら空回り間違いなしの発言をしながら、その場でくるくる回って部屋を観察する。


 この部屋の主はぬいぐるみが好きなようで、収集が趣味なのだろう、窓際には戦利品と思しきぬいぐるみ達が行儀よく並んでいる。私の他にもクマは何頭かいるが、ベッドの上へ招待されているのは私だけ。


 ちょっとした優越感。特別感は知らないけれど、優越感は知っている。気まぐれかもしれないけれど、受けた側はものすごく嬉しいものなのだ。


 いつ止まろうかと考えながら回り続けていると、目の端にある物を捉えて動きを止めた。


 虎である。私の倍くらい大きな虎のぬいぐるみが、デフォルメされた顔つきと不釣り合いなくらい立派な毛並みをした虎が――白い机の上に悠然と構え、こちらを睨みつけていたのだ。


 私は両手を高らかに掲げ、降参の意思を示しながら虎と向き合う。


 熊と虎って戦ったらどっちが強いの? 仮に熊だったとして中身が私じゃ話にならないか。そも、ぬいぐるみだし。


 となると、やはり私の負けは必至である。ぬいぐるみに限らないけれど、サイズの違いはあまりにも決定的だ。

 どうせ八つ裂きにされるなら、一か八か鼻っ面を引っぱたいてやろうかしら。


「ちょっと新入り。あんまり動き回んないで。もうすぐ帰って来るから」


 じりじりと距離を取る私に向かって、虎はそう言った。


「虎が喋った⁉ え、怖い怖い!」

「熊が喋る方がずっと怖いわよ!」

 

 虎が喋った! びっくりしたあ!


 と、しばらく水掛け論を繰り広げた後、どちらからともなく熱が引いていき、結局人間が一番怖いと怪談噺のベタなオチへ着地した。


 話の分かる虎である。そんな虎は、プラスチック製の大きな瞳に窓から射す光を煌めかせ、まるで獲物を品定めするように私を見ていた。


 現状を全く理解していないけれど、私がこうなっているように、相手もまた実在する人間ということでいいのだろうか。


 つまりは先輩? 色々教えてくれるかしら。


 とはいえ、このまま主導権を握らせてしまうとジビエ料理にされてしまいそうだったので、先手必勝、私は言う。


「もしかして聞いてた……? 私の独り言」


「マジで怖かった。一人でずっと喋ってて」


「うわーめっちゃ恥ずかしい。でもさ、いきなりおとぎの世界に迷い込んだら誰だって現実かどうか確かめたくなるでしょ? 私の場合はまず舌が十全に動くかどうかで判断するんだよ。で、今回はどう結論付けたと思う? 気になる?」


「やかましいわね。嫌いなタイプ」


 めちゃくちゃつれないじゃん。

 虎らしい攻撃的な言葉選びだった。


「そういえばさっき、もうすぐ帰って来るって言ってたけどあれはどういうこと? シンバが戻って来るとか?」


「それはライオン……じゃなくて、あんたマジでうるさい! いいから黙って元の位置に――」


 言いかけて、部屋の外から足音が聞こえてくる。虎は私を頭で突き飛ばし、それから素早く踵を返して元居た窓際へと戻って行った。ベッドから机に、そして窓際へ移る一連の動きは、そのもの虎のように滑らかだった。中身は喋る虎なのかもしれない。


 私も最初に居た場所へ戻り壁に寄りかかりながら、そんな風に考えた。


 考えるべきは別にある気もするが、私の脳細胞は灰色ではないし、結局のところ夢を見てるのだろうという楽な結論を捨てきれていないのもあって、ひとまず静観だ。


 足音が近づいてきて、扉が開く。扉に掛けられた鈴が小さく鳴り、人が入って来る。


 その人物を見て、この部屋の主だろう女の子の顔を見て――これが夢だというオチだけは断固拒否すると決めた。


 大きく目を見開き女の子を凝視すると、鼓動が徐々に勢いを増し、今にも胸を突き破りそうだ。


 プラスチックと綿をして、そう思わされる。


「あー疲れたー」


 投げやりに言った女の子が、手に持った鞄を床に放り投げると、制服姿のままで私のいるベッドに倒れ込んだ。


 布団に顔を埋めた後、首だけを動かして私を見ると、


「ただいま」


 一生守ってあげたくなる愛らしい微笑みで、そう言った。


 おかえりなさい。

 私はこの子を知っている。


 いつもより遥かに近い距離。


 特別感は知らないけれど、優越感は知っている。


 彼女の名前は鈍原にびはらもたげ。

 私が最も憧れているクラスメイト――ひいては大大大大大大好きな女の子だ。

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