更科姫物語〜鬼を討伐にきた若武者を投げ飛ばしたら突然求婚されたのですが!?〜

くれは

巻之一 突然求婚されたのですが

「好きだ! 俺と夫婦めおとになってくれ!」

「え……え? ええぇぇええ!?」


 叫ぶわたしと、そのわたしの手を握る若武者の頭上で、青々と茂った木々が風に揺れていた。


 事は少し前──。





 青々とした夏の山。


 その山奥深く、わたしの前にその若武者は立っていた。

 ものたちの惑わしの力で、他の武士たちは今頃山の中を迷っているはず。

 この若武者だけが物の怪たちの力を破ってここまで来てしまった。きっと、強い武士なんだろう。


 涼しげな目元、きりりと結ばれた口元。

 立派な着物に籠手こてを身につけたその姿は、まるで絵巻物から飛び出て来たような凛々りりしい若武者だった。


 わたしはひとりでその若武者に対峙している。

 若武者は、こんな山深くで出迎えたのがわたしのような年若い小娘だからだろう、戸惑っている様子だった。

 腰にいた太刀を抜こうか抜くまいか、迷っているみたいに見えた。


 太刀を抜かれたら、斬られてしまうかもしれない。そうなったらさすがに無事ではいられない。

 わたしは震える自分の足をなんとか奮い立たせている。


 わたしがこの人を追い返さなくちゃ。

 鬼の討伐なんかさせないんだから。


「このような山深くで、何をしている? この先には鬼のすみかがあるはずだが」


 若武者は、その見た目の通りに凛々しくしっかりとした、よく通る声でそう言った。

 わたしは何も答えなかった。

 本当は、声が震えてしまうのが怖くて、何も言えなかったのだ。


 わたしはわずかに身を沈めると、若武者に向かって跳びかかる。

 今のわたしの体には、物の怪の力が宿っている。だから、いつもよりもずっと力強く跳ぶことができる。


 わたしの動きに、若武者は太刀に手をかけた。

 それよりも素早く、わたしはその懐に入る。そして、着物を掴んで持ち上げた。


 若武者の目が見開かれる。その瞳が、わたしを捉える。

 その次の瞬間、


「でええぇぇい!」


 気合の掛け声と共に、わたしはその若武者を投げ飛ばした。

 この力も、腕に宿った物の怪の力だ。


 大きく息をして、わたしは投げ飛ばした若武者を見る。

 投げ飛ばされた若武者は、近くの木にぶつかり、落ちて──そのまま起きてこないかと思ったら、急にむっくりと起き上がった。


 そして、すっくりと立ち上がるとわたしに向かって駆け寄ってくる。

 太刀を抜かれる前にもう一度投げ飛ばしてやる、と伸ばした手を掴まれた。


 まずい、と思った瞬間、若武者はわたしの顔を覗き込んで口を開いた。


「好きだ! 俺と夫婦めおとになってくれ!」


 若武者の表情はまるっきり大真面目で、瞳はとても真っ直ぐにわたしを見ていて、冗談を言っているような雰囲気は、これっぽっちもなかった。


「え……え? ええぇぇええ!?」


 わたしは混乱して、ただ叫ぶしかできなかった。


 それが、鬼の討伐にきた信濃守しなののかみ平維茂たいらのこれもちと、わたし──更科さらしなの出会いだった。






 みやこから遠く離れた信濃しなのの国は戸隠とがくしの山深く。

 そこが、わたしが暮らしている場所。


 戸隠には鬼が住むと噂される通り、そこには鬼の集落がある。

 鬼だけでなく、何かあって逃げてきた人たちもいる。周囲の山にはすみかを追われたものたちも集まって暮らしている。

 みやこを追われて戸隠に追放されたわたしも、その集落で暮らしている。

 人里離れてはいるし、京のような立派なお屋敷はないけれど、一人での暮らしは穏やかで静かだ。


 それなのに。


 わたしが投げ飛ばしたあの凛々しい若武者──維茂これもちさまがやってくるようになってしまった。

 維茂さま、と呼ぶのはしゃくなのだけど、実際に身分のある偉い方なので仕方ない。


「姫! 更科さらしな姫! 贈り物を持ってきたぞ。受け取ってくれ。そして俺と夫婦めおとになってくれ」


 わたしは朝餉あさげが終わって、家の掃除をしているところだった。

 大声に慌てて外に出てみれば、快活な笑顔で馬のくらを抱えている維茂さまがいらしたのだった。


 鬼の集落だというのに、鬼には目もくれない。

 わたしが言うことではないけれど、鬼の討伐はしなくて良いのだろうか。


「見てくれ。どうだ、この馬の鞍、綺麗だろう?」

りません。お持ち帰りください」

「どうしてだ? 贈り物が何か気に入らないか?」

「馬もないのに鞍だけあっても仕方ないと思いませんか?」

「そうか。ではどのようなものなら」


 わたしは維茂さまのお言葉をさえぎるように大きな溜息をついた。


「そもそも! 維茂さまは鬼の討伐にいらしたのではないですか?」

「今は違う。今日は更科姫に会いにきたのだ」

「でも、鬼の討伐をしなければならないのですよね?」


 維茂さまはきょとんとした顔になった。


「更科姫は、俺が鬼の討伐をするのが気に入らないのか?」

「当たり前でしょう。わたしはこの集落の鬼たちに恩があります。それに、この集落の鬼たちは何も悪いことをしていません。ただ静かに暮らしているだけ。討伐される理由なんてありません」

「そうか、わかった」


 維茂さまは朗らかに笑って頷いた。


「では、鬼の討伐はやめよう」


 あまりにあっさりおっしゃるものだから、わたしの方がぎょっとしてしまった。


「やめるってそんな簡単に!?」

「ああ、そんなものはどうにでもなる。それよりも」


 維茂さまは大きな背中を丸めて、わたしの顔を覗き込む。


「鬼の討伐は更科姫が困るのだろう? 俺にとっては、そっちの方がよほど大事だ。だから、鬼の討伐はやめる」


 わたしはぽかんとして維茂さまを見上げていた。

 きりりとした涼しげな目元と、自信ありげに引き結ばれた口元。立派な若武者。身分のある方。わたしなんかよりよっぽど大人で。

 そして、鬼の討伐をすると言ったり、それを簡単にひっくり返したり。

 きっとこの人も、そうやって簡単に何かを言っては、周囲を振り回しているんだって思った。


 いつもそう。

 貴族の大人は身勝手に、理不尽に、すぐに心変わりをする。

 維茂さまもきっと、そういう方なんだ。


「とにかく、維茂さまからは何も受け取りません!」


 わたしはそれだけを言って、家の中に入って引き戸を閉めた。






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