第84話 奥様と激情
「俺が、いえ、本当に私がラヴィのエスコートをしてもいいんですか?」
勇者と聖女が揃ったお祝いパーティの数日前にハルトが公爵邸に来てくれた。
手紙でもこちらからエスコートを頼む件は書いて送ったのに、何故改めて聞くのかな?
まだ自分が勇者だったとイマイチ実感がないのかな?
しかし、照れながらも嬉しさが隠しきれない顔をしているハルト。
かわいい。
「それはそうでしょう。
父親のアレクシスは私のエスコートがあるし、ハルトがやってくれないと盾にならないでしょう。
娘には他国からも婚約の申し込みが来ているのよ」
「た、他国からも!?」
「聖女が欲しいのはどの国も同じよ。デルン王国とかバイドラ公国とか、サエイルとか」
「とくに聖国からの求婚が厄介だ」
神聖王国は神聖力の有るものが王として立つ国だ。
「が、がんばります」
「沢山の人が来るんですよね、緊張します」
「だ、大丈夫、俺がいるから、多分」
多分って……。
* *
やや不安を残しつつも、パーティ当日になった。
「そのオレンジ色のドレスとても似合ってるわね、かわいいわよ、ラヴィ」
「ありがとうございます。お母様が選んでくれたドレスなので、お気に入りです!」
「俺も、凄く綺麗でかわいいと思う!」
「ありがとう、ハルト」
頬を染めてはにかむ我が娘が可愛すぎる。
父親のアレクシスはそんなラヴィの新しいドレス姿を見て、「悪くない」とだけ言った。
朴念仁は治らない。
私の新しい上品なドレス姿も、「悪くない」と言うだけであった。
どの道旦那様はこれが通常運転なので、気を取り直して、私はアレクシスのエスコートで、ラヴィはハルトのエスコートでパーティ会場に入場した。
まずパーティの開催は皇帝の挨拶から。
「我が帝国に聖女と勇者が揃った。誠に喜ばしい。今日はこの二人が主役だ」
この後もつらつらと何か言っていた校長先生のような長い皇帝のスピーチは、要約すると宴を存分に楽しむがいい。って事みたいだ。
そして貴族達のお決まりの挨拶も一段落ついて、ほっとしたところで、私は不穏な気配を察知した。
今日は聖女と勇者も若いので、12歳以上なら子供でも参加出来る。
エイセル公爵夫人の側に先日ドレスショップで見たジリオーラ嬢がいた。
夫人がそれに何やら耳打ちをしてから、グレープジュースらしきものを手渡し、令嬢は脇目も振らずに、学友と話をしていたラヴィのいる方向に歩いていく。
あろうことか、まさかとは思ったが、なんとよろけるふりして、あの小娘!
ジュースをラヴィにぶっかけたのだ!
「聖女様! 大変! ドレスが!」
ギャラリーが心配する声をかけた。一方、あのジリオーラ嬢は、
「あ、ごめんなさい、ふらついちゃって!」
わざとらしいセリフ付きでなんとも軽い調子で心のこもらない上辺だけの謝罪を口にした。
ラヴィはあまりの事に固まってしまった。
まさか、公爵令嬢で聖女でもある、本日の主役の一人にそんな事をする!?
私は手にしていたワイングラスを慌てて近くのテーブルに置いて、ラヴィの元へ向かった。
胸の中に火が着いて、燃え盛る激情が渦巻いている。
よりによって、私が選んだドレスを着てよろこんでいた娘にあんな事を!!
ハルトも他の貴族に囲まれている最中で、反応が遅れたようで、騒ぎに気がついて、慌ててラヴィに駆け寄る姿が見えた。
私はそれを見て、急に足を止めた。
娘の側にはハルトが行ってくれた。
なので、私は方向転換した。
エイセル公爵夫人の方向に。
そしてエイセル夫人の前に立った私はおもむろに自分の手袋を脱いで、夫人に向かって叩きつけた。
手袋は顔を庇った夫人の腕に当たってから床に落ちた。
「きゃっ!?」
「拾いなさい」
「え!?」
「手袋を拾いなさい、エイセル公爵夫人!! 貴女にこのアドライドのディアーナが決闘を申し込みます」
「な、なんですって!?」
声をあげるエイセル夫人とざわつく貴族達。
「早く、貴族らしく、手袋を拾って決闘を受けなさい」
「女同士で決闘など、あり得ませんわ! 野蛮な! ちょっと子供がふらついてジュースをかけたくらいで、どうかしてますわ!」
「母親のあなたは謝罪もせずにその態度ですか。
帝国の法律に女同士で決闘をしてはいけないという決まりはありませんわ」
「レディは普通そんな野蛮な行為は、やらないと言っているでしょう!」
「あなたも貴族なら魔法が使えるでしょう。
剣が無理でも多少は戦えるはずです。
私には貴女の周りに大地の精霊が見えます。土魔法が使えるのでしょう」
「魔法が使えるからどうだって言うのです!」
「まあ、まあ、こんな喜ばしい宴の最中に決闘とは穏やかじゃないな」
皇太子!!
今、しゃしゃり出て来ないでよ!
いちいちむかつく男ね!
逆に皇帝は何か面白い事が始まった。みたいな顔で悠然と玉座に座っている。
皇后は冷たい目で成り行きを見ているだけだが、そのくらいでちょうどいい。
「私は先程エイセル夫人がジリオーラ嬢に何か耳打ちをしたあと、飲み物を渡して、ジリオーラ嬢は脇目も振らずにラヴィアーナの方に歩いて行って、ジュースをかけたのを、この目で目撃したのです!
止めないでください!」
「まあ、落ちついて、ここは皇太子たる私から何か、アクセサリーや、だいなしになったドレスの代わりにドレスも数着、アドライド家に贈らせて貰おう」
「保管や扱いが大変なのでそのような気使いは不要です!
私は自分への侮辱にはもう少し寛大な態度をとれた可能性はありますが、娘に向いた悪意には容赦しません!」
呪いの首飾りのような物をどさくさに紛れて増やされても困るのよ!
「とりあえず、エイセル夫人は謝罪の言葉を」
皇太子に促され、
「……うちの娘がお嬢様に粗相をして、申し訳ありませんでした」
エイセル夫人は悔しそうにしながらも、謝罪の言葉を口にしたが、私の中の憤怒の炎は消えない。
「お、お母様!」
エイセルの娘のジリオーラが叫んだ。
「謝罪は受けません、コロシアムで決闘をしましょう。
貴女の石礫の魔法が私に届くのが速いか、私の石礫が貴女の頭、もしくは首、あるいはお腹を貫通するのが速いか、勝負しましょうよ。
貴族の婦人の決闘など早々見れるものではないので、観客もきっと盛り上がるでしょう」
「や、野蛮過ぎるわ! 高位貴族の決闘なら、普通は代理で騎士か魔法使いを立てるでしょう」
「代理決闘は嫌いです。
何の悪さもしてない人がただ一人選ばれて犠牲になるなど、あまりに悲惨じゃないですか。
それならいっそ領地戦のほうがマシです」
「お待ちを、アドライド公爵夫人、いくらなんでもドレスにジュースがかかったくらいで領地戦など」
どっかにいたエイセル公爵が妻を庇いに出て来た。
「エイセル公爵、聖女に不敬を働いたのは、天に唾を吐く行為ではないですか?
奥様はもしや邪教の信徒では?
戦争ならば勝てば領主夫人の首も切れるでしょうし、私はそれを望みます」
「久しぶりに領地戦か、血が沸き立つようだ」
アレクシスが私の援護をするようにそう言って、氷の微笑を浮かべてやってきた。
エイセル夫人は気絶した。
「まあ、都合よく気絶なさいますね」
私が悪態をつくと、再起動したラヴィが仲裁に駆け寄って慌てて止めに来た。
「お、お母様、お父様! 私は大丈夫ですから!」
しかし、美しいシャーベットカラーのオレンジ色のドレスは、紫色のシミが出来てだいなしだ。
エイセル公爵が弁明を始めた。
「アドライド公爵、そして夫人、当家の者の無作法を謝罪いたします。
そして、私の妻は決して邪教の信徒などではありません!
我が領地のルビー鉱山を差し上げますから、どうぞこれで矛を収めてください」
「見くびられたものですね、当家はお金には困っていませんわ」
「ルビーはお嫌いですか!? サファイア鉱山はどうですか?
ほらアドライド公爵も聖女様も美しい青い瞳で、よくお似合いかと!」
「私は金銭的賠償よりも、エイセル公爵夫人を地べたに這いつくばらせて、死ぬほど後悔させたいのです」
原作では魔王化するディアーナの中にはやはり憤怒の炎のようなものが燻っていた。
「では、サファイア鉱山の他に、島はどうですか!?
南国で、別荘付きです! 今は夏ですが、冬に行くととても良いですよ!
暖かいですし、美味しい海の幸も!」
島!?
島は……ちょっといいわね。
新鮮な海の幸と別荘! 思わず南国の別荘地でラヴィと遊ぶ姿を想像した。
急に私の中の烈火のような怒りゲージが下がってきた。
「お母様、落ちついてください。私は怪我もしていませんし」
「お、お母様は悪くありません!
わ、私が、聖女様があまりにキレイで悔しかったから、つ、つい、い、意地悪を……してしまったのです!」
なんと! いつも優しいラヴィはともかく、あの母親をあのわがまま娘が泣きながら庇っただと!?
──仕方ない。この辺で折れてやるか。
「健気に母親を庇う娘に免じて、サファイア鉱山と島で手打ちにしましょう」
「あ、ありがとうございます、アドライド夫人」
「私は娘への侮辱行為には手心を加えませんので、よく覚えておいてください」
領地戦などされては全てを失いかねないエイセル公爵の顔には、冷や汗が滝のように流れていた。
腕には気絶した夫人を抱えている。
そんな女をかばってサファイア鉱山と別荘付きの島を手放すとはね、なかなかやるじゃないの。
「ははは、貴族夫人同士の決闘はさぞ見ものだったろうが、これでひとまず、一件落着であるな。
なかなか面白い展開であった。エイセル公爵は即刻聖女の着替えを手配しろ」
「はっ! 仰せのままに」
皇帝には私達の喧嘩が余興に見えたのか、謎にウケていた。
楽しそうに笑ってる。
皇太子はやれやれみたいな感じだったし、皇太子妃はじっと私を見ていた。
やめろ、こっち見るな。
しかし、この騒ぎで一番注目をされたのは、おそらくドレスを汚され、惨めな姿となった聖女ではなく、キレると手がつけられない私の方であるから、私の存在も多少は役に立った。
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