第69話 春の日の青。
文官達との会議は終わって、私は補修中の屋敷の方に移動して、見回りに来た。
せっかく海鮮お好み焼き二枚を置いて来たというのに、エレン卿は食べずに私を追いかけて来たようだった。
「公爵たる閣下が食事の後片付けなどやる訳がないのに、奥様は何故あのような事を言うのですか? 失礼でしょう?」
「私もする訳ないとは分かってはいるのだけど」
「は? ならば何故?」
「困惑させたいの。
取り澄ましたようなポーカーフェイスを崩して、感情を乱してやりたいから」
「え!?」
「エレン卿、あなたが困惑する必要は無いのよ」
呆然とするエレン卿を放置して私は見回りを続けると、彼は数メートル離れて私の護衛としてついて来ているようだ。
一度後方のエレン卿を確認して再び前を向くと、アギレイの方で雇ってるメイドが背を丸めて廊下を歩いていたのを見つけた。
「あなたどうしたの? そんなに背中を丸めて。具合でも悪いの?」
「ご、ご主人様! すみません、わ、私、体が大きくて、かわいくないので」
「え、長身いいじゃない、背筋をシャキッと伸ばした方がカッコいいわよ」
「か、かっこいいではなく、かわいくなりたくて」
「近くに好きな人でもいるの?」
「……」
赤くなった! 当たりか。
「でも、若い女性の猫背はかわいく見えないから、キリッと顔上げて背筋を伸ばした方が素敵よ、背の高い女の子が好きな男もいるから」
「そ、そんな事あるでしょうか?」
「あるわよ! 私を昔好きだった子は小さい方だった」
前世小学校時代。私の身長はヒョロ長い方だった。
クラスの女子で身長低い順に並ぶと、後ろから3番目くらいだった。
私の林間学校であるクラスメイトから聞いた、私の事を好きだと言ってたらしい男子は身長が低かった。
なお、その男子は何故か私の下敷きを破壊したので、私の方は嫌いだった。
今思えば、好きな子に素直になれない小学生男子そのものだった。
私の言葉を聞いて、メイドは悩むように黙り込んだ。
「……」
「まあ、関係ないのに、口出してごめんなさいね」
「一い、いいえ。ご忠告、ありがとうございます」
「お詫びに私の着ていたブラウスとスカート、古着だけどあげるわ」
「ええ!? ご、ご主人様が着ていたのなんて恐れ多いです」
「ほら、ねえ、古着といっても綺麗よ」
私は転移魔法の布から取り出したブラウスとスカートを渡して見せた。
「わあ、なんて上品で綺麗なブラウスとスカート」
「それ着る時は猫背は禁止よ、かっこよく着こなしてちょうだい」
「え!? あ、は、はい」
メイドは主人命令には逆らえない。
数日後、女にしてはやや長身のメイドが休日だったのだろう、メイド仲間と街に買い物に行くらしく、あのブラウスとスカートを着ていた。
背筋はしゃんと伸びていた。
そこへ一人のやや小柄の執事が通りかかった。
「お、今日すごく綺麗だな!!」
輝くような笑顔で、長身メイドに微笑みかけたその執事が彼女の好きな男だったのだろう。
顔を赤くしながらも、俯くのは耐えていた。
私との、約束通りに。
思わぬ青春シーンを窓越しにニヤニヤしつつ眺めていると、旦那様がやって来た。
「あら、旦那様、わざわざアギレイにまで、どうなさったの?」
「其方の領地の……街の発展具合を見に来た。何をニヤついているんだ?」
ん? 私の領地を気にかけてくれてるの?
「さっきそこに、微笑ましい青春があったんですよ」
「下の者達が街に遊びに行っているようだが」
「私の服を下げ渡したメイドが綺麗になっていたので、ご満悦なんです」
「メイドに服を……」
長身のアレクシスを、私は見上げて言った。
「あなたはとても背が高いので、私は逆に背伸びをする必要がありますね」
「? このままでも、話は可能だろう」
「したい時にキスが出来ないんですよ、あなたが屈んでくれないと」
「は!? キス??」
困惑している。ふふふ……。
「いえ、いざとなったら私が飛べばいいのよね」
「いざとなったら!?」
「そのうち、そんな時が来る可能性もあるかもしれないでしょう」
「あ……、あの謎の粉物は……美味しかった」
ん? 急に食べ物の話!? もしかして動揺して話を逸らした?
「……ああ、海鮮お好み焼き、あなたは食べて来たんですね。じゃあもう一枚は?」
「其方の専属に食べていいと言っておいた。片付けもあの者がするようだったしな」
メイドのメアリーね。無駄にならなかったなら、良かった。
そこはかとなく上の空の表情で、まだやや困惑してる感じの旦那様を見て、私はまた機嫌が良くなった。
空の青が美しい。ある、春の日の事。
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