第62話 花街の遊女達

 いや、やはり、トイレに行くふりで抜け出すよりは、せっかく温泉地にいるのだ、もう一度風呂に行くふりの方が時間が稼げる。

 女の風呂は長い。


 そんな訳で、夜中、むくりと布団から起き出して、わざとらしく独り言を言う私。



「……せっかく温泉があるのだし、寝る前にもう一回くらいいいわよね」

 


 風呂に行くと見せかけて部屋を出た。

 露天風呂で魔法の風呂敷から変装セットを取り出して、男装の変装をした。

 公爵邸の工房内の転送用魔法陣にはお土産のお薬とお金も用意してあるし、いつでも取り寄せる事ができる。


 風流な露天風呂からいざ、花街へ!!


 身体強化魔法を使い、竹で出来た目隠しの壁を驚異的な大ジャンプで飛び越えた。


 よし! 脱出成功。

 私は竹林の中を忍者のように駆け抜けて、花街へ向かう。


 夜なお灯りの落ちぬ花街へ到着!

 温泉宿の壁に花街への行き方の地図があって良かったわ。

 迷わずに来れた。


 ドキドキしながら赤く塗られた門を通る。


 沢山の男性が往来を行き交っている。

 和風建築の置屋が立ち並び、まさしく遊郭って雰囲気だ。


 川に架けられた橋も赤く塗られている。


 華やかな廓の雰囲気は漫画やドラマでしか見たことなかったから、そこにいるってだけで感動できる。

 木製の檻のような柵の向こうから遊女が手を伸ばして来た。



「そこな素敵な異国のお兄さん、遊んで行ってよ」


 囚われの遊女と言った雰囲気だ。

 哀愁を誘う。

 だが、男装をしているだけで、私は男ではなく女であるからして、買ってあげても、抱く事は出来ない。


 近くにある飴屋に寄っていくつか飴を買った。

 飴の包み紙に金貨を一枚隠して伸ばされた手に、「お菓子だよ」と言って、そっと握らせてあげた。



「飴? お兄さん、ありがとう〜〜」



 まだ中身を知らない遊女は儚さげな笑みで金貨入りの飴を受け取った。

 髪に飾ってある簪の花は椿だった。


 椿ちゃん(仮名)が飴の中身に気がつくのはいつだろうかと思いつつ、花魁のいる店を探す。

 花魁という、伝説的存在を、一目見たら、満足出来るはず。


 客引きの男に問う。



「とびっきりの花魁のいる店がどこか教えてほしい」

「旦那、そんなに金持ってるのかい?」

「一目見るだけでもいいんだ。旅行で来ていて、旅の記念に」

「ああー、なるほどね」


「そこな異国の旦那様、花魁に会いたいと……では、あちきがご案内致しんしょ」

「あなたは?」

「あちきは……日の出屋の天神、風花でありんす」



 位の高い遊女は自分の事を「あちき」か「わちき」を使い、それより下の遊女は「わっち」を使っていたと聞く。


 あちきで天神ともなれは位の高い遊女だ!

 なるほど、たおやかな雰囲気の美しい女性だ。

 大きく空いた襟から覗く首筋も色っぽい。

 小さい禿カムロと言われる少女も二人、お供につけている。


「よ、よろしいので? そいつは助かります」


 まるで時代劇に入り込んだ気分で話してしまった。


「はい、では、あちきについておくんなんし」

「はい!!」



 いいねえ〜このクルワ言葉!!

 盛り上がって参りました!!


 ウキウキで天神さんの後ろをついて行く私。

 マジでおのぼりさんの観光客だけど、まあいいよね。


 我々は立派な置屋前に着いた。



「こちらの日の出屋にとびきりの花魁がおりますえ」

「通常、花魁ともなれば、会ってお顔を見るだけでもお花代がいるのですが」

「払います」

「あら、そうでありんしたか」



 おや、意外。みたいな顔で微笑まれた。

 見るだけで良いなんて言ったから貧乏旅行者見えたかな?

 私は鞄から金貨の入った袋を取り出した。



「でもこの金貨、この国の通貨の小判に替えなくても大丈夫でしょうか?」

「それは大丈夫でありんす。勘定係がきちんとしますよって」


「そうですか、よかった」

「おや、ようこそ、いらっしゃいませ」



 年配の女性が出てきた。この店の女将か?


「おかあさん、こちらの旦那さん、花魁に会いたいそうでありんす」


「まあ、それはそれは、今、月夜花魁はお客様の御座敷ですが、もうじき戻りますよって、お待ちになられますやろか?」


 月夜花魁!!って言うんだ!


「はい、待たせてもらいます」


 ラッキー!!

 一晩、部屋で貸し切りえっちでなく、お酒を付き合ってるだけなのかな?

 抱くには高すぎるからお酒飲むだけの客も多いのかも。


「こちらのお座敷へどうぞ」



 私が女将に案内される途中で小さな禿が風花さんを呼びに来た。



「風花姉さん、お客様が」

「ほな、あちきはこれで……」

「あ、風花さん、案内ありがとうございます!」


 私はまた金貨を隠した飴の包みを、風花天神さんに手渡した。

 風花さんはにこりと笑って飴の包みを受け取って、静々と歩いて行った。


 お座敷で出されたお茶を飲んで、花魁を待つ。

 ややして一際華やかな女性が座敷に入って来た。

 花魁!!


「美しい……」



 素直に感嘆の声が漏れた。



「あら、そう言わはる旦那さんもえらい綺麗なお顔してはりますなぁ」



 今は男装の変装中だけど、かなりの美形の男に見えるようになっている。



「お、お酒を頼めば良いのかな? それとも料理を?」

「ではお酒とおつまみをいただきましょか」



 ゆったりとした所作で花魁は私の隣に座った。



「お酒、お注ぎいたします」


 花魁にお酌して貰えるなんて贅沢! 金持ち公爵夫人でよかった!!


 ひと口酒を飲んだ。

 あー、五臓六腑に染み渡る!!


 バン!! と、突如無遠慮にフスマが開けられた! 



「お、お客様、困ります!」



 お店の人が突然の乱入者を止めようとするが、その男というのが、



「え、エレン卿!!」

「また、こっそりと抜け出したと思ったら花街ですか? お戯れが過ぎますよ!」


「お、花魁を一目見たかっただけだから!」

「じゃあその願いはもう叶いましたね!?」



 エレン卿は花魁を一瞥した。



「花魁には会うだけでお金を、いや、花代払ってるから! せっかくだしエレン卿も楽しんで行けばいい!!」

「そんな訳にはいきません!!」

「あらまあ、異国の騎士様?」


「お騒がせして申し訳ありません。うちの者は過保護でして」

「あら……」



 私は花魁の手を取って、手の甲にそっとキスをした。



「では、迎えが来てしまい、仕方ないので、これにておさらばです」

「まあ、忙せわしない旦那さん、おさらばえ……」



 エレン卿は私に向かって眉を釣り上げて言った。



「何してるんですか! 本当に!」

「はーい、美女のお酌を楽しんでました〜!! 最高でした〜!!」



 私は最後に残りの金貨入りのお菓子をお座敷に七個全部放り投げた。

 かわいい禿達が慌てて拾った。

 さらに帰りぎわ、病気を治せるポーションもお店の女将に会って七個ほど渡した。

 

 これにて私のハポングの花街体験は強制終了となった。

 正直、もう少し、楽しみたかったけど、ちゃんと花魁にも天神にも会えたから、わりと満足!!



 * *


 ──その夜、金貨入りのお菓子と一口飲むだけで性病を治す魔法のお薬をばら撒いて、慌しく去って行った謎の異国の美男子の話は、しばらく花街界隈を賑わせたと言う──

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