糸口
第1話 五月二十七日(金) お母さんの死
お母さんが死んだ。交通事故だった。ジャスミンのむっとくる甘い香りがどこからともなく漂ってくる晩春だった。朝、普段と何も変わりなく、キッチンにいるお母さんの背中に行ってきますとつぶやきながら家を出て、その次に見たときにはもう息をしていなかった。
最後にきちんと向かい合って話をしたのがいつなのか、もう思い出せない。今、目の前にあるのは、色とりどりの花に埋もれ、今まで見たことのない奇妙なこわばり方をした顔。遠目にはただ横たわっているだけにも見えるのが、余計に違和感をあおった。悲しみも怒りも何も感じることはなく、それが私を動揺させた。
数少ない親戚たちが大慌てで駆けつけてくれた。お母さんのお姉さんは大阪から、お母さんの妹は夫と二人の子供たちを連れて千葉から。ふたりはときおり涙ぐむことはあったものの、むしろ呆然とした様子で棺の前に座っていた。お母さんは自分のお姉さんや妹とはなぜだか疎遠で、せいぜい数年に一度しか会わなかったからかもしれない。お母さんの両親は私が小さいころに亡くなっていた。お父さんの妹の彩おばちゃんも、お父さんのお母さんと一緒に九州から手伝いに来てくれた。
親戚よりはるかに数が多く、はるかに激しく率直に悲しみをあらわにしていたのは、お母さんが通っていたカルチャースクール仲間だった。彼女たちの途切れない嗚咽の中で、私は故人のひとり娘としていったいどういう顔をしていたら良いのかわからず、ひたすらうつむいていた。
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