第11話 七月   挑戦(challenge)  2

「なになに? みゃあにも見せてよ、イノりーん」

「うっせー、イノりん言う奴には見せてやらん」そう言いながらも祈は美弥にも見えるように免許を机の上に置く。「それよりもいんちょー、いつ取ったんだ? オレはてっきり夏休みに入ってから取るのかと思ってたが……」

「夏休みに入ると試験場混みそうだったからね。テスト終わった翌日に取りに行ったの。うまく一発で取れたんで良かったわ」

 それを聞いて祈は感心したようにうなずいた。

「はー、よくそんな根性残ってたな。オレなんかテスト終わった翌日、丸一日爆睡してたぞ」

「ふっふっふ、蒼乃はね、アンタなんかとは違うのよ」

「いや、なんでお前が偉そうなんだ?」

 美弥はなぜか蒼乃に変わってドヤ顔すると、机の上の免許を改めて手に取った。

「ねぇ蒼乃、原付免許って取るのって難しいの?」

「うん……祈が言ったように、運任せの一夜漬けじゃ無理だと思うけど、ちゃんと勉強すれば普通に取れると思うわよ。むしろ私には合格したあとの講習会の方が大変だったわ」

「講習会? なにそれ?」

「一時間半くらい、実際に原付のスクーターに乗ってみるのよ。でもこっちはバイクなんか乗ったことないでしょ。いきなり実地で、どこをどうすれば良いのか分からないのに、向こうはそれを知ってるつもりで話を進めるんだもの」

 実際蒼乃はウインカー操作で怒られた。ウインカー操作はハンドル根元の左右の切り替えスイッチで方向の指示を出すのだが、それは言われなくても分かった。だが戸惑ったのは、一度出したウインカーを止める方法だ。

 蒼乃はてっきりスイッチを真ん中に戻せば止まると考えたのだが、それでは止まらず、教官からさっさと止めろと怒鳴られたあげく、見かねた隣の合格者がウインカースイッチは押せば止まると教えてくれた。

 こんなことは毎日乗ってる人にすれば当たり前なのだろうが、逆に基本操作な部分だけに、これまでバイクに触ったこともない人間にすれば分かるはずもない。

「まぁ、その辺は試験場あるあるだな。文句があるならどうぞお帰り下さい。ただし免許は交付しませんけどねってな。殿様商売が通じるんだから、態度もでかくなるさ」

 苛立った蒼乃の顔に祈は苦笑を浮かべていたが、一転その顔を真面目なものへと変え、蒼乃に訊ねた。

「でもいんちょー、免許とれってすすめたオレが言うのもなんだが、免許取って親に何か言われなかったか?」

 その瞬間蒼乃の表情が曇った。

「……まぁ、いい顔はされなかったわね。でも取っちゃったものはしょうがないでしょ?」

「その言い方だと、確信犯だな?」

 祈の問いかけに、蒼乃は答えずに黙って無糖の缶コーヒーをすすった。

 実際祈の言うとおり、蒼乃は親に一切相談せずに免許を取った。未成年の場合、教習所へ通うには親の承諾書しょうだくしょが必要だが、原付は試験場で試験を受けるだけなので親の承諾しょうだくは関係ない。

 事前に話そうが話すまいが、良い返事などもらえるはずがないことは分かっていたので、蒼乃は免許を取得してから事後承諾じごしょうだくの形で両親に免許を取得したことを話した。

 当然両親はいい顔をしない訳だが、それでも兄のバイクの処分は自分に一任されていること。その価値を確かめるには自分で乗ってみないと分からないこと。さらに免許を取ったが、それがバイクを乗ることに直結していない、身分証代わりの免許証だと言う理屈で両親を説得した。そして何よりも祈に言ったように、取ってしまったのだから、最早どうしようもない。

 そして両親にしても、息子の遺品の処分を娘に丸投げしたと言う負い目があった。

 結果父親は面白くなさそうに席を立ち、母親とはそれ以降いこう冷戦状態が続いている。

 蒼乃自身覚悟はしていたが、両親との間に感じていた隔意かくいみぞは、より一層広くなったなと思っている。

 祈も気まずそうにペットボトルのスポーツ飲料を一口含むと、ため息をついた。

「こればっかはいつの世でも同じなんだよな。車の免許には文句を言わなくても、なぜかバイクだといい顔しないんだ。大体原付なんて車のオマケ免許で乗れるんだぜ。普通免許あれば黙ってても乗れるのに、それを反対する理由が分かんねーよ」

「きっとバイクに乗ると、イノりんみたいな不良ヤンキーになると思われてるのよ。イノりんは昭和か! って言うだろうけど、みゃあ達の親はその昭和に生まれてるんだもの」

「オレは不良ヤンキーじゃねえって言ってるだろうが。そもそもいんちょーは学年主席トツプだぞ。それが不良とか、ジョークネタにしたって寒すぎるぜ」

 美弥の言いざまに祈は吐き捨てるように応じるが、そんな祈の言葉に蒼乃は狼狽したような声を上げた。

「ちょ……祈、な、なんで私が学年主席トツプって……」

 確かに今期のテストの結果、蒼乃は全教科全てで一位を取り学年主席になったが、それを知ったのは蒼乃自身、返却されたテストを確認したからだ。

「ん? いんちょー今回のテストで学年主席トツプだったんだろ? もうみんな知ってるぜ」

「そうよ。そもそも蒼乃は本来慶華女学院こんな学校くるような人間じゃないの。学年主席くらい当たり前よ」

「だから、何で慶華女学院こんな学校にいるお前が、そんなに偉そうなんだ?」

 またもなぜか胸を張る美弥に、ツッコミを入れてる祈に蒼乃は身を乗り出して言った。

「祈、みんな知ってるってどう言うこと? 私だって自分が主席ってこと知ったの、ついさっき……全テスト返却後なのよ?」

「んー、いんちょー達は外部生だから知らねーだろうけど、昔から『慶女てれぐらふ』って名の慶華女学院ウチ独自の情報伝達システムがあるんだよ。大きいところでは生徒会選挙や修学旅行の行き先とか、学校が発表する前に結果が知れ渡ったり、小さいところだと○月×日に誰が他校の誰とデートしてナニした、とかな。すでに一組の尾上おのうえがいんちょーにライバル宣言したとか、そんな情報も流れてるぜ?」

「……うわ……一組の尾上……。蒼乃も面倒な奴に目をつけられたね」 

「誰それ? 私知らないけど、みゃあの知り合い?」

 美弥が祈の言葉に反応するのを見て、蒼乃は美弥に訊ねるが、美弥は小さく首を振った。

「みゃあだってたいして知らないよ。尾上は内部生だもん。なんかすごい面倒くさい優等生って話し。多分イノりんのほうが知ってると思うよ」

 美弥の話で蒼乃の視線がこちらを向くのを見て、祈は肩をすくめた。

尾上麗奈おのうえれいな。一組のクラス委員なんだが自ら立候補して就任した、ってそう言う生徒ヤツ。中学時代から学業成績は常にトップクラスの優等生」

「でもトップじゃないんだ?」

 思わず問いかける美弥に、祈は自嘲混じりの苦笑を浮かべた。

慶華女学院ウチは一貫校だけど、全員高等部うえへ進学する訳じゃないからな。お前らが外部生で慶華女学院ウチに来たように、外部生になって慶華女学院ウチから出て行くヤツもいる。最優秀なヤツは大抵外部の進学校を受験するんだ。一流の国公立東大狙うにはそっちの方が有利だろ」

「……つまり尾上は最優秀エリートではない、ってこと?」

「興味ないから知らねー。ただ尾上自身、慶華女学院慶女から現役国公立に行くのが夢だ、って中学の頃から言ってたから、外部進学を蹴って本気で残留したのかもな。まぁ、とにかく『そう言う優等生』だ。二学期の生徒会選挙で生徒会入りするのは確実らしいぜ」

 それを聞いて蒼乃は頭を抱えた。そもそも蒼乃自身、尾上麗奈の顔も知らなければ、学業成績の優劣を競う気も全くない。そんな自分に勝手に好敵手ライバル宣言されても、とっさにあなた誰? とか言いそうだ。

 確かに今回のテストで蒼乃は学年首席トツプになったが、蒼乃にすれば失敗した受験の意趣返いしゅがえしのつもりで、いつも以上に勉強したからだ。それがこうそうしただけで、蒼乃は別に学年首位の座が欲しかった訳ではない。

 むしろ蒼乃は今回のテストでは、頑張りすぎたと密かに反省している。蒼乃の理想で言えば、学年十位前後にいさえすれば良かったのだ。高校入ってすぐの定期テストの順位など自己満足以上の意味はない。重要になるのは進路を問われる、二年の二学期以降だ。

「ご愁傷様しゅうしょうさまだな。でもまぁ、ウワサだから気にすんなよ」

「そうそう。仮に向こうが宣戦布告せんせんふこくしてきても、蒼乃が無視すればいいんだよ。誰も蒼乃を外部生の期待の星だなんて思ってないって」

外部生期待の星なんてそう言う話が出てるのね……最悪」

「あれ? みゅあ追い詰めちゃった?」

 きょとんとした表情で美弥は祈に目を向けると、祈がおごそかにうなずいた。

「追い詰めたな。介錯かいしゃくはお前がやれよ。オレは知らん」

「ひどい、見捨てるつもり? それでも友達なの?」

「お前とお友達になった覚えはねぇな」

「もう、イノりんは恥ずかしがり屋さんなんだから。そんなことじゃ蒼乃に嫌われちゃうぞ? でもみゃあはイノりんのこと大好きだからね」

「あー、もう! お前は黙れ! 暑いんだから、くっつくな!」

 祈はわざわざ椅子を寄せてまで抱きついてくる美弥を手で押しのけると、話題を変えようと机に突っ伏している蒼乃に声をかけた。

「と、とにかくいんちょー、念願の免許を取った訳だろ? 細かいことは気にせずに、NS-1には乗ってみたのか?」

「んーん、まだよまだ」祈に問われた蒼乃は机に突っ伏したままうめくように言った。「公道に出るには最低限の道具ギアが必要だから、それ買わないと、乗れない」

「最低限の道具ギアって?」

 蒼乃の言った意味が分からず、訊ねてくる美弥に祈が言った。

「ヘルメットと手袋ライディンググラブのことだな。他にも専用のジャケットやシューズやらいろいろあるが、ヘルメットと手袋ライディンググラブは必須だ」

 その瞬間今まで突っ伏していた蒼乃がガバッと身体をあげた。

「ヘルメットは、まぁなんとかなりそうなんだけど。問題は手袋グラブなのよ。あれ、どこで買えば良いの?」

「普通はバイクショップだろうが……このへんにそんな良いものあったかな? ちょっと記憶にないな」

「ホームセンターで売ってるかしら? もしくはカー用品店」

「どうだろう? あんまり売ってるイメージないけど……いっそとりあえず軍手で急場をしのぐって手もあるぞ」

「そう言えば試験場の講習は軍手でやったわね」

「ネットは?」そこへ美弥が口を挟み、蒼乃と祈は美弥に目を向けると、美弥はスマホをいじっていた。「ネットショップ密林で、バイクグローブで検索するといっぱい出てくるよ」

 ホラと言って美弥が差し出したスマホを、蒼乃は受け取り画面をスワイプする。

「ホントだ……しかも意外と安い……」

 画面を操作しながら、感心したようにつぶやく蒼乃。上を見ればきりがないが下は下で千円半ばで購入できる。千円のグラブがどれほど信用できるかとも思ったが、以外とレビューの評価も悪くはない。

「でもけっこうゴツいわね」

「転倒した時に手を保護するプロテクターがついてるからな」

 祈も席を立つと、蒼乃の背後からスマホの画面を覗き込んだ。

「お、それいいな。値段も千五百円ちょいだし、そのメーカーは評判いいんだ」

「へぇ、祈はこう言うかわいいのが趣味なんだ」

「おい、かわいいって何だよ! バイクグローブにかわいいも何もないだろ!」

「いや、このグラブに入ってる赤のラインが良いのかなって。祈だったらこっちの無地の黒をチョイスするかと思ったんだけど」 

「それ言ったら、こっちの方がかわいいと思うぞ」

「あ、確かに。これもいいわね。これは迷うわ……」

 美弥のスマホを二人で操作しながらあれこれ講評こうひょうする二人の背後で、美弥が不満げに声をあげた。

「ちょっとぉ、それみゃあのスマホだよ! みゃあにも見せてよ!」

 だがその声が届いてないのか、祈は蒼乃と会話を続けた。

「それがいいんじゃね? そのままポチッちゃえよ」

「あ、でもこっちもいいわよ。どうしよう?」

「こらぁ! みゃあのスマホで買い物するな! そしてみゃあを無視するな!」

 蒼乃の肩を抱くようにスマホの画面を覗き込んでいた祈に、美弥はそう叫んで背後から飛びかかると、その勢いに押されて祈は蒼乃におおかぶさった。

「おいおい何すんだよぉ」

「ちょ、重い……どいて……」

 二人分の体重がかぶさりうめく蒼乃をよそに、祈は笑いながら美弥に抗議こうぎする。その態度を見ても、今までの行為が美弥をイジるためのものだったのは明かだ。

 さらに蒼乃も上の祈を押しのけると、クスクス笑いながら背後を振り返った。

「ごめんんなさい、みゃあ。冗談よ冗談」

「謝っても遅いもん。みゃあをのけ者にして。みゃあだって、蒼乃に協力したいんだよ」

 むくれてそっぽをむく美弥に、蒼乃は改めて頭を下げた。

「本当にごめんって。おびに今日の帰りコンビニでアイスおごるわ」

「蒼乃と祈で、二つだからね」

 だがそれを聞いて、祈が不満そうな声を上げた。

「えー、オレもかよ」

「イノりんもなの! と言うかイノりんが主犯じゃない、蒼乃はイノりんにノッただけじゃん! イノりん、ハーゲンダッツ高いヤツね」

「アイス二つも一気食いすると、腹壊すぞ。無理せずスイーツにしとけよ」

「やだ! どうせイノりんの言うスイーツって、コンビニの百円スイーツでしょ! 絶対高いアイス! そして蒼乃はみゃあが選んだグローブを買うの!」 

 美弥の主張を聞いて、蒼乃は苦笑を浮かべた。

 こうなると美弥は頑固だ。生半可な意見は聞く耳を持たない。こう言うときは理屈をいても無駄で、美弥の意見を尊重しつつ軌道を修正するしかない。

「分かった分かった。でも私のお金で買うんだから、私の意見も少しは聞いてよ? それから高いのは勘弁ね。ただでさえ免許取って、今月お金ないんだから」

「ふつ、仕方なかいから考慮こうりょしてあげる。みゃあの寛大かんだいさにに感謝してよ」

 鼻で笑って胸を張る美弥。そんな美弥に祈があきれたように言った。

「だから、何でお前はそう偉そうなのか、オレは根拠を知りたい」

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