第10話 七月   挑戦(challenge)  1

 七月に入ると、慶華女学院も定期テスト一色となった。

 慶華女学院の定期テストは年三回。それぞれの学期末に行われるため、仮に前期テストで敗北しても、それを後期テストで挽回することができない背水の決戦場だ。

 蒼乃としても、これが慶華女学院に入学しての最初の戦場関門だけに、万全の体勢でことに当たららなくてはならない。

 特に蒼乃は慶華女学院に入学できすくわれたとは言え、受験で失敗している。この上さらに敗北するようでは、今後自分の未来に期待が持てなくなるだろう。

 蒼乃はバイク免許取得のことを一時封印すると、定期テストと言う名の島へ向けて頭の羅針盤らしんばんの向きを変えた。

 一方で蒼乃の交遊録こうゆうろくには、瀬鹿祈と言う新たな名前が加わった。

 蒼乃にすれば当初はNS-1のアドバイスの礼を言った程度の認識で、その後話す機会もないだろうと思っていたが、気がつけば始業前の時間に祈と話をするようになっていた。

 何しろ美弥はいつも遅刻ギリギリで登校してくるため、基本的に登校時間は蒼乃とずれている。

 そして祈は登校時間が自分と近いようで、今までは気にも止めていなかったが、朝の昇降口でばったり出くわすケースが多く、そうなれば一緒に教室に向かうのは至極当然しごくとうぜんの流れだ。しかも祈はその後、当たり前のように蒼乃の隣の席に腰を下ろす。

 そうなれば蒼乃とて祈を無視する理由はない。大抵は祈が一方的にしゃべるだけだが、蒼乃自身それが楽しくもあり、気がつけば休み時間、放課後と顔を合わせている時間が延びていった。

 しかもそんな蒼乃と祈の関係に反応して、美弥も今まで以上に絡むようになり、一緒にテスト勉強をする頃には、笑いながら互いの悪口を言い合うほどの関係になっていた。

 そしてテストも終われば、後は夏休み一色になる。特に蒼乃ら一年生にとっては初めての高校の夏休みだ。テストが終われば基本学校へ来るのはテスト講評こうひょうの二日間と終業式だけで、実質夏休みの開始だ。 

 だがそれは同時にしばらくの間、せっかくできた友人達と顔を合わせる機会の喪失そうしつでもあった。特に蒼乃、祈、美弥とも部活に所属していないので、次に学校で顔を合わせるのは九月になるかもしれない。

 つまり一月半の間、誰からも干渉されない時間を作ることが可能なのだ。はっきり言って一月半もあれば、何が起きても不思議はない。それこそこの間に淑女の協定レディースジヤツジに対する卑劣ひれつな裏切り行為を働くには十分な時間だ。

 それこそ女の友情よりも男への愛情に目覚める輩が現れるのは、毎年の風物詩と言える。

 ちなみに慶華女学院では、隠語スラングで八月を裏切りの月、残酷な月とよぶ。

 それを未然に防ぐためには、夏休み前のこのわずかな時間が重要なのだ。

 テスト講評最終日の放課後、教室には大多数のクラスメイトが残り、あちこちで昼食を取ったり持ち込んだお菓子でサヨナラテスト、ウエルカム夏休みのパーティを開いていた。

 内部生だった祈にすればこの様子は通常運転なのだろうが、外部生の蒼乃と美弥はこの様子に半ば呆然ぼうぜん半ば感心しながらコンビニで買ったパンをかじっていた。

「本当に、みんな帰らないのね……」

 サンドイッチをつまみながら驚きのこもった口調でつぶやく蒼乃に、祈はコンビニの幕の内弁当を食べる手を止めた。

「これが通称淑女協定レディスジヤツジな。友情こそ至高。抜け駆けをさせず許さず防止せよ、ってな。何しろウチは女子校で異性に免疫がないから、大抵休み明けに一つ二つややこしいことになる」

「あたしなんか中学の時、夏休みは結構男子と遊びに行ったよ? 映画とか遊園地とかゲーセンとかカラオケとか」

 美弥もカルチャーショックを受けたのか、菓子パンを食べる手が止まっていた。

「おい、命が惜しければその口閉じてろ。今男子の話題をふるのは、聖職者の前で悪魔の誘惑受けましたって宣言するようなもんだ。吊し上げ魔女裁判食らうぞ」

「うわー、生々なまなましい。でも何でみんな教室に残ってるの? 友情確かめたければファミレスでも行ってやれって言うのよ」

「何言ってるんだ? 当然ファミレスでも同じことやってるぞ。だけど学院から行ける範囲のファミレス、ファーストフード店はたかが知れてるし、収容人員も限られるからな。あそこは二、三年上級生の縄張りで、下級生オレ達は教室で友情を確かめてるしかないんだよ」

「こんなことを毎年中一から高三まで続けるなんて、女子校も結構大変なのね」

 蒼乃はそんなことをつぶやきつつ好物のフルーツサンドを平らげると、缶の無糖コーヒーに口をつけるが、そんな自分の姿をなんとなく奇妙な生き物でも見るような祈の視線に気がつき首をかしげた。

「なんか、祈って私達がご飯食べてる時、時々妙な顔するよね? 私が食べてる物って、もしかして祈キライなの?」

「でもみゃあ達、そんな変な物食べてるかな? 今日みゃあは菓子パン」

「私はサンドイッチ」

 だがそんな蒼乃と美弥に、祈は恐縮きょうしゅくするように言った。

「気にしてたなら悪ぃな。別にオレはお前らが食べてる物はどうでもいいんだけど、その際飲む飲み物が、ちょっと気になってな……」

「んー、あんパンに牛乳」

「サンドイッチとコーヒー」

 二人は互いに主張すると顔を見合わせて言った。

「まさにベスト・マリアージュじゃない。これがおかしいなんて、イノりんこそ舌バカなんじゃなーい?」

 美弥に揶揄やゆされて、思わず祈が憮然ぶぜんとなる。祈だって彼女ら二人がマリアージュと呼称こしょうしたくなるのも理解はできる。

 だが美弥の場合、パンに白牛乳は小学生の給食メニューだし、ただでさえデカイ胸をうまくもない牛乳でさらにデカくして、望みは何だと叫びたい気分に駆られるのだ。そして蒼乃の場合飲んでるのはコーヒとは言え、無糖のブラックコーヒー。祈にすればただただ苦い飲み物など、飲む意味が理解できない。

「なんかの罰ゲームと言うのなら理解もできるが……」

 思わず小声で愚痴ぐちる祈に、あんパンを食べ終わった美弥がその指を突きつけた。

「大体それを言うなら、イノりんこそおかしい。ご飯物にスポーツドリンクってどう言う組み合わせよ! 説明を求める!」

「イノりん言うな! それから人を指さすな! 行儀ぎょうぎが悪いぞ」

「まぁ行儀ぎょうぎに関して言えば祈が正しいけれど、でも実際ご飯物なら普通はお茶でしょ。今コンビニ行っても、へたすればソフトドリンクよりもお茶の方が充実してるじゃない」

 だがそう問いかける蒼乃に、祈は不機嫌そうに言った。

「茶なら、家に帰れば山のようにもらい物があるんだ。家でただで飲める茶を、何で金出して買わなきゃならないんだよ。せっかく金払うなら、オレは安全策よりも冒険を選ぶ」

「つまり結局舌バカチャンピオンはイノりんってことね」

「だからイノりん言うなー!」

 祈は美弥に手を伸ばして頭を掴むと、そのままヘッドロックに移行し、持ってた割り箸で美弥の頭を小突きまくる。

「イタイイタイイタイイタいー、ちょっとやめてよイノりーん。恥ずかしがらないで~」

「まだ言うかこの性悪しょうわるクソニャンコが! てめぇ、さては牛乳飲むことでさらにちちを大きくして、その爆乳ばくにゅうで人民を支配するつもりだろ」

「ふっ、分かってしまっては仕方ないわね。イノりんのような貧乳ひんにゅうは私の支配下では奴隷よ奴隷。ひれ伏すが良い、そしてこのみゃあ様をたたえなさい!」

「クソ、言っておくがオレは貧乳ひんにゅうじゃねぇ、きちんと日本人の平均だ」

「フ、そう言ってるけどイノりん、日本人の平均カップサイズ知ってるのかしら?」

 美弥の言葉に一瞬祈が硬直する。そのすきをついて美弥は祈の手から逃れるとことさら大きく胸を張った。

「フフフフ……みゃあの統治下では九〇のF以下は価値はないのよ。蜂に胸を刺してもらって出なおしてきなさい!」

「貴様倒す! 我が全身全霊ぜんしんぜんれいを持って全世界のペタンヌのために駆逐してやる!」

 そう言って対峙たいじする美弥と祈。そこへ蒼乃が手を叩いて言った。

「はーい、もう仲良いのわかったから。ご飯の続き食べるわよ」

 その声に祈も美弥も黙って席へ戻ると、何もなかったのように昼食を再会する。

 ちなみにこの三人の中で一番のペタンヌは、蒼乃だ。背は高いものの全体的な肉付きが薄いので、形容するなら電信柱であり、蒼乃に比べれば祈はまだマシだ。

「なんだかんだ言って、あなた達仲良いよね」

 食事を再会した二人を見て、蒼乃はしみじみとつぶやくと、二人は同時に声を上げた。

「どこが!」

「誰が!」

「そう言うところが」

 蒼乃自身、祈と親睦しんぼくが深まったのは歓迎だったが、同時にこれまでつちかってきた美弥との仲を危惧きぐしたのも事実だ。

 蒼乃にすれば美弥は同じ中学からきた同窓どうそうの外部生で、慶華女学院で始めてできた友人だ。それがもしも蒼乃が祈と仲良くなることでその関係が破綻はたんすれば、蒼乃としても実に決まりが悪い。

 だが現実にはそんな蒼乃の危惧きぐをよそに、今では美弥と祈がじゃれてるところに蒼乃がツッコムと言う関係が構築できたのは、蒼乃にすれば僥倖ぎょうこう以外の何物でもなかった。

 蒼乃に指摘されてつまらなそうにそっぽを向く二人を横目に、蒼乃は食べていたサンドイッチの包装紙をコンビニ袋に詰め込むと、財布から一枚のカードを取り出して机の上に置いた。

「これ」

 そう言って置かれたカードに最初に反応したのは祈だった。祈はカードを見るなりつまらなそうな表情を一変させ、ひったくるように机の上に置かれたカードを手に取った。

「おいおい、マジかよ? やったじゃん、いんちょー」

 そう言って興奮したように手の中のカードを見る祈。それは紛れもなく原付の運転免許証だった。

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