第5話  六月   出会い(encounter) 5

 思わず驚きの声をあげる美弥に、祈は意外そうな表情を浮かべた。

「よく知ってるな。ちなみに中古なら二、三台は楽に買えるぞ。でもそれは完品ならな」

 それを聞いて蒼乃と美弥は顔を見合わせた。バイクの知識のない二人では、祈の言った意味が具体的に分からない。

「これは実際見た方が早いな」祈はそう言うと自分のスマホでNS-1の画像を検索すると、そのまま机の上に置いた。「いんちょーの画像と比べてみな。少し違う部分があるだろ?」

 言われて蒼乃と美弥は二つのスマホ画像を比べると、その差はすぐに分かった。

 蒼乃の方のNS-1には、フロントカウル下の外装カウルが欠落している。

「この部分がないと、走るのに何か問題はあるの?」 

 そう訊ねる蒼乃の口調には不安の色が強い。もしそれが交通法規に触れていて、公道を走ることができないなら、いくら希少なNS-1もただのガラクタだ。

 だがそれに対して祈は首を振った。

「いいや、別に何の問題もない。NS-1エヌワンオーナーの中には、ネイキッドって言ってカウルを着けないで乗ってる人もいるくらいだしな。このまま走っても警察に捕まるようなことはないよ。それにNS-1エヌワンのカウルは社外品ならいくらでも手に入るから、簡単に修理できる。でも、このNS-1エヌワンは現在完品じゃない。それはマイナスに査定されるってことだ」

 祈の言葉はジャンカー趣味の蒼乃には十分理解できる。未使用でも開封されてるだけで価値が下がる。はっきり言って新品未開封以外、値段は二足三文となる。それがジャンクの世界だ。

 仮に外装の箱が潰れているだけでもジャンクだし、商品が完全にぶっ壊れていても、同じくジャンクだ。ジャンクとは完全に玉石混交ぎょくせきこんこうの世界であり、買い手次第で石にも玉にもなる。その中から自分にとっての玉を探すのがジャンクの楽しみでもある。

「どれくらい引かれるの?」

NS-1エヌワンくらい古くなると、多少のカウル割れは仕方無いって言えるけど、全くの欠品となるとなぁ。……それでも十万ちょいくらいの値段設定なら、多分ソッコーで売れると思う」

 その値段なら、中古のサイドカウルを買って自分で再塗装すれば、最も安い完品の値段よりやや安いと言うところだろう。性能は変わらないのだから、ジャンクと言う条件は売り手にはかなり不利に働く。

 それでも十万と言う金額は蒼乃には魅力だ。厳選げんせんすれば新品の4Kモニターと4K対応グラフィック・ボードをセットで手に入るかもしれない。

 十万あれば、相当選択肢が広がる……。

 頭の中で新PCの構想を夢想していた蒼乃に、祈が肩をすくめて言った。

「でもまぁ、エンジンがかからなきゃ話にならないからな。エンジンのかからない不動車ふどうしゃなら、買い叩かれるぜ。だからまずは帰ったら、エンジンかけてみなよ」

「でも私、免許持ってないんだけど……」

「免許が必要なのは、公道を走る時だけだよ。自分ちの庭とか駐車場とか公道じゃない場所なら、何しようが関係ない」

 エンジンのかけ方ならオレが教えてやる。祈はそう蒼乃に言ったあと、ちょっと逡巡しゅんじゅんするようにわずかに目を泳がせ、そんな祈の仕草に蒼乃が気がついた。

「瀬鹿さん、どうしたの?」

「うーん、こんなこと聞いていいのか分かんねーけど……。なぁいんちょー、このNS-1エヌワンをあんたが引き継ぐと言う選択肢はないのか?」

 祈の言葉に、蒼乃は小さく首を振った。祈の言いたいことは分かるが、どれだけ希少なオートバイでも免許のない蒼乃には宝の持ち腐れでしかない。

「……確かに兄の形見だし、処分することに抵抗はあるけど、そもそも私、免許持ってないから」

 だがそう言う蒼乃のに対する祈の反論は簡潔を極めた。

「取りゃいいじゃん。いんちょー誕生日いつよ?」

「五月だけど?」

「もう十六になってんじゃん。NS-1そいつの免許とったら?」

 おもわず蒼乃の表情が硬くなる。蒼乃の感覚では、バイクに乗りたいから免許を取るのであって、乗りたくもないバイクのために免許を取ると言うのは何かが違う。本末転倒だ。

 それに免許を発効する日本政府だって、ただで免許をくれる訳ではない。

「瀬鹿さんの言いたいことは分かるけど、免許を取るにはお金も時間もかかるんでしょ? 残念だけど私にはそのどちらもないから」

「まぁ、確かに中型や小型原二免許を取るとなると、十万から二十万近い費用もかかるし、教習所も通わなきゃならんから、それなりの時間はかかる。でも原付なら一日で取れるし費用も一万しないぞ」

 原付と言えば五〇cc未満の排気量のオートバイだ。そんなオートバイの免許取っても、根本的な解決にならない。

 蒼乃がそう祈に言おうとした瞬間、こともなげに祈が言った。

「いんちょー気づいていないかも知れないが、NS-1は原付だ。原付免許あればNS-1に乗れるぜ」

「は? 原付? 原付ってあの五〇ccの?」

 思わずマヌケな声を上げる蒼乃に、美弥が驚いたように言った。

「わ! 蒼乃のそんなアホ顔を初めて見たかも」

 美弥の言いように蒼乃の顔に不機嫌そうな表情が浮かぶが、美弥はそれに気づかないふりをして祈に話しかける。

「原付って、あれでしょ? スクーターとか道路の端を走ってる小さなバイク」

「あと新聞屋が使ってるカブとかな。あれも原付だ」

「……あのオートバイが五〇なんて嘘でしょ……。スクーターが馬なら、あれは象じゃない」

「いや蒼乃、いくら何でも馬と象を比べる方がおかしいよ……」

 蒼乃のもらした言葉に、美弥はさすがにあきれたような感想を述べるが、実際問題として蒼乃の抱いた印象は、まさに馬と象である。

 実際NS-1と一般のスクーターを比べると、全長でNS-1の方が二〇センチは長いから、同じ排気量の車種とは思えないほど大きさに差がある。

 だがそれを見て、祈は感心したようなうなずいた。

「へぇ。NS-1エヌワンはその大きさにおったまげるって言うのは、NS-1エヌワンのあるあるなんだが、どうやらホントなんだな。NS-1エヌワンは発売当時は世界最大、今でも国内では最も大きい原付だから、街乗りスクーターと比べればはるかにデカイのは事実なんだが……それにしても馬と象とはすごい表現だ」

「でもそれくらい大きさに差があるって感じたの。少なくても同じ排気量とは思えないわ」

「つまりそれもNS-1エヌワンの魅力なんだろ。中型クラスの大きさのバイクを、普通免許についてくるオマケ免許で運転できるから、NS-1エヌワンは本格的にバイクを乗ってみたいって人の入門用のバイクとしても最適と言えるらしい。NS-1エヌワンで練習して、より大排気量のバイクへのステップアップする、みたいな?」 

「……そうか……原付だから、車の免許で乗ってたのか」

 祈の言葉に、蒼乃は合点がてんが言ったと言うようなつぶやきをもらした。

 これで両親を含め、誰も兄の白杜がバイクを所持していたことを知らなかった説明がつく。兄はバイクの免許を取った訳ではなく、普通免許でNS-1に乗っていたのだろう。

 いくら一年に一度会うか会わないかだったとは言え、両親と仲違なかたがいをしていた訳ではないのだから、普通は新たにバイクの免許を取得すれば一報くらいは入れるはずだ。

 だが兄がそれをしなかったのはNS-1が自動車のオマケ免許で乗ることができる原動機付き自転車だったからだろう。成人し、独立したが兄わざわざ自転車・・・を買ったなどと両親に報告するはずもない。

 母親は兄が秘密裏ひみつりにバイクに乗っていたと不満そうにしていたが、兄にすれば普通免許で乗れるバイクなど、わざわざ話すまでもないと判断したのだろう。

 兄の取った行動を~承服しょうふくし納得している蒼乃に、祈が逡巡しゅんじゅんしながらも提案を述べる。

「オレはいんちょーの身内じゃないし、こんなことを言う筋合いもないんだが、乗る人がいないって理由だけならいんちょーが免許取って、とりあえず乗ってみてもいいんじゃないか? 原付とは言えNS-1エヌワンが希少なバイクなのは確かで、今後価値は間違いなく上がるし、エンジンがかかる可動車かどうしゃなら買い手もすぐに見つかる。今すぐに金が必要とか言うなら別だが、そうじゃないなら、しばらく手放すのを待ってもいいと思うけど」

「でも乗ったら、価値下がるんじゃないの?」

 祈の言葉に美弥が口を挟むが、祈はそれに首を振った。

「それはない。むしろNS-1エヌワンクラスの希少車きしょうしゃなら、ほこりまみれで保管するよりきちんと走らせていた方が買い手がつく。少なくても乗ってれば、何か問題が起きてもすぐに気がつくから、買い手にすればその情報は買う際の安心材料になる」

 NS-1は二五年以上前の旧車に分類されるバイクだ。だから不具合が発生するのは決して珍しいことではない。重要なのは壊れることではなく、何がどう壊れているかだ。

 それさえ分かれば直すのは難しいことではない。たとえ純正部品はなくなっていても、代用できる部品を探すことはいくらでもできる。

 しかもNS-1のエンジンは、もっとも構造が簡単シンプルな二ストローク単気筒エンジン。構造だけなら、あの壊れないことで有名なカブよりも簡単なエンジンだ。維持すること自体、さほど難しい車種でもない。

「どう考えても高校生には過ぎたバイクがロハで手に入っているんだ。とりあえず免許取って、乗ってみてもいいんじゃないか? それではまらなければ、改めて売ればいい。免許取得にかかった金も、NS-1エヌワン売った金で取り返せるし、取得した免許は超一級の身分証としてなんにでも使えるから、損はないと思うぞ」

「ふーん。でも原付免許って、簡単に取れるの?」 

 バイクとは全く関係のない美弥の方が、興味深げに祈に訊ねた。

「原付はペーパー試験と、受かったら実地講習だった、かな?」

「試験って、難しいの?」

「時間は確か三〇分で、合格ラインは五〇問中四五問。試験は記述式じゃなくて、○×だから解けないってことはないだろ。でも試験についてはこう言われてる」

 祈はそう言うと、偽悪ぎあくそうな笑みを浮かべた。

「決して難しくはないが、勉強しないで取れるほど易しくはない、ってな」

「なにそれ?」

「勉強すれば十分取れるが、だからと言って運で取れるほど甘くはないってことだ。ちなみに落ちると受験者全員の前で名前呼ばれて退室させられるらしいから、かなり恥ずかしいらしいぞ」

「それってさらし者ってこと? それに人前で名前を呼ぶって、完全にプライバシーの侵害じゃない!」

「オレもそう思う。とは言え免許センターなんて、それがいやなら来るなって言う、お役所商売の最右翼だからな。免許欲しければ免許センターに行くしかないうえ、競合する同業他者がいない。しかも経営してるのは日本政府だから潰れることは絶対にない。やりたい放題し放題ってことだ」

「なにそれ? ムカツクわね」

「お前SNSとかやってんだろ? ネットで思いっきりブッ叩けよ」

「やーよ。ムカツクたびに大声を張り上げて、それでを通して勝ち誇るなんて、悪質なクレーマーじゃない。それに名前を呼ばれるのは不合格者なんでしょ? それにちゃんと勉強すれば免許取れるんなら、ちゃんと勉強して合格すればいいのよ」

 祈から挑発めいた視線を向けられた美弥だが、それに対してむしろ胸を張る。

「みゃあなら、一発で合格して勝ち誇って免許をもらうわよ。そしてネットに、『一発合格よ!』って書き込んでやる」

「おー、頼もしいねー。ちなみに原付の合格率は八〇パーセントらしいから、一発で合格してもそれほど威張れないと思うぞ」

「それならなおさら引けないじゃない。それで免許って、どうやって取るの? 原付も教習所みたいな場所あるの?」

 美弥の問いに祈はあっさりと首を振った。原動機付き自転車・・・のせいかは知らないが、原付免許のための教習所と言うものは存在しない。乱暴な方法だが、原付の場合免許を取った後、公道で実地で覚えるのが現実だ。

「本屋に行けば教本売ってるから、それを買って勉強しろ。ところで……何? お前も免許取るの?」

「まさか! 取るのは蒼乃でみゃあはその応援よ」

 みゃあは元チアリーディング部だからね、と意味もなく胸をはる美弥。ただでさえ大きな胸がさらに強調されるのを見て、蒼乃と祈はおもしろくなさそうに互いにそっぽを向いた。


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