第4話  六月   出会い(encounter) 4

「このオートバイなんだけど、瀬鹿さん、なんて名前のオートバイか分かる?」

「んー、もうちょいこっち向けてくれ」

 祈は未だに美弥を卍固めオクトパス・ホールドに捕らたえままなので、角度を合わせないとうまく画面が見えない。蒼乃は言われるままにスマホを傾けると、その瞬間祈は美弥を放り出し、代わりに蒼乃のスマホを奪い取った。

「おお……この丸目二灯に単気筒の一本出しは、ホンダのエヌワンじゃん!」

 スマホを手に取るなり興奮気味の祈の口元に楽しげな笑みが浮かぶ。

「エヌワン? そう言う名前なの?」

 祈の卍固めオクトパス・ホールドから解放されて教室の床でカエルのように潰れている美弥を助けおこしながら、蒼乃は顔を祈に向けた。

「いや、正式にはHONDA NS-1 後期型。ホンダにはNSって名がつくバイクが他にもあるから、それと区別するためNS-1はエヌワンって呼ばれているんだよ」

 そう言いながら、祈は嬉々として祈のスマホの写真をながめている。

赤白ロスホワイトのカウルにシルバーグレーのフレームだから、乗せ替えていじつてないなら九五年式じゃないかな?」

 だがそれを聞いて蒼乃は驚いた。九五年と言えば今から四分の一世紀も前になる。

 美弥のスカートの埃を払っていた蒼乃は、思わず声を上げた。

「九五年って一九九五年? それって前世紀よ? そんな古いオートバイなの?」

「あんた、昭和好きだからってテキトー言ってるんじゃないの?」

 ここぞとばかりに美弥も祈を|糾弾きゅうだんするが、そんな美弥に祈は顔を近づけると言った。

「誰が昭和好きだ。それに九五年は昭和じゃねぇ。平成だ」

「うっさいわね! それに九五年って言ったら、ただのポンコツじゃない!」

「素人がえるな。今でも二、三〇年前のバイクなんか、いくらでもそこらを走ってるわ。むしろコンピューターを搭載している現代のバイクの方が、寿命が短いんだよ。エラー一つで全部メーカー送り。メーカーで修理ができなくなれば、廃車にするしかねぇ。仮に直せても、コンピューターがそれを不正改造と認識したらエンジンがかからん。それに比べて旧車は、壊れても社外品パーツがあれば、いくらでも修理が可能なんだ。新聞屋が使ってるカブを見ろ! あれなんか三〇年、四〇年ものがいくらでも走ってるぞ」

 祈の主張には蒼乃にも理解できる部分はあった。蒼乃は一応ジャンカーの端くれだ。

 そんなジャンカーにとって、壊れたら直せばいい、は聖句せいくだ。逆に壊れても直させずに買い直させろ、と言うのは企業の傲慢ごうまんでしかない。

「オートバイにとって九五年製と言うのは、普通に使える物なの?」

 蒼乃の確かめるような問いに、祈はうなずいた。

「もちろん車種や状態にもよるけど、NS-1ならまだ部品もあるし、大丈夫だろ」

「でもNS-1って古いは古いオートバイなんでしょ? そんなのに価値ってあるの?」

 思わず疑問口調になる蒼乃。だがそんな蒼乃に祈はあっさりと言い切った。

「十分あるな。ライダーならこのNS-1に乗りたい奴は大勢いると思うね。そんくらい貴重なバイクだよ。状態によるが、当時の新車価格よりも高い値がついた車両はいくらでもあるぞ」

「へぇ、そうなんだ……」

 ため息をついてスマホの写真を見つめる祈をよそに、蒼乃の反応は薄い。はっきり言って、蒼乃にはバイクの差異さいなど分からない。正直祈の言うこのNS-1も、外見からなんとなく速そうなオートバイだなとしか思っていない。

 実際その感想は美弥も同じだったらしく、祈が見ているスマホの画面を横から覗き込みながら、首をひねった。

「見た目はやたら丸っこいし、ライトも目みたいで、なんか人の顔っぽい変なバイクだと思うな」

「まぁ、今はこう言うフルカウルのレーサーレプリカは生産されてないからな。でもNS-1の価値は外見じゃなくて、積んでるエンジンなんだよ」

「エンジン?」

「そう。今や幻の二ストロークエンジンだ。これはどんなに金を積んでも、手に入れられない幻のエンジンだぜ。何しろ一九九九年に法律によって、車両用の二ストは絶滅したからな。この先二ストエンジンを積んだバイクと言うのは、二度と生まれてこない。NS-1コイツは、もう二ストエンジンの未来はない、そう分かっていながら開発された、最後の二ストバイクなんだ」

「でも規制されたってことは、だめなエンジンだからでしょ。そんな感動すること?」

 祈に卍固めオクトパス・ホールドをかけられ、ひどい目にあった美弥の祈に対する言動は辛辣しんらつだ。だが祈はスマホを蒼乃に返すと、そのまま自分の席に座りため息をついた。

「バイクのエンジンには、二ストロークエンジンと四ストロークエンジンの二つがある。そして二つを比較すると、四ストより二ストの方が部品点数が少なく、軽く小さくコンパクトに作れる上、四ストに比べると大きな出力を得られるって特徴がある」

「それっていいことばかりなのでは? ましてや部品点数が少なければ、整備しやすくて経済的にも有利じゃないの? 瀬鹿さんの言う二ストエンジンが忌避きひされる理由にはならないと思うけど?」

 自分の言葉に不思議そうな表情を浮かべる蒼乃に、祈は驚きのこもった表情を向けた。まさかバイク素人のNS-1も知らなかつた蒼乃が自分のつぶやきに、こんな的確な感想を口にするとは思ってもいなかった。

 もっともジャンカー趣味の蒼乃にすればこの手のことは常識だ。機械は部品点数が多ければ多いほど、壊れる箇所かしょが増えてくるし、壊れ方も複雑多岐たきにわたる。直す側からすれば、構造がシンプルな方が直せる確率が増えるし、費用もかからない。

 そんな蒼乃に、祈の口元にこれまでにない楽しげな笑みが浮かんだ。

「いんちょーの言うとおり、それは二ストの利点だよ。けど二ストにはそれらの利点を補ってあまりあるほどの欠点があったんだ」

「欠点? どんな?」

「二ストは四ストに比べると、地球にまったく優しくないエンジンなのさ。同じ排気量なら四ストよりも高出力なんだが、うるさくて、白煙がすごくて、燃費が悪い。カーボンニュートラルが叫ばれる時代に、完全に逆行するエンジンなんだ。これらを何とかしようにも、構造上の問題だからしょうがない。何しろ四回転で一回の爆発ですむ四ストに比べれて、二ストは二回に一回の爆発だからな。ガソリンは食う、爆音は大きくなる、エンジンの冷却と潤滑にオイルをぶっかけ、それが不完全燃焼して白煙を出す。この白煙が大気を汚す。いんちょー子供の頃にいなかった? やたら白煙吹き上げて走るうるさいバイク」

「そう言えばいたわね。あれって暴走族なんでしょ?」

違うちげーよ! 二ストエンジンを搭載したバイクは、みんなああなんだよ。だが四ストに較べれば二ストは軽いし回るし速いしで、とにかくピーキーで面白かったからたとえ煙くてもうるさくても燃費が悪くても、みんな二ストに乗りたがったんだ。何しろ競技車レーシングマシーンに匹敵する市販車コマーシヤルタイプみたいなのがいくらでも走っていたからな。まぁ結局はそれのやり過ぎで、しまいには競技者レーサーでもなきゃあつかえないレベルのバイクまで市販して社会的問題になって自爆。最終的には、二ストの命運を終わらせちまうんだけどな」

 蒼乃も美弥も、祈に速さを追求するあまり競技車モデルレーサーレプリカどころか本物の競技車レーサーマシーンに保安部品をつけて市販したと聞かされ、さすがにあきれて顔を見合わせた。

 こんなバイクなら問題になるのも当然だろう。公道をサーキットと勘違いする奴が出てくるに決まっている。

 結果二ストバイクは全世界的ムーブメントになっていた排ガス規制の名の下、日本では一九九九年の法規制を経て二〇〇六年に完全に絶滅した。現在二ストエンジンの使用が認められるのは、草刈り機やチェーンソーなどの農機具だけである。

「あーでも分かるなー。今でもいるじゃん、煙幕みたいな煙吐いてるバイクとか、うるさいバイクとか。あれってスゲー迷惑だよね。まじ未だに暴走族とかやってるのって感じ」

 美弥の意味深いみしんな視線を受けるが、祈は不機嫌そうに言い返した。

「言っておくが珍走団の連中の爆音は、わざと出してるか、ただの整備不良だからな。二ストエンジンのせいじゃねーぞ。あんなのと一緒にするな。そもそも二ストバイク自体、もうほとんど走ってねぇよ」

「でもうるさいと言うことに関してはどっちも同じだし、さらに煙くて臭いが追加されるんだから、それって暴走族以下ってことじゃん」

「そんなことは二スト乗ってるオーナーが一番分かってるんだよ。何しろ二ストバイクが世に出た時から問題になっているんだからな。だから、いつか生産終了するそんな日が来ることは覚悟してたんだよ。実際メーカーも二ストバイクでは一九九九年の規制基準はほとんどクリアーできない、仮に出来ても次の規制で絶対にやられる。その状態では何をやっても二ストでの利益を上げられない。だから一九九九年規制の際に各社揃って二ストの生産を打ち切ったんだ。そんな中唯一ヤマハで一車種だけ一九九九年規制をクリアしたが、次の二〇〇六年規制はクリアーできずに、結局生産を終了した。NS-1エヌワンってのは、そんなどう考えても一九九九年に規制されること絶滅が分かっている中、発売された最後の二ストバイクだ」

「じゃ日本では二ストロークエンジンは禁止なの? そんなバイクを乗ってもいい訳?」

「製造も生産も禁止だけど、所持は許されてる。つまり今走ってる二ストバイクは、法律の施行前の奴だから、乗ることはかまわないんだ」

 それを聞いて蒼乃が口を挟んだ。 

「二ストロークエンジンを積んだオートバイを乗ることはできても、新しいのを買うことはできない、と言う訳ね。でもNS-1は法律施行前に生産されているから、乗ることができる」

「だから二ストバイクのNS-1エヌワンは希少でスゲーバイクな訳。特にNS-1エヌワンは最後の最後に生産されたレーサーレプリカだからな。ホンダが戦後培ってきた二ストバイクの技術の集大成が詰まってるって話だ。そんな話し聞いたら、乗ってみたくない訳がないだろ。バカっ速だけど嫌われ者だった二ストバイク。それを最早絶滅が確定してる中、どんな未来を夢見て開発されたのか。少なくてもオレは興味があるし、乗ってみたい」

 まだ免許ないから、乗れないけどな。そう言って笑みを浮かべる祈の表情に、蒼乃は少なからず魅了された。そしてそれは美弥も同様だったらしい。

「瀬鹿って、思ったよりもロマンチストなんだねぇーえ。ヤンキーのくせに、なんか意外」

「うっせーぞ、ネコ! それから人を気安くヤンキー呼ばわりすんな!」

「ならあんたも、みゃあのことネコって呼ばないでよね。そんなとこからでも、みゃあのプライバシー流出することあるんだから」

「はぁ? プライバシー?」

 美弥の言った意味が分からず、祈は怪訝そうな顔をする。だがそれを見て蒼乃が祈に説明した。

「あ、この娘SNSとかいろいろやっていて、結構フォロワーとかもいるみたいなの」

「そうよ、これでもいろいろと気をつかうのよ」

 蒼乃の言葉になぜか自慢げに胸を張る美弥。だがそれをみて祈は、率直すぎる感想をもらした。

「アホらし。気を使わなきゃならないなら、そもそもそんなことしなきゃいいだけだろ。好きでバカ顔晒して、炎上とか意味わかんねー」

「いいでしょ! 人の趣味に文句ををつけないでよ! このヤンキー!」

 食ってかかろうとする美弥を、祈は美弥の頭を片手で押さえていなした。身長で言えば蒼乃ほどではないが、祈も美弥よりも高い上に手足が美弥よりも長いので、美弥が掴みかかっても祈には手が届かない。祈は腕一本で美弥の攻撃を制しながら、顔を蒼乃へ向けた。

「いんちょー、オレも聞きたいんだけど、このNS-1エヌワンどうしたんだ? NS-1エヌワンのことをオレに聞きに来たくらいだから、いんちょーのじゃないんだろ?」

「ええ、まぁ。実はそのオートバイは兄の形見……なのかな……」

「は? 形見? もしかしてオレ、悪いこと聞いた?」

「そうよ、蒼乃に謝れヤンキー! けどその前にまずはみゃあに謝れ!」

「……いえ、そんなことはないから気にしないで。そもそもオートバイのことを聞きたがったのは私だし……」

 ぎゃーすかわめいてパンチを繰り出す美弥を制しながら、蒼乃は昨日のNS-1が家に来ることになった経緯を手っ取り早く祈に話した。

「兄の形見と言うのは分かってるんだけど、結局家では誰もオートバイに乗らないから。このまま家に置いておいても場所を取るだけだからって、処分方法を調べてって親に一任されたのよ」

「つまりはオークションクオクやフリマサイトで売っ払うにも、車種が分からないでは適切な値段も提示できないし説明文も書けないから、NS-1エヌワンを知りたかったってところか?」

「その通りなんだけど……瀬鹿さんは軽蔑けいべつする?」

「いや別に。どうせ売るなら少しでも高くってのは、オレでも考えるね」

 手に入った形見を速攻そっこうで売り飛ばそうとしていることに、蒼乃自身内心忸怩じくじたる思いを感じているのだが、祈はそれには何も触れずに、腕を組んで目をつむると少し考え込んだ。

「そうだな……。全く問題なしに走れる整備済みのNS-1エヌワンをバイクショップで買えば、乗りだし四〇万前後かな。オクやフリマだと、完品でエンジンかかって譲渡書類じょうとしょるい揃っていて廃車してあって走って止まれるのが問題ない状態で 二〇万以上が今の相場だな」

「二〇万って、新品のスクーター買えるよ!」

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