第3話  六月   出会い(encounter) 3

「え? ……まさか瀬鹿せがさん?」

 だがそれを見て呆気にとられたのが蒼乃だ。この列の最後列に座るのは瀬鹿祈せがいのりと言う名の生徒だが、祈はこののんびりとした校風の慶華女学院おいて、珍しくやんちゃとされる生徒だ。

 脱色したショートボブの髪に、制服無視のTシャツにパーカーはもちろん校則違反だ。

 ちなみに慶華女学院の指定の制服は、礼装がYシャツにブレザー、学年色のネクタイ。略装がブラウスにリボンタイで、紺のベストか校章が刺繍されたクリーム色のセーターかカーディガンだ。今は時期的に夏服なので、蒼乃はYシャツにベスト、美弥はブラウスにサマーセーターを着用していた。

「まさかみゃぁあの娘って、瀬鹿さんと交流あったの?」

 驚きに思わずついて出る疑問。祈は内部生だから、外部生の美弥が接点を持つとすれば慶女に入学してからと言うことになるが、少なくても蒼乃がそんな様子を感じたことは今までない。

 むしろ性格的に言えば、どちらかと言えば派手で目立ちたがりの美弥にすれば、祈のような斜に構えて他者を威圧するようなタイプは苦手なはずだ。

 だが美弥はそんな蒼乃をよそに、祈に話しかけた。

「ねー瀬鹿ぁ、ちょっと聞きたいことあるんだけど、いい?」

 窓の外を眺めていた祈は、美弥の声に頬杖をついたまま百八〇度視線をずらす。

「なんだ根古谷ネコか……。なんだよ? 聞きたいことって」

「あんた、バイクのこと詳しいんでしょ? 教えて欲しいことあるの」

 その途端、明らかに祈の頭が頬杖からずれてガクンと下がった。

「ちょっと待て。なんでオレがバイクに詳しいってことになってるんだ?」

「だってあんた、ヤンキーでしょ。ヤンキーはバイクに詳しいんじゃないの?」

「ヤンキー=バイクって、お前はいつの時代の人間だ? お前の頭の中は昭和か?」

「じゃぁ、知らないの? もう、使えないヤンキーね」

「おまえ、けっこー命知らずだな」

 あ、みゃああの娘、死んだわね。

 祈の口元に酷薄な笑みが浮かぶのを見た蒼乃は、美弥の死を予感して顔を背けた。

 次の瞬間祈は立ち上がると素早く美弥の背後に回り込み、背後から美弥の頭を押さえつけると自分の右足を美弥の首にかけ、その体勢のまま美弥の左腕を掴んで身体を引き起こしてそのまま腕を自分の右脇で挟み込んだ。

「いだだだ! 痛い痛い!」

「ちなみにこれが今は亡き昭和の名レスラーにして参議院議員も勤めた、燃える闘魂アントニオ猪木の得意技『卍固めオクトパス・ホールド』な」

 正式にはさらに自分の左足を相手の足に絡めるのだが、そこまでやると全体重が相手の身体の上に乗るのでシャレにならない。

「しょ、昭和のレスラーって、アンタの頭の中こそ昭和じゃないの! 離しなさいよ、この昭和ヤンキー!」

「ほう? 平成生まれの野良ネコは口の利き方がなってないなぁ」

 言いながら祈はじわりと体重をかけると、美弥はさらに大きな悲鳴を上げた。

「ぎゃぁぁぁ! 痛い痛い! 身体折れちゃう~、ギブギブギブ」

「それで、バイクの何が聞きたいって? ほれ、言ってみな」

「な、何よ! ヤンキーはバイクとは無関係なんでしょ? いいから早く離しなさいよ、このヤンキー!」

「いいか、駄ネコ、二つ言っておく。一つ、オレはヤンキーじゃない。二つ、そしてオレはバイクに詳しくないと言った覚えはない。いいから、聞きたいってこと言ってみな? 言わないとこの無駄にデカイ乳、揉むぞ?」

「やめろ! ヘンタイセクハラヤンキー! このサイコパスのレイパー! 訴えてやるからね!」

「……もっと恥ずかしい技かけてやろうか? 試したい技はいくらでもあるぞ、この野郎」

「ふぁ~、やへれぇ~……あおにょ~、たひゅけて~」

 ロリっぽくはあるが美弥の顔立ちは十分愛らしい。その顔をむにむにと祈に引っ張られ、美弥は蒼乃に助けを求める声を上げた。

 それを見て蒼乃は大きくため息をつくと、覚悟を決めて恐る恐る祈に声をかけた。正直に言えば、蒼乃も祈のようなやんちゃタイプは、美弥以上に苦手なのだ。

「あの……ごめんなさい瀬鹿さん。オートバイについて聞きたいのは、みゃあでなくて私なんだけど……」

「……いんちょーがバイク?」 

 蒼乃の声に、祈は美弥に卍固めオクトパス・ホールドをかけたまま肩越しに振り返った。

 いんちょーと言うのは、蒼乃につけられたニックネームだ。その謂われは入学式当日、担任が当座の仮のHRホームルーム委員を、蒼乃に命じたことにある。

 担任が蒼乃に命じた理由は簡単で、ただ単に蒼乃の姓が阿仁で出席番号の一番上だったからだが、当時はクラスとして新たな顔ぶれが集った直後であり、誰もが新しいクラスメイトの名と顔を覚えるのに必死だった。

 そんな中、与えられた役職とぴったりの容姿をしていれば、誰もが役職名で呼ぶことを選ぶ。

 いかにも真面目メガネキャラの蒼乃が、委員長と呼ばれるのは一瞬で決まった。その呼び名も今ではさらに呼びやすく、いんちょーとはしょられるようになっている。

 ちなみにクラスには後に決まった正規のHR委員がいるのだが、すでに委員長の呼び名を蒼乃が占めていたので、普通に名前で呼ばれている。

 一方で蒼乃は、いんちょーと呼ばれることに抵抗を感じていない。

 それどころか阿仁と言う蒼乃の姓は、敬称がつくと違った意味に聞こえ、思春期の頃になるとむしろ苦痛に感じていたほどだ。

 いくら何でも「あにさん」とか「あに君」とか「あにさま」と呼ばれては、からかわれてるとしか思えない。これではまるで十二人も妹がいる昔のゲームの焼き直しだ。

 しかも困ったことに蒼乃の身長は、一七二センチと女性にしては長身なのだが、身体のメリハリは身長とは裏腹にまったくない。つまり蒼乃が男の格好をすれば、十分男として通じてしまう。

 現在の蒼乃の容姿である、細い銀フレームのメガネに腰まであるさらさらロングヘアーと言うのも、外見を気にして、なるべく男性要素を外見から外した結果だ。

 正直自分の阿仁と言う性は、今の蒼乃にとって笑いを取れる武器ではなく、ただのコンプレックスを刺激する原因に過ぎなかった。

「いんちょーにバイクそんな趣味があったとは意外だな」

「趣味じゃなくて、ただ知りたい車種があるだけで……」

 口元に冷笑を浮かべてそう言う祈に、蒼乃は慌ててポケットからスマホを取り出すと、昨日左前方から撮ったバイクの写真を祈の顔の前に突き出した。

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