第2話  六月   出会い(encounter) 2

 私立慶華女学院しりつけいかじょがくいん。それが蒼乃が進学した高校の名だ。

 一般には中高一貫の校則のきびしい典型的なお嬢様女子校と言う事になっているが、生徒も教師も比較的のんびりとした性格の者が大多数を占めるせいで、きびしいはずの校則も空振り気味。就職率も進学率も特筆はなく、三年ほど前に学園創設以来初めて現役東京大学進学者が出て大騒ぎなったと言う、その程度の学校だ。

 通学する生徒もほとんどが内部からの持ち上がり組で、高校から新規で入校してくるのは全体の二割ほど。蒼乃はその数少ない二割組だった。

 ちなみに慶華女学院では、持ち上がり組を内部生ないぶせい、高校からの編入へんにゅう組を外部生がいぶせいと呼ぶのが通例だ。その慶華女学院の一年四組に蒼乃は在籍している。

 翌日の昼休み昼食を食べ終えた蒼乃は、窓際の一番前の自分の席でスマホを机に置いて、左指でかけているメガネのフレームをはじきつつ、右手でくるくるとシャーペンを回しながら思案にれていた。

 もちろん考えているのは、家に置いてあるバイクのことだ。

 母親から兄のバイクの処分を頼まれた蒼乃は、夕食の後ネットでバイクの処分方法などを当たってみたのだが、そこで得た結論は熟慮じゅくりょが必要だと言うことだ。

 それこそ何も考えたくなければ、そのままバイク業者に連絡を入れて引き取ってもらうのが一番手っ取り早い。

 だがそうなると、どれだけ費用がかかるか分からない。母親は売れればその時は自分の取り分にして良いと言ったのだから、正直なるべく安売りは避けたいし、ましてや足が出るなど論外だ。

 ネットのオークションやフリマサイトを見たところ、そこで取り引きされている車体の金額には、車種によっても天と地の差ほどの開きがある。

 蒼乃にすれば、せめて今から自分が手放そうとする車種の相場そうばくらいは、知っておきたいところだ。

 ところが蒼乃は、肝心かんじんの車種が分からない。車体のロゴからホンダ製のバイクと言うのは分かったが、ホンダのバイクはオークションサイトでももっとも出品数が多い。

 その数実に六千台以上。他のメーカーのバイクの出品数に比べれば、倍近い。

 バイクのことなど何も知らない蒼乃にとって、六千台の中から手がかりもなしに今家にあるバイクと同じモデルを探すと言うのは、河原でなくした宝石を探すような物だ。

「せめて型番でも分かればなぁ……」

 思わずつぶやいた蒼乃の手から、回していたペンがポロリと落ちて床に転がった。

 一応見える範囲で車体を調べたが、蒼乃に見つけられたのはHONDAのロゴだけで、手がかりになるような物はなかった。

 もしかしたら、何か曰くのあるオートバイなのかな……。

 そんなことを考えながら、床に落ちたペンを拾おうとした蒼乃に、落としたペンが差し出された。

「なーに? 考え事?」

 蒼乃が顔を上げてみれば、そこにいたのはもう片方の手にパック牛乳を持った、明るい茶色の髪を後方で二つツーサイドアツプに結ったかわいい顔立ちの少女の姿だった。名を根古谷美弥ねこやみやと言う。

「あ、ゴメンね、みゃぁ」

「別にいいけどさ」

 美弥はそう言ってペンを蒼乃の机の上に多くと、誰もいないのを良いことに隣の席へ腰を下ろした。

 美弥は蒼乃と同じ数少ない外部生どころか、同じ中学の出身者だ。もっとも中学の頃は互いのことなどほとんど知りもしなかった。

 中学時代、蒼乃は学業優秀な優等生の一角を占めていたし、一方の美弥はチアリーディングに部に属し、どちらかと言えば部活中心の生活を送っていた。

 しかも二人とも一度も同じクラスになったことはなかったから、面識などなかったのだ。

 だが蒼乃が受験に失敗して慶華女学院に通うことになると、そこには美弥がいた。

 もともと内部生の多い慶華女学院で、数少ない外部生、しかも同じ中学出身ときては必然的に結束することになる。中学では同じ学校に通いながら互いの存在すら認知していなかった二人だが、高校入学後一週間で休み時間に言葉をかわすようになっていた。

 ちなみに美弥は、高校では部活動に参加していない。慶華女学院にはチアリーディング部もあるのだが、入学以来顔を出したこともないそうだ。蒼乃はそのことを以前美弥に尋ねたのだが、その時美弥は「土台ベースをやるには身体が小さい。上に乗るトツプを張るには身体が大きい。それにあたしは他人を応援するより、応援される方がどうやらスキ」と答えていた。

 そんな美弥の身長は一五〇後半だから、ごくごく平均的な身長なのだが、アスリートの世界だと、それは中途半端を意味するのかもしれない。

「なに? みゃあはまた牛乳飲んでるの?」

「にゃはは……これだけはいつ行っても購買に売ってるからね」

 そう言って屈託くったくのない笑みを浮かべ、美弥はパック牛乳にストローを突き刺す。

 蒼乃の言ったみゃあと言うのは美弥のニックネームだ。姓が根古谷だけに、そのまま名前の美弥がネコの鳴き声に変化したらしいが、蒼乃にはよく分からない。少なくても親しい人間にはそう呼ぶように強要きょうようしているので、当人はこのニックネームが気に入ってはいるのだろう。

「おのれ……そんなに育っていながら、まだ育て足らないの……」

 蒼乃はパックの牛乳をちうちう吸う美弥の胸元に目を向けながら、恨みがましくつぶやいた。

 身長で言えば、蒼乃は美弥よりも十五センチは高い長身の持ち主だが、胸のサイズははるかに美弥の方が大きい。それこそ男性向け雑誌の巻頭写真グラビア掲載けいさいされてもおかしくないぐらいにでかい。

 以前好奇心から美弥に胸のサイズを聞いた蒼乃は、美弥の口から出たありえない数字に、アホなことを聞いた自分の愚かさとこの世の不条理を心底痛感したことを覚えている。美弥はチアをやめる理由に、上に乗るトツプを張るには身体が大きいと言っていたが、どう考えても大きいのは身体ではなく胸だろう。

「で、蒼乃はどうしたの? なんか難しい顔をして。なーに? なんか悩み事?」

「んー別に悩みなんかないわよ。次の授業の予習を確かめようとペンを握っていただけ」

「いいからさっさと白状しろ。誤魔化ごまかそうとしてるの、バレバレだぞ」

 視線を美弥の胸元から机の横に提げた鞄に向けようとした蒼乃は、美弥の言葉にその動きを止めた。

「は?」

 恐る恐る視線を自分へ向け直す蒼乃に、美弥はストローを口にくわえたまま得意そうに笑みを浮かべた。

「自分では気づいてないかもだけど、蒼乃って悩んだ時ペンの回し方変わるんだよ」

 美弥はそう言うと机の上に置いてあったペンを手に取った。そしてそのペンを指に挟んだまま指を小器用こぎように動かすと、ペンは人差し指と小指の間を滑るように移動し、それを二度繰り返したところで今度は人差し指を支点に、親指ではじいてくるくる回す。

「分かった? 最初のペン回しは蒼乃が暇を潰す時の回し方。後のはなんか考え込んでる時の回し方。授業中難しい問題を解いてる時、人差し指で回してるよ」

「……よく気づいたわね……」

「まぁみゃあの席からだと、蒼乃の席よく見えるから」

 美弥はそう言ってどうだ、とばかりに笑みを浮かべるが、正直しょうじき美弥の観察力と洞察力の高さは蒼乃も舌を巻いている。

 多分中学時代のチアリーディング部でつちかわれたのだろうが、現在の美弥の趣味でもその能力は磨かれている。

 美弥はことあるごとに、何かしらをつぶやいては写メを撮り、それをネットワーク空間にばらまいている。蒼乃にすればそんな一女子高生のあげる情報を誰が見るのかと思うが、意外にもフォロワーの数は多いらしい。

 おそらく己の持つ観察力と洞察力を駆使して、今一番受けるであろうネタを、効率よくネットの海に投下してるのだろう。

「で、蒼乃は何を悩んでるの?」

「まぁ、たいしたことではないんだけど……」

 実際たいしたことではないしな。蒼乃はそんなことを考えながら、昨日家に来たバイクのことを話そうとして、気がついた。

 美弥はSNSをやっていて、何人かは知らないが、かなりのフォロワーがいると言う。それならその中に、バイクに詳しい人がいる可能性は十分ある。

 蒼乃は昨日の話を包み隠さず美弥に話すと、そのことを美弥に訊ねた。

「うーん、みゃあもバイクのことはなーんも知らないなぁ」

 美弥は蒼乃がスマホに撮ったと言うバイクの写真を見ながら首をかしげた。

「元からみゃあの頭の中には期待してないわよ。でもあなたには百万のフォロワーがいるんでしょ? そん中にオートバイの悩みに答えてくれそうな人はいないの?」

「にゃははは……蒼乃、いくら何でも百万はオーバーだよ」

「私としても、こっちの言うことを聞かせるためののつもりだからね。現実にフォロワーが百万もいたらさすがに引くわ」

 蒼乃の言ってることもかなりひどいが、美弥は別段べつだん気にした様子もなく立ち上がった。

「でもまぁ、分かった。みゃあには分からないけど、バイクに詳しい人なら心当たりあるから聞いてみよう」

「お願いよ。もしも高く処分できたら、何かおごるから」

「約束したよ」

 美弥は鼻歌交じりに立ち上がると、蒼乃の座る席の最後列へ歩いて行く。そこには一人の生徒が、つまらなそうに頬杖ほおづえをついて外を眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る