私の青いカラス

咲蘭さくら

第1話 六月   出会い(encounter)  1

 四月に入学した女子校の生活にも慣れた六月のある日、学校から帰宅した阿仁蒼乃あにあおのは家の庭に見慣れない物が止まっているのに気がついた。

「何で、家の庭にオートバイがあるんだろう?」

 蒼乃は首をかしげながらも、とりあえず通学に使っている自転車から降りると、あらためて庭に置いてあるバイクに近づいた。

 競技車レーサーマシーンのような丸みを帯びた外装カウルは赤と白に塗り分けられ、リアカウル後部にある緑の大きなワンポイントが特徴的とくちょうてきだ。だがそんな外見に反して、二つの丸目のヘッドライトが愛らしい。

 蒼乃はバイクに関して何も知らない素人だが、それでもそのちから、いかにも速そうなバイクだなと思える。

 だがそうなると、なんでそんな物が家の庭に置いてあるのかが不明だ。

 一瞬いっしゅん誰か家に客でも来ているのかと思ったが、それなら庭に止めることはない。普通は家の前に止めるだろうし、道路端どうろはしにはそれくらいのスペースはある。

「まぁ、私には関係ないか……」

 蒼乃はそう口に中でつぶやくと、バイクに背を向けた。そもそも蒼乃は免許を持ってないし、今後も取る予定はないのだから、興味が引かれることもない。

 蒼乃は自転車のカゴに放り込んでいた通学かばんを手に取ると、玄関の引き戸を開けた。

「ただいまー」

 そう言って中に入ると玄関に客の靴はなく、あったのは母親の物だ。母親がこの時間にいるのは珍しい。何かパート先でヘマでもしたのだろうか。

 蒼乃の母親がパートに行き始めたのは今年の春からなので、いくら何でもそろそろ戦力になっていてもいいはずだ。

 蒼乃は靴を揃えて家に入ると、かばんを持ってとりあえずキッチンへ向かう。母親がいるとすれば、おそらくキッチンのはずだ。

「母さん、ただいま」

 キッチンに入るなり声をかけると、あんじょう母親は流しで皿を洗っていた。

「おかえりなさい、蒼ちゃん」

 いつもとかわらぬ穏やかな声。だが学校から帰った自分に背を向けたままだ。

 蒼乃は別段べつだん両親とうまくいってないわけではない。こうして挨拶もするし、顔を合わせれば会話だってする。ただ蒼乃はそこに隔意かくいを感じていた。そしてそうなってしまった原因も理解している。

 多分それは自分のせいなのだろう。蒼乃は小さなため息とともに首を振った。

 今年の冬、兄の白杜はくとが事故で死んだ。

 兄とは一回り以上年が離れていたし、兄自身蒼乃が小学生に上がる頃には、受かった地方の大学に通うために家を、さらに就職もそっちでしたため、顔を合わせるのは一年に一度がせいぜい。

 蒼乃の思うところ、決して強い繋がりを感じる関係ではなかったはずだが、その直後の高校受験に蒼乃は失敗した。

 そしてその事実に一番ショックを受けたのが、おそらく両親だ。ただでさえ息子を亡くした上、娘の受験失敗。両親からすれば兄の死で、蒼乃が実力を発揮はっきすることができず、そんな状態で受験にのぞませた自分達の責任とでも思いこんだのだろう。

 蒼乃が両親との間に、何かみぞを感じるようになったのはそれからだ。

 さいわいに受験の方は二次募集をしていた近場の女子校に合格することができたのだが、当然当初の志望校と比べれば知名度も進学率もかくも下だ。

 もしかしたら本来行くはずの高校とは違う高校へ行っている娘の姿を、あまり見たくないのかもしれない。だからそれまで専業主婦だった母親が、蒼乃の高校進学と同時に急にパートに出るようになった。蒼乃は、そんなことも考えていた。

 蒼乃はとりあえずかばんを手近な椅子の上に置くと、母親に訊ねた。

「母さん、庭のオートバイ、どうしたの?」

白杜はくとのなんですって」

「兄さんの? 兄さんオートバイ乗ってたの?」

 意外な答えに思わず蒼乃は聞き返す。これまで兄が帰省きせいにバイクを使ったことはない。いつも新幹線だったので、バイクに乗れることなど知りもしなかった。

「母さんも知らなかったわ」母親は変わらず蒼乃に背を向けたまま、不満そうに言った。「どうも向こうで乗ってたらしいけど、友人に貸していたらしいわね。白杜はくとの友人って方が見えて、長い間借りていたことをびて置いていったわ」

「置いて行かれても、うちじゃ誰も乗らないんじゃないの?」

「母さんもそれを話して、持って帰ってもらおうと思ったんだけど、税金とか保険とかいろいろ問題があるんですって。それに廃車はいしゃの手続きをしてないオートバイを他人が乗ってると、盗難の疑いがかかるそうよ」

 貸し主がいるならともかく、その貸した人間がこの世にいない以上、バイクを借りたと言うことを証明することは簡単ではない。誰だってそんな面倒ごとに巻き込まれる可能性のあるバイクに乗るのはゴメンだろう。

「そうすると、私らが処分しなくてはならないってこと?」

 蒼乃の問いに母親は無言で肯定こうていを伝え、蒼乃は面倒めんどうくさそうにため息をついた。

 はっきり言ってこんなこと、母親はもちろん父親だってやりたがらないだろう。結果あのバイクは、野ざらしのまま庭のオブジェと化す線が濃厚だ。

 だがそれはあまりにもしのびないと言える。本当に亡くなった兄が所有していたなら、それは紛れもない兄の形見だ。

 きちんと保管するか、できないのであれば、きちんと維持いじできる人に継承けいしょうしてあげるべきだろう。少なくてもこのまま雨ざらしにしてサビかたまりにして良いとは思えない。

 蒼乃はかばんを台所の椅子の上に置くと、そのまま居間をつっきって庭に面した縁側えんがわへ出た。

 蒼乃の家は父親の趣味の日本家屋風建築なため、ほとんど畳敷たたみじきな上、縁側えんがわも完備している。

 蒼乃はその縁側からサンダルを履いて庭に出ると、置かれているバイクに近づいた。

 蒼乃のとぼしい知識では車種名は分からない。あまり見たことがない丸目二灯まるめにとうを備えた赤いフロントカウル、白地に赤と紺のカラーがほどこされたタンクに、尾部びぶの後端に緑のワンポイントが入ったリアカウル。

 バイク外装の形状もそうだが、そのカラーリングからして、いかにも速そうに見える。

 バイクの車体の左から一本。そして右側の同じ位置にもう一本レバーがあり、さらに折りたたみ式のレバーもあるが、これは何のためのレバーだろう?

 位置的に言って足で操作するのは確かなようだが、これまでバイクに興味を持っていなかった蒼乃には、どのように使われる物か分からない。

 シルバーグレーのフレームに包み込まれた半艶の黒いセミブラックのエンジンには、HONDAの刻印があるから、多分このバイクはホンダのバイクなのだろう。よく見ればタンクにもHONDAのロゴがある

「そう言えばホンダは、自動車だけでなくオートバイも作っていたんだっけ」

 蒼乃は座り込んでむき出しのエンジンを眺めながら一人つぶやくが、正確な生産の順序で言えば、ホンダは自動車よりもバイクの方が先だ。

 ホンダの創業者の本田宗一郎ほんだそういちろうは、戦後最初に取りかかったのがバイクであり、自動車の製造に取り組んだのは、バイクレースで世界を取ってホンダの名を不動の物にしてからだ。

 蒼乃はしばらくエンジン周りをのぞき込んでいたが、何がどうなっているのか、何一つ分からずにため息をついた。

「やっぱりパソコンとは全然違う……」

 現在の蒼乃の趣味はパソコンだ。それもソフトウェアではなく、壊れていたり古くなって捨てられたパソコン本体をちょこちょこいじって、改造したり修理したりする、いわゆるジャンカーと言う奴だ。ちなみに高校入学のお祝いとしてパソコンをプレゼントされた際も、メーカー生産品ODMではなく、自分で作るからバラバラのパーツでくれと主張した。

 そう言った意味では蒼乃自身、初めて間近で見る内燃機関エンジンにも興味はある。

「多分この前にあるのが冷却器ラジエターだから、このオートバイは水冷か。それで冷却液クーラントがこのホースを通って……どこに行くのかな?」

 パソコンも発熱を抑えるために水を用いる冷却方式も最近は増え始め、そのためのキットも安く手に入るようになったが、それでもネックになるのが整備性だ。電化製品のパソコンの場合、水漏れを起こせばそれで一巻の終わりだ。そのため水回りには気を遣う。そう言った意味では、冷却器ラジエター周りは参考になるかも知れない。

「ねぇ、蒼ちゃん……」

 バイクのかたわらに座り込んでエンジンの下部などを覗き込んでいた蒼乃は、母親に声をかけられて立ち上がった。

「なに?」

 顔を合わせるのはともかく、こうして視線を合わせて話すのはいつ以来ぶりだろう。

 そんなことをぼんやりと思う蒼乃に、母親は言った。

「このオートバイの処分、蒼ちゃんに任せていいかしら?」

 一瞬母親の言った意味が分からず、蒼乃は首をかしげた。

「処分って、オートバイこれを私にどうにかしろってこと?」

 母親は何も言わない。言わないが、表情が蒼乃の指摘を肯定こうていしている。蒼乃はそのことを理解すると、視線をバイクに向けて言った。

「処分って言っても、業者に引き取ってもらうしかないんじゃないの?」

「その業者について、蒼ちゃんに調べて欲しいのよ。蒼ちゃんそう言うの得意でしょ?」

 母親はどうやら蒼乃にPCパソコンを使って検索しろと言っているらしい。だが蒼乃が他人より詳しいのはPCパソコンの構造であって、ネットの検索に秀でている訳ではないのだが、多分母親にその区別はつかないだろう。

 そのことを説明しても無駄だろうな。蒼乃はわずかにため息をつくと、軽く両手を挙げる。

「かまわないけど、処分費しょぶんひとか発生するかもよ。そこまで面倒は見たくないからね」

「お金が必要なら、それは私達が出します。もし売れるようなら、それは蒼ちゃんの物にしていいから。お願いね」

 母親は一方的にそう告げると、決まり悪そうに蒼乃の前から足早に消える。

 それを見ながら蒼乃は、小さくつぶやいた。

「ラッキー、もしかして臨時収入が見込めるかも」

 ここでまとまったお金が転がり込めば、パソコンのモニターを高解像度の4Kに買い替えることができるもしれない。そうすれば高性能のグラフィックボードにも夢が膨らむ。

 今使ってるグラフィックボードは、動作不良ジヤンク品で九割引で投げ売られたのを蒼乃がなんとかオーブンで焼いて修理して再生した代物であり、最新の4Kの画像出力付きのグラフィックボードには性能で及ぶはずもない。

 蒼乃は振り返ると自分の両手を、そっとバイクのハンドルに置き、グリップを握ってみる。

「兄さんの乗っていたオートバイか……」

 もしかしたら、妹の自分よりもこのオートバイの方が遙かに兄とえんが深かったのかも知れない。

 蒼乃は左のクラッチレバーと右のブレーキレバーを交互に握ってみながら、そんなことを思った。

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