第6話 聖女とワルツ

 神殿の外に出るなんて久しぶりだな、と胡桃は思った。

 具体的には四年くらいだろうか。

 あの頃のミゲルは王命で自分と付き合っていて、自分のことなんて好きでもなんでもなかったし、所属している神殿の人達は皆、勤勉、清貧がモットーの神殿の人間でありながら、その神殿のトップとデートを重ねる胡桃のことを煩わしく思っていたと知ってからは、潔く浮かれ聖女をやめて聖女業に精を出した。

 それなのに今またこうして大神官であるミゲルとデートするのは、別にデート三昧な日々に戻ろうと思ってのことではない。

 過去と完全に決別するためだ。



 ミゲルとデートの約束を交わしたあと、ソフィアにその事実を伝えると彼女は目に見えて狼狽した。

「デ、デートって……。相応しい服がないじゃないですか! 一体いつ行くんですか? 私の実家に頼めば当日までに届くかしら……」

 胡桃はすっかり忘れていた。聖女らしい聖女になろうと決めた日から、派手な服は売るなり下げ渡すなりで全て処分していた。だから作業着同然の修道服と普段着である地味な服しかない。しかし……。

「失礼にならないなら別に質素な服でも……」

 すっかり清貧が身に着いた胡桃にはデートに地味な服で行くことの何が問題か分からない。ソフィアは大いに怒った。

「胡桃様は! 聖女です! 歴代でも最高峰クラスの! 民衆にも大人気な! 聖女なんです! そんな方を一般人みたいな服装で外に出すなんて、侍女として情けなすぎます! 今までの働きを思えばたまの休日に贅沢するくらい許されて当然なのに! 主人の物欲の無さがいっそ悲しい……」

 怒りながら泣きだすソフィアを器用だなと思いつつ、胡桃はふと思い出した。

「そういえば、マルシオ様から貰ったドレスが仕舞ったままだったような……。あれ、着られるかな?」

 胡桃の言葉を聞いてソフィアはぱっと明るくなった。

「デートの相手って大神官ですよね? 王族は誘えませんものね。そう、マルシオ様が送ったドレスを……いいですね、そうしましょう。箪笥の肥やしにしたままなのはもったいないと思ってましたし!」

 

 胡桃はソフィアが明るくなって良かったくらいにしか思わなかったが、ソフィアは内心えげつないことを考えていた。


 あのミゲルとかいう大神官、冷遇した相手とよりを戻したいからって今更デートに誘うなんて図々しいっつの。その日に着て行く服が敵対するマルシオ様からの贈り物だって知ったらどんな顔をするのかしら。立場上表立った嫌がらせなんて出来ないけど、四年も私の主人を放置したささやかな復讐よ。


 そういう事情で胡桃がデートの日に着て行く服はマルシオが贈ってきたドレスになった。マルシオのセンスは良く、露出が控えめで巷の流行りに関係なく着られる上品で着心地の良いドレスは胡桃も大満足だった。


 そのドレスを来た胡桃を見たミゲルはホッとすると同時に感心した。以前はとてもセンスがあるとは言えない姿だったが、今はどこぞの深窓の令嬢のようだ。こういうところも成長したのだな、それとも侍女のセンスが良いのだろうか。どちらにせよ、滅茶苦茶好みで素晴らしい。



 胡桃がアレホに外出許可を貰うと「年頃の娘らしいことをようやく……」 と涙ぐんでいた。鈍い胡桃でも流石にソフィアとアレホに続けてこんな風に言われれば、今までの自分がどこかおかしかったのだとは想像がつく。とはいえ過去を思うと外出だってたまにするだけから許されるんだよね、と思う。


 外出先は植物園だった。

 胡桃にとってはとても懐かしい。ミゲルと初めてのデートで行った先。季節の花に囲まれて帰りには綺麗な花を買ってもらって……。

 そこまで思い出して考える。ここ、よくよく見ると高貴な人しか入れない場所なんだよね。つまりそんな所に生えている花なんていいお値段して当然な訳で……あの頃は本当に図々しかった。今度はどれを持って帰ろうかなんて考えず、咲いている花をただ愛でていたい。あ、案内の人の説明を真面目に聞いて植物の知識を増やすのもいいかも。

 しかし植物園に入ると、以前と違って案内の人が今回はいない。はて、しばらく来ない間に仕様が変わったのだろうか。疑問に思ってミゲルに聞く。

「以前は同行していた施設の方は……?」

「デートでしょう? そんな野暮な存在は不要ですよ」

 胡桃は混乱した。

「え、でも以前はいましたよね?」

「それはその……流石に貴方も若すぎましたし、私も大神官成り立てで色々不安が」


 ミゲルはもにょもにょと言い訳をするが、それがかえって胡桃に昔は本当に恋愛対象じゃなかったんだなという実感を抱かせた。

 だがそれも当時の年齢やら性格やらを考えれば当然だと考えるくらいには胡桃は冷静だった。


「……せっかく来たのに昔のことをあれこれ言うなんて無粋でしたね。行きましょう」

 胡桃が手を引くと、ミゲルは心底嬉しそうに笑った。それを見た胡桃の胸が激しく音を立てる。

 胡桃はミゲルを第一印象から物語の王子様みたいだと思っていた。一目見てメロメロになった。要するに顔がドストライクなのだ。数年の月日が経ってもいよいよ男前になるだけでその美貌はますます耀いていく。

 昔のあれこれをなかったことにすれば、今からでも幸せになれるだろうか。

 そんなことを一瞬だけ考えて、慌てて胡桃は首を振った。

 もう、何もかも遅いのだ。



 ミゲルから好きな花はどれかと聞かれて、胡桃は何も答えられなかった。この世界の花をろくに知らない自身に恥ずかしくなる。するとミゲルは気を遣ったのか「神殿にいるなら大神官の象徴である黄色い薔薇を知るべき」 と案内される。

 不思議なことにこの世界にも元の世界と同じような花がいくつかある。薔薇もその一つで、青い花が無いことまで同じだった。とはいえ文化や風習などは違うので、胡桃の世界では黄色い花は何かと縁起でもない花言葉ばかりだったが、こちらでは黄色が至高とされており、場所によっては黄色い花ばかり咲いているエリアもあった。だからこそ、美しい黄色い薔薇が大神官の象徴とされた。ちなみに王家も黄色い花が象徴となっており、それは黄色い桜のような花なのだという。胡桃的には違和感が凄い。

 ミゲルが薔薇の原産地や由来、逸話を説明している横で、胡桃は以前彼のために黄色い薔薇の刺繍を施したハンカチを思い出す。ソフィアに預けっぱなしだったけど、流石に捨てちゃったかな? 預けて四年も何も言ってない訳だし、今更あのハンカチどうなってる? とも聞けないな。……あの頃は、楽しく縫っていたし、渡すのも楽しみだったけど。もう昔の話だよね。


 胡桃の表情が沈んでいくのを見たミゲルは、説明に退屈しているのかと思い少し早い昼食に誘う。テラスで自然を感じながら味わう食事に胡桃も思わず笑顔になった。

「外で食事なんて数年ぶりです」

 その言葉に今度はミゲルの表情が曇る。

 我儘放題だった昔を知っているからこそ、まともな楽しみを知らずに数年生きていたらしい事実が惨たらしく感じられた。

「……また誘います。王家からも聖女を休息させてないと叱られましたしね」

 ミゲルの言葉に胡桃は困ったように笑うだけで、返事はしなかった。


 午後は園内の絶景と言われる場所を二人で巡った。一応ソフィアもこの場所に来てはいるのだが、ミゲルの強い要望により、胡桃とミゲルの視界に入らない場所での待機を強いられている。当然彼女は納得がいかない。あの腐れ大神官、人目が無いからって私の聖女様に性的な手出ししたら許さんとソフィアはギリギリしていた。

 そんなソフィアの予想とは反して、二人は前回見なかった場所も、前回からリニューアルした場所も、前回楽しいと思った場所も、子供のように駆け巡って楽しんでいた。

 胡桃は純粋に数年ぶりの外出が楽しいという事情があったが、ミゲルとしては過去の適当なデートを今回で上書きしたかったのだ。胡桃の楽しそうな様子に心の底から安堵する。


 二人が走り回って疲れたから足を止めると、その場所は花吹雪が舞い散る美しい場所だった。ミゲルはこの花びらが王家の象徴の黄色い桜からだと知って微妙な気持ちになるが、胡桃はうっとりとした目でその光景に見惚れていた。

「あの花がお好きですか?」

 ミゲルがそう聞くと、胡桃は少し迷ったが、元の世界で好きだった映画の話をした。

「ええと、これは私がいた世界の話なんですけど……話しても大丈夫ですか?」

「どうしてそんなことを聞くんです? 俺は恋人のことなら何でも知りたいし、聞きたいですよ」

 恋人。胡桃はその言葉に戸惑いを覚えるが、話の腰を折ることもないだろうと今はスルーする。

「私が好きだった洋画……本のほうが分かりやすいかな? ともかく本で、すっごく好きなシーンがあったんです。恋人同士の二人が花吹雪の舞う中でワルツを踊るシーン。今まで見た光景で一番ロマンチックだと思いました。この花吹雪を見たら思い出しちゃって」

 ミゲルはそのワルツとやらは知らないが、男女一組で踊るダンスには自信があった、神殿育ちでも何かと宴は行われたし、若く美しいということでやたらお得意様のご令嬢とのダンスの相手をさせられた。エリーの侯爵領でもコネを作るためということで週一のペースで宴会が……いや、もうあの女もあの領地のことも思い出したくない。ともかくペアダンスなら自分でもできる。というか得意分野の域だ。異世界とは作法が違うかもしれないが、そう大きく変わるまいと胡桃を誘う。


「私と……いや、俺と踊っていただけますか?」


 その申し出を胡桃が受けたのは好奇心もあるし、映画と全く同じ台詞だったからというのもある。ダンスなんて全くできないのに、雰囲気に惹かれてつい受けてしまった。

 元の世界で体育の授業でペアダンスを習う時間はあるにはあった。が、クラスの男子達に「あいつと踊るとか罰ゲーム」 と陰口ならぬ表口で聞こえるように言われたことですっかり萎縮し、体調が悪いと嘘をついて見学した。先生は仮病だと気づいていたようだが、女子のほうが一名多いクラスだったのでむしろその方がいいと思ったのだろう、胡桃に見学の許可を与えた。胡桃はあれほど憧れていたダンスを見るだけで終わった。


 胡桃はうきうきでミゲルと踊ろうとしたが、そこで困ってしまった。

 ペアダンス、思いのほか距離が近い。

 まともに付き合っていた頃でさえこんなに近くに寄ったことはないのに。緊張で心臓がうるさい。ミゲルのリードに任せて踊ろうとはしたものの、ろくなダンス経験もない胡桃は見事に足を踏んだ。

「あいたっ」

「!!! ご、ごめんなさい!!」

 素人が調子に乗ったからこんなことに、と涙目になる胡桃をミゲルは笑って慰める。

「平気ですよ。それよりダンスを続けますよ」

「え、でも……」

「大丈夫、絶対良い思い出にしてみせますよ。ただそのためにはもうちょっと……」


 胡桃は距離が近いと思っていたが、それでもミゲルからすれば不快にさせないように少し距離を取っていたらしい。それでリードも上手く出来なかった。これではペアダンスの名人の名が泣く。本気でいかねば。足を再び踏まれないためにもやや強引に胡桃の腕を引いて密着させる。

 胡桃はこんなに近いとかえって踊りにくいのでは? と思ったが、むしろ密着したことで先程より断然踊りやすくなった。音楽もないのに適切に手を引いてミゲルはダンスの形を取る。慣れてくると、胡桃は自分が映画のヒロインのように踊れていることに感動した。

「どうです? 気分は」

「最高です……! 私、ちゃんと踊れてる!」

 くるくると花吹雪の中を踊りながら回る。

 その様子を遠くで施設の職員が見回りがてら見かけたが、思わず二人に見惚れてしばらく仕事の手が止まってしまっていた。優雅で美麗。二人とも美男美女だから良い意味で現実感がなく、まるで絵画を見ているようだった。


 踊り終えると胡桃は興奮冷めやらぬ様子ではしゃいでいた。

「凄い、凄い! 本当にヒロインになったみたいでした! 一生忘れません!」

 ミゲルは達成感に満たされていた。踊りが出来なかった胡桃を上手くリード出来たというのもあるし、胡桃を自分が笑わせたのだと思うと誇らしかった。

「本当に楽しかった! ……これでもう思い残すことはありません」

 だから聖女の次の言葉が咄嗟に理解出来なかった。

「大神官様、別れましょう。もう私に付き合わなくていいんですよ」


「は……?」


 喉の奥からかすれた声がもれた。声にならない声が。


「私知ってました。今まで王命で無理矢理恋人になっていたんだって」

 ――いつから?

「この世界に来た当初の私って本当に世間知らずで我儘で……嫌になるのも当然ですよね。他の女性に癒されたくなるのも仕方ありませんよね」

――まさか、エリーのことを知っているのか?

「それでも大神官様は王宮に居られない自分の居場所になってくれた方だから、恩人なのは違いありません。今は父のような方だと思っています」

――なんで恋人から恩人とか父親とかにランクダウンしてるんだ。


 目の前のミゲルはあからさまに納得がいかない、という顔をしていた。しかし胡桃もこのまま恋人でいることには納得がいかないのだ。


「別れてください、お願いです。私に心の整理をつけさせてください。貴方に好かれていないと知った日から、私の心はぐちゃぐちゃなままなんです。何もかもをゼロにしないと、貴方を恩人とも思えなくなってしまう」


 ミゲルの頭は真っ白だった。

 別れたくない。その文字が頭を占めていたが、そうすると最後の信頼まで失うことになりかねない。

 恩人ですらなくなるというのは、恋人関係をやめなかったら好感度がゼロからマイナスになるということか?

 そうなるくらいだったら……。





 その後、ミゲルは胡桃と何を話したのか覚えていない。

 ただ神殿に帰ったらアレホが「聖女と別れられたとか。残念ではありますが、仕方のない結果でもありますね」 と言ってきたから多分了承したのだろうと思う。

 床につくと、自然に涙が溢れてきた。

 どこで間違えたのだろう。昔はあんなにミゲルミゲルと甘い声で呼んでくれていたのに、と思い出して、気づいた。

 今日、一度も名前を呼ばれていない。いや、再会してからずっと。

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