第5話 モテモテ聖女

 胡桃が神殿で治療行為を惜しまなくなってから数年。巷では聖女の評判はうなぎのぼりだ。

「聖女様は歴代と違って庶民を治療してくださる」

「昔だったら諦めていた病気なのに、喜ばしいことだ」

「しかも聖女様は日に日に美しくなられているとか」

「眼福じゃないか、素晴らしい」


 一般人達はそう称える一方で、聖女の処遇について所見を語る。


「こうなったら一生神殿にいてほしい。王家に行ったらこうはいくまい」

「いやいや、昔から聖女様は王家に嫁ぐものと決まっている。第一、こんな聖女様の体力頼りの神殿病院がいつまでも続くとは思えん」

「なんだお前、一般人は聖女の恩恵を受けるなとでも?」

「そうは言っておらん。聖女様とて一人の人間だろうに、利も無くこう当てにされては、いつかは限界を迎えるだろうよ」

「あの方は普通の人とは違うに決まってるだろ、何て言ったって聖女様なんだから!」


 総じて神殿派は自分達に都合が良いから神殿にいてほしいタイプ、王家派は聖女自身を考えてくれるタイプだとソフィアは調べていて思った。


 マルシオが胡桃への好意を隠さなくなってから色々ときなくさい。筆頭侍女の自分としては聖女が最善の道を歩めるようにしなくてはならない。そう思って実家を使って世間の反応を調べているのだが……。


 気持ちとしては王家派に一票というところだ。もちろん胡桃に都合が良いからというのもあるが……。

 王家が血の近い結婚をやめない限り『聖女』 は何度でも召喚される。その時に、つまり後代にも「前の聖女もやってたんだから」 と胡桃と同じように庶民への治療を強制される恐れがあった。

 胡桃が治療行為を行うのは緩慢な自傷行為だとソフィアは思っている。王家に捨てられ惚れた男には裏切られ、聖女という称号にすがるしか胡桃にはなかったのだ。だから初期は無茶なスケジュールでハードワークをこなしまくっていた。貴重な休みの日は一日ベッドでぼーっとしているだけで、治療行為を忙しなく行っている日に「働いている日のほうが疲れない」 と笑って言っていた時にはぞっとした。それ、身体 の自律神経がいかれてません?

 ともかく、そんな行為を後代にまで押し付ける訳にはいかない。王家が聖女を捨てた今代だけが特殊なのだ。

 ……でも、そんな状況でも胡桃が「ミゲルがいい」 と言えばそのまま神殿所属になるのだろう。そして胡桃の意思がソフィアの意思だ。

 そこまで書いて、ソフィアは日記をたたんだ。 



 神殿聖女として知名度と評判が頂点に達する頃には、胡桃は患者から告白されることが多々あった。


「祖母が言っていたんですけど、聖女は結婚するなら王家にいるはずだって。神殿にいるなら誰とも結婚してないってことですよね? なら還俗して俺と結婚してくれませんか? 一生大切にします」

「えっと……」


 胡桃は困っていた。聖女としてそれらしい振る舞いを心がけていたら、いつの間にか男の人に告白されるようになっていた。

 またミゲルのような仕込みか、と疑ってしまうのは仕方ないことだ。だが告白してきた彼は正真正銘一般人で、仕込みをする意味がない。

 胡桃にとって、誰であろうと好意を持たれるのは嬉しいことだった。元の世界ではろくに好意なんて持たれたことがなかったのだし。

 ただ、だからと言ってその告白を受け入れられるかと言ったら別問題だ。


 最近、神殿と王家の間がきなくさい。どうも聖女……自分の本来の所属先を巡って色々と揉めているようだが、胡桃としてはこのまま聖女の治療仕事だけして毎日が終わればそれでいいのに、面倒だなあとしか思えなかった。だがミゲルなどは王家が何をするか分からないと監視を増やすほど警戒している。聖女、というより治癒魔法の使い手は貴重なのだ、さもありなん。

 そんなギスギスしているとこで「結婚したいので神殿出て庶民になります、聖女やめます」 なんてことが言えるだろうか。流石にそれがお花畑思考なことくらいは分かる。

 第一今だって「常連なんだからもっと治療費安くなんないの?」 「俺は男なんだから女のお前はもっとサービスするべき。よそでは性行為も治療の一環としてやってくれるところだってあるんだよ?」 「知人が無理矢理連れてきた。自分も知人も金がない。ここは神殿なんだから無料にしろ」 等々、無茶苦茶なことを言う人が少なくないのだ。入る人がある程度管理されている神殿にいてこれだ。

 庶民になったからといって聖女の力が消える訳ではない。毎日何十人という患者を診ているから顔も名前も知られている。

 これで一般人になんてなったら、警備の概念も無さそうな一般民家に図々しい人が毎日大量に押しかけてくる日々を過ごすことになるかもしれない。神殿と民家だったら民家のほうがハードルは低い。神殿より治安が悪いことになるのは容易に想像がつく。毎日理不尽な人間の相手ばかりをしていたらどんなに自分を愛していても、いつかは疲弊するのではないだろうか。

 目の前の告白をしてきた男は、そういうところまで考えているんだろうか……いないんだろうな。恋は人を盲目にする。周りの環境が見えなくなるくらいに。それは胡桃にも覚えがあった。


「ごめんなさい」


 告白を断る時、胡桃はいつも悪人になった気分になる。

 三人に一人は断ったあと「分かりました。伝えられただけで満足です」 と大人しく引き下がるが、三人に一人は「本当に好きなんだ」 と食い下がり、残る一人は「人の告白を無下にするのが聖女なのか」 と逆切れする。そういう人は下手に理由を言っても「それはおかしい」 「じゃあ○○ならいいのか」 と変に粘ってくることも多いから、もうごめんの一言のあとは神官を呼んで追い払うことにしている。

 人の好意を無下にしているのは事実なんだよなあ、と胡桃は自嘲する。そんな胡桃をソフィアが「愛っていうのは押し付けるものじゃなくて与えるものです。あいつらのはただの自己愛! 気にしちゃダメですよ」 と慰めるのが日常だった。

 ソフィアに慰められてメンタルは回復したが、同時に思う。

 治療以外を求める患者が増えた現状で、いつまでも神殿にいていいのだろうか? と。

 


 胡桃がそう思っている頃、ミゲルとマルシオは王宮にて揉めていた。

 聖女の帰属先問題だ。

 ミゲルが王太子を呼び出して聖女の帰属先について明確にしようと提案してきたのだが、王宮で話し合いたいとの王の命でミゲルはアレホとともに神殿をあとにした。

 待っていたのは、マルシオからの糾弾……といっても正論ばかりだった。

「聖女と丸四年も会っていなかったそうだが、それで恋人だと主張するとは正気か? しかも滞在先の侯爵領で人目も憚らず女性と歩く姿が何度も目撃されているが」


 ぐうの音も出ない言葉だ。だがミゲルにも言い分がある。


「正真正銘子供であった聖女と大人の恋人のように付き合っていれば良かったのですか? 私は聖女が心身ともに大人になるまで時間を置いただけです。大体マルシオ様、貴方に聖女との付き合いをどうこう言われたくありません。私は貴方の命令で聖女の恋人、ひいては大神官になったのですよ。何故今になって引き裂こうとするのです」

 

 そこがマルシオの一番の泣き所だった。若く病弱だった頃のマルシオの言葉で聖女もミゲルも、自分の運命までこんがらがってしまった。だから今こうして正そうとしている。


「……ミゲル、お前は命令した役目をまともに果たしていないんだ。不適格だと判断するのは当然だろう。大神官をやめろとは言わない。短期間で大神官がころころ変わるのは民衆へも悪影響だ。だが聖女の恋人はもうやめろ。浮気して数年放置でどの面下げて今更聖女の恋人をやるんだ?」

「聖女は確かに私を愛していました。今でもそうです。貴方にとやかく言われる筋合いはない。大方聖女の評判を聞いて惜しくなったのでしょう? 今更戻せなんて卑怯ですよ、しかも……」

 ミゲルは一旦深呼吸して神殿への権利侵害について言及した。

「こちらの神官を二名、勝手にクビにしたとか。どういう了見ですか。初代王の時から神殿には自治と権利が認められている。それを王族の貴方がどうして侵害するのです」

「彼らは聖女の傍にいるのは余りに問題があった。重傷患者の傍で言いたい放題だったからな。彼らの犯した行為を聖女が尻拭いするなど見ていられない」

「患者? 誰です?」

「……僕だ」

「はあ? 完全に私情じゃないですか。これまでその話が表に出なかったということは、やましい事情があったのでしょうが……それでよく神殿を糾弾できる」

「こちらの事情と聖女の待遇は関係ないぞ。お前は神殿不在の間聖女がどんな日常を送っていたのか知っているのか? 休日が週に一日、朝から夕方まで実質一人で働きづめだったそうだな」

「……先日知りました。今後はもっと改善します」


 マルシオの手前そう言ったが、それが難しいことはミゲル自身がよく分かっていた。長期不在で大神官としての影響力はほとんどなくなっていた。神官は皆患者のお布施に目がくらんで「働けるうちにどんどん働かせとけ」 なノリなのだ。今はアレホと二人三脚で必死に業務をこなしながら実権の回復を図っている。


「何が今後だ、僕が介入しなければ聖女は過労死していたかもしれないというのに!   父上、御覧のように神殿は無茶苦茶です。聖女は王宮に戻すべきです!」


 マルシオの父である王はその言葉にううむ、と唸った。彼は慎重だ。

 そもそもの元凶は最愛の息子マルシオがミゲルに聖女を押し付けたことが原因であるとよく理解していたし、かといって神殿の怠慢も問題。

 現状維持するにはマルシオもミゲルもお互い敵意を隠していないし、どちらかが敗北しない限り続くことになるだろうと予想された。しかし神殿は敵に回したくはないし、息子は可愛い。

「聖女の意思が一番であろう」

 結局お茶を濁した形にになった。



 王宮から戻ったミゲルは執務室にて怒りを隠しきれない様子で物に当たり散らした。

 マルシオは何で今になって聖女との仲を裂こうとする。ようやく彼女の良さに気づいたところなのに。

 アレホは室内が荒らされていくのを止めなかったが、代わりに一言だけ「今までのツケですな」 と言って部屋を去っていった。

 これまで好き勝手が許されて来たミゲルにとっては、自分を百パーセント肯定しないアレホすら鬱陶しい存在だった。

 望まれて大神官になったのに。好きでもない聖女の相手をしてやったのに。侯爵領にいたことだって結果的には国家を豊かにしたじゃないか。今になって一斉にあれこれ言われたって……一斉に無能を見るような目で見られたって。俺にこれ以上どうしろと言うんだ。キャパ以上のことなんてもうとっくにやってる。なのに、なのに。

 本や木のコップを床に投げつけて憂さ晴らししていた所に、控えめなコンコンというノックが聞こえた。


「誰だ!」

 苛立ちのままにそう言うと扉の向こうから「私です……」 と聖女の声が聞こえた。

「あの、通りかかったら大きな音が聞こえたので……何かありましたか? 大丈夫ですか?」

「いや、これはその……待ってください、今そちらに行きます」

 灯りを消して部屋の中の様子が見えないようにして、慌てて部屋を出る。

「お待たせしました。ちょっと転んでしまいまして……はは」

 胡桃はそんなミゲルの様子をじっと見ていたが、ふと彼の指先に目をとめて言った。

「指、怪我していらっしゃいますね」

「え? ああ、紙で切ったのかな」

 ミゲルは興奮していて気が付かなかったが、本を叩きつけた際にいつのまにか傷がついたようだった。

「失礼します」

 胡桃はそっとミゲルの手を己の手で包み込むと、光を放って怪我を治癒させた。

「はい、治りましたよ」

「あ、ありがとう……」

 ミゲルは照れくさいような、心が温まるような、そんな不思議な気分になった。

 聖女といえば初期の振り回された記憶が印象的だったのに、精神的に参っている今、こんなさらりと優しくされたら……ぐっとくる。

「大神官様、何か困りごとがあるのでしたら、遠慮なく言ってくださいね。私、もうあの頃みたいな子供じゃありませんから」

 そう言って優しく微笑む聖女を見ていると、無性に甘やかしたくなる。ミゲルは思わず頭をぐりぐりと撫でた。

「わっ! もう、大神官様ったら!」

 子供扱いされたと思って頬を膨らませた胡桃に、ミゲルは縋るように言った。

「また、二人でどこかに行こうか」


 ミゲルは疲れていた。

 神殿に戻ってからというもの、元々大神官が行うはずの数々の業務に追われ、その隙間を縫って神官達と聖女のことで話し合い。しかし四年も神殿に戻らなかった大神官への目は冷たい。しかし容姿だけは超一流のミゲルはたちまち信者の間で評判になり、一気に発言力を回復させた。そしていざ聖女の待遇改善となってこれまた今までそれでまかり通っていたものを急に変えるのは難しく……。アレホと頭を悩ませていた所にマルシオからの呼び出しだ。

 毎日毎日気を張りすぎて疲れた。思えば聖女と気楽にデートしてた時は細かい文句はあってもまだ幸せだったように思う。あの頃に戻りたくなった。


 胡桃はよほどミゲルが疲れているように見えたのか、あっさりと承諾した。

「……そうですね。たまには二人で息抜きしましょうか」

 嫌われているなら断るだろう。デートの誘いを受けるんだからやっぱり聖女は自分をまだ思ってくれてる。

「しましょう、息抜き。初めて行った植物園はいかがですか? たまには恋人らしいこともしないと」

「……はい。楽しみですね」


 うきうき気分のミゲルと違い、胡桃はミゲルと別れてから考え込んでいた。


 四年も会ってなかったのにまだ恋人ってことになってるんだ。こっちの文化なのかな? それともはっきり絶縁宣言してないからこうなってるだけ? うーん自然消滅したとばっかり思ってたからびっくり。でも確かにどっちもはっきりしたこと言った訳じゃないし……。

 部屋に戻った胡桃はぽつりと呟いた。

「デートの日に、はっきりさせるべきだよね」

 胡桃の心は、既に決まっているらしい。

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