ある伯爵の気持ち
「貴族が子弟に教育官をつけるときに、何を優先すると思いますか?」
そう俺に尋ねる男は、まだ若い貴族だった。歳は二十代中盤だと思うが、すでに結婚しており、三人の子供がいた。左手薬指の指輪が小さな太陽のように輝いていた。
俺はそれを見ながら言った。
「実力、ですか」
「話題性、ですよ」
貴族の男はニヤッと笑った。その笑い方を最近、どこかで見たような気がしたが思い出せなかった。
「別に実力はなくてもいい。たとえば昔は凄腕だったが、今では方法論が考え直された時代遅れの老害。それでもいい。そうはいっても有名であれば昔のファンもいるだろうし、あの頃はああだったと貴族界の実力者と雑談のネタにでもなれば儲けもの。たとえ天賦の才……」
そう言った時に、貴族の男は少し誰かの顔を思い出したように目を伏せた。
「そういったギフトがある教育官だったとしても、無名では話題にならない。何かわかりやすい『箔』がないとね。みんなそれを求めている。息子の剣の腕が上達したって、ダンジョンに潜らせるわけじゃない。今や戦争よりも外交の時代です。大切なのはコネクション。貴族たちの欲望と見栄の海をどう渡っていくか。だから……」
貴族の男は真向かいの客用ソファに座る俺を見た。執務机の上は、優美な立ち居振る舞いと打って変わって散らかっている。
俺はこう思う。きちんとモノを整理整頓できるやつにセンスのあるやつはいない。
そんなもの、時間の無駄だ。
「もしもジャルムが、シエルを鍛えて迷宮試験に合格させられたなら、うちの息子の教育官にシエルを採用するでしょう」
迷宮試験。
それはソロでダンジョンに挑み、運営側が公に解き放った試験用のモンスターたちの魔の手を掻い潜り目標階層まで到達できた冒険者に永年失効することのない称号を冒険者ギルドが授与する制度。
ジャルムはシエルに、それを受験させようとしているという噂が立っている。
「それはあなた以外の貴族でも、ですか?」
「中層階でギブアップした場合は厳しいでしょう。最下層まで行ければ、ですね。迷宮試験は危険だし、名誉以外の見返りも少ない。ただ歴史ある制度ですしランクと違って降格がない。受験者が少ない分、話題にはなる」
「シエルは試験を突破できると思いますか」
「迷宮試験は後見人がつく。おそらくジャルムがつくと思いますが、それが吉と出るか凶と出るか、ですね。いざとなったら不合格になっても助けてもらえると油断してあっさり死ぬかもしれないし、逆にジャルムがいない方が本当に生死を賭けているのだと実感して頑張れるかもしれない」
「ジャルムなら、シエルをそこまでの実力に持っていけると?」
「あなたもわかっているでしょう。彼女の素質では無理です。それでも希望を持つなら、の話ですよ。死んだあいつが生きていたなら世の中どうなっていたかなァ、程度のレベルの雑談です」
「あなたにも、そんな相手がいましたか」
「大勢いましたよ。みんな死にましたがね」
若い貴族は老獪な笑い方をした。ただそれは、とても悲しそうでもあった。
俺は聞いた。
「あなたはジャルムを知っている。ジャルムに理解も示している」
「そんな話をどこかで聞きましたか?」
「やつの名前を言った時の、あなたの目を見ればわかる」
「バーナムが言っていたのは本当ですね。『ジャルムと似てるやつがいる』と」
「ああ、聞いていたんですか。それで俺との面会を?」
「新進気鋭の絵本作家さんの創作論にも興味があったのは事実ですよ」
「伯爵。そこまでわかっているのなら……なぜ自分からシエルを雇ってやらないんですか。正直なところ、雑談ネタの話はともかく、三人もいる息子の一人に役立たずを置いていたって、あなたの権威は揺らがないはずだ」
「そうでもないですよ。そうでもないですが、確かに一人くらい雇うのは可能です。メイドでもいいですが、案外に家事執務の世界は厳しいので、シエルでは潰れるでしょうがね」
作家さん、と若い伯爵は前置きした。
「僕はね、こう思うんです。
確かに僕はジャルムのファンだ。ああいう生き方は好きです。まっすぐで容赦が無い。人を狩りはしても、自分のルールに則っている。法や正義がどう言おうとも、彼はただの殺人鬼じゃない。
でもね、自分の権力や財宝の力を使って、彼の運命に干渉したくないんですよ。
そうやって何もかもねじ曲げていって、最初は気持ちいいでしょう。善行を積んだような気分にもなる。実際にそうなのかもしれない。シエルは剣の道で生きたら死にますからね。ほかの生きる道がないだけで。あれほど才能が無い剣士も珍しい。
それでもやがて、僕はジャルムに見返りを要求したくなる。これだけ世話してやったのだから、僕のために何かしてくれよ、と。
ジャルムはそれを拒むでしょう。そして、それは正しい。善悪や損得の枠組みから逸脱しているのがあの男の全てなのに、それを僕が否定してどうします。
僕は生まれてからすべてを持っていた。伯爵の地位。名家の妻。優秀な子供たち。
そのどれをも、愛したことはありません。僕が自分の力で手に入れたものも、愛する努力をしたものも、何もない。
不幸自慢ではありませんよ。持たざるものの苦悩は見てきたつもりです。だから、それを手放す勇気も信念も僕にはありません。ただ、持っているものを愛せないだけです。
その僕が、大好きだと思えるものを穢したくないんです。
他人の運命に自分が干渉できると錯覚したくない。
だから、僕たちは他人でいるべきなんです。僕たちの関係が純粋であるために。
僕にとってはあなたもそうですよ、管理人さん」
そう言って、貴族の男は笑っていた。
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