歩く録音機

 アトリエに篭もっていてふと背後を見ると、いつの間にかアイリが来ていた。

 後ろ手を組んで、いくつかのイーゼルにかけられたキャンバスを眺めている。

 窓の外を見ると、もう夕方だった。

 いつ起きたのかも覚えていない。

 机の上には走り書きのメモが散乱している。どれがどの内容と繋がっているのか、きちんと分類分けされていないから全部読み直して整理しないといけない。

 ずいぶん集中していたらしい。


「これ、いくらだ?」

「え?」

「この絵だよ。売るならいくらで売る?」


 それは夜の城と月を描いた油彩だった。

 だが途中で嫌になって、夜空に空いた不自然な穴から巨大な鷹の爪が城に振り下ろされる瞬間を風のうねりを伴ってつけ加えた。

 作者の怨念を感じる。

 それがどういうものなのか、俺自身にもわからないが。


「いくらにもならないでしょう。そんなもの、仲間を招く自慢の食堂に飾りたいですか」

「だとしても、売りたい値段くらいあるだろう」

「欲しいやつが困らない値段でいい」

「それじゃ採算が合わないな」


 描いたばかりでホコリなどさほど積もってもいないのに、アイリは指先でイーゼルの上を指で掃いた。


「自分の能力には値段をつけてやれ。誰だって、そうやって自分を売っている」

「そうでしょうね。そしていつも、自分の作品がいくらで売れるか考えるようになる。

 どうなるかわかりますか。

 そんなことすれば、その値段に見合ったことしかしなくなる。戦わなくなりますよ。

 俺はそんなのごめんだ」


 感情が乗ってしまって口調がきつくなったが、アイリをチラリと見ると気にしたふうでもなかった。むしろどこか満足そうに微笑んでいた。

 そして話題を変えた。


「ジャルムはシエルを訓練し続けている。さすがだな、シエルはもう20レベルを越えたそうだ」

「無駄ですよ。センスがないやつは何をやっても神様にはなれない。才能というものは天分です。後付けでどうこうしようという方がおかしい」

「おお、怖い怖い」

「は?」

「おまえの言葉は一流の剣だな。人を斬れば命を砕く。私以外に使うなよ」

「何をバカな……」

「それで、おまえは何をやってるんだ?」


 アイリが家庭教師のように、俺の背中越しに机の上を覗き込んできた。


「何かの変換式か。おまえ、字汚いんだな」

「うるさいですよ」

「これは瘴気の成分か? わざわざ書かなくても、用意してやった瘴気を混ぜて実地試験すればいいだろう」

「そんなことしたらすぐに足りなくなりますよ。たぶんあの量では、本番一回分しか使えない」

「……。買い足すか?」

「そうしたいですが、間に合わんでしょう。別に構いません」

「おまえ、まさか変換式だけで、まだ使ったこともない瘴気から魔物を作ろうとしてるのか……?」

「今までの瘴気からどういう魔物が発生したかの履歴は記録につけてあります。おおよその傾向はわかる」

「最近流行の、科学というやつか」

「科学? あんなもの、想定していないパラメータが一つ混ざっていただけで出力される値が狂うんですよ。ぶっつけ本番で使えたものじゃない。俺がやってるのは」

「芸術か?」

「違いますよ」

「違わんだろ」


 アイリは机の上に散らばったメモの一つを手に取った。


「おまえには、ほかにできることなどないだろう」

「……」

「で、あまりのストレスに創作意欲が高まって、後ろの作品たちが仕上がったというわけか」

「時間の無駄だと?」

「バカ言うな。おまえが言ったんだろうが。センスのないやつは何をやっても無駄だと。

 だったらセンスとやらを見せてみろ、作家先生。

 信じてやるよ、いくらでも」


 大事な作品は、ちゃんと倉庫にしまっておけよと言い残し。

 アイリは帰っていった。


 俺は書き殴りのメモをまとめながら、なぜ自分があいつを相手にすると饒舌になってしまうのか考えていた。

 俺は自分の親にも、自分の話を最後まで聞いてもらえたことがない。

 俺は誰かの録音機にはなりたくないが。

 俺も誰かを録音機にしたがるだけの、ゴミだった。


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