わがままの行く末
「ふざけてんじゃねぇぞ虫ケラ、もういっぺん言ってみろ!」
本当に激怒した人間の顔というのは、般若のようにはならない。
どうしてもいくらかブレーキがかかるから、いつもの顔に戻そうとする筋肉と、感情に従って引きつろうとする筋肉でせめぎ合う。その結果、ぞっとするような表情になる。
そのときのジャルムの顔がそうだった。笑いながら弱者をなぶることに喜びを見出す男の暗い表情ではなかった。
いつもの酒場の円卓、ジャルムの向かい側に座っている男は、俺と同い年くらいの無精ひげの男だった。旅人用の安物のハットをかぶっている。冒険者ではない。商人か。
商人なら、何を商っているのか。
酒場全体が一気に真冬の夜のように凍りついているというのに、その無精ひげの男は動じていなかった。余裕を見せているわけでもなく、疲れたような顔をしていた。だが、その表情にも態度にも媚びたところがなかった。
一瞬で自分を肉片にできる剣士が激怒しているというのに。
「おまえは黙って俺にハイとだけ言ってりゃいいんだ。それ以外の答えは聞きたくねぇ」
「思い出すね」
男は酒を杯の中で揺らめかせていた。
「おまえも昔は、そういう言い方をするやつをブッ殺すために強くなろうとしていた。俺もそれを応援していた。それが今や、おまえがそんなつまらんセリフを吐く側になったわけだ」
「なんだと……」
「無理なものは無理だ。諦めろ」
男は杯を干した。実に不味そうな顔をした。
「レベル18の初級スキルしか身についていない女を、いったいどこのバカが客員剣士として雇ってくれるっていうんだ? 自分が何を言っているのかよく考えろ」
「クソ田舎のほうならどうにでもなるだろ。レベル10くらいのやつらが群れてるだけの、つまらん村なら……」
「どこの村だそれは」
男がジャルムを見る目に憐憫が宿っていることに、俺は気づいた。
「田舎なら心の優しい村人たちがいて、多少のデキが悪くてもお遊び剣術の先生として慕ってくれる。心温まるハートフルストーリーだな。言っておくが、ここだって十分に地方都市の一つだぞ」
「もっと山奥なら、いくらでも……」
「もちろん、あるだろうよ。身内の馴れ合いで、形ばかりの手習いを教えて食い扶持ぐらいは恵んでもらって暮らしている剣士先生がいる村は。
でもなジャルム。
そういうところは、『身内』だから優しいんだよ。いきなり知らん女が来て家族同然に扱ってくださいって、いったいどういう種類のワガママだ」
「それをどうにかするのがてめぇの仕事だろうが!」
「俺には無理だね」
「……これでも、か?」
黒剣が男の首筋に、コマ落としのように一瞬で触れていた。
男はため息をついた。
「おまえは本当に強くなったなあ、ジャルム」
「……」
「あの頃のおまえと今のおまえが同じ人間だなんて信じられないよ。
おまえは本当に負けず嫌いで、どうにもならないことをどうにかしようと頑張り続けるやつだった。
俺がすぐ諦めちまうようなことも、おまえだけは最後までやり続けた。
冒険者を先にやめたのは結局、俺だった。
俺はおまえのようにはなれない……」
「何が言いたい」
「おまえは強くなった。
でも、おまえには何も守れない。おまえはただ、壊すのが上手くなっただけだ。
おまえにゃ、その女を救えない。おまえにそんな資格も権利も、優しさもありはしない。
そんなに守りたきゃパーティを組んでやればいい。なのに、そうしない。
自分が自由にダンジョンを攻略できなくなるのが嫌なんだろ。いざというときにフッと消えてしまえなくなるのが面倒なんだろ。
かといって見捨てるのも気に入らない。どうにか都合のいい結末をつけたい。
おまえ、何がしたい?
俺は十年以上、おまえとつるんでて、一度だっておまえが何か『覚悟』を決めたところを見たことがないよ。いつだって、自分に都合のいい風に乗って流れていく。強ければ、それが叶うからな。
おまえは確かに強くなった。
それだけだよ」
酒場は血を予感した。オーリフォンの惨劇は誰もが覚えていた。
だが、ジャルムは何も言わず、黒剣を引き、酒場を出て行った。
そのときのやつの表情を、あとでアイリは「怒り心頭で逆に冷静になっていた」と評したし、酒場の常連の一人は「嘲笑を浮かべて怒る気も失せているようだった」と言っていた。どちらも間違ってはいないのかもしれない。
だが、俺にはどこか寂しそうな横顔に見えた。
俺が席を立つと、アイリが「出陣かい?」とチャチャを入れてきた。うるさい。
ジャルムと話していた男の席に、俺は座った。男は怪訝そうに俺を見た。
「あんたは?」
俺が何か言う前に、背後の円卓からアイリが「この街の作家先生さ!」と口笛を鳴らしてヤジを飛ばしてきた。この年増が……。
ともかく気を取り直して、俺は男と向かい合って座った。
「ずいぶんボロクソに貶していましたね。……そんなに言われるほどのことですか?」
「やつのわがままに全て付き合っていたら身が持ちません。それに、こっちの言っていることが間違っていると思ったら斬ってくるかもしれませんが、『正しい』と思ったのなら、やつは相手を斬らない。でなけりゃ俺なんて何千回もなます斬りにされてますよ。あいつは狂人ではあっても廃人じゃない」
「境目が難しい話ですね。……タバコでもどうです」
「あなたは素直ですね」
「え?」
「接待がヘタだ」
どこがヘタなのか教えてくれずに、男は俺からタバコを受け取って吸った。
「俺はバーナムと言います。人買い、人売りです。まあ、斡旋業ですね」
「ああ……」
「賤業だが、仕方ない。需要がある以上、そこで金が動く。それにあやからないと生きていけません」
「でしょう、ね」
「ジャルムのことが聞きたいんでしょう。ああ、そうか。作品の肥やしにするために、あいつのことを知ってる人間に話を聞いて回ってるとか?」
「まあ、そんなところです」
「大した話じゃないですよ。……俺とやつは同じ街の出身なんです。幼馴染ってやつですね。
あいつは裕福な家庭に生まれたんですが、いろいろ事情が複雑でね。結局、十三歳くらいの頃に俺と一緒に冒険者になった。いろんな苦労もしたし、あいつなりの苦悩もあったんでしょう。本当は、親とモメなきゃ、故郷の村で聖歌隊でいたかったでしょうし」
「聖歌隊?」
「あいつ、実は歌がうまいんですよ。とはいえ、ああいうのはチームで動くものだから、協調性ゼロのあいつには務まらない。気に入らなきゃ与えられたパートを放棄して俺ァ歌わねぇと来るんだから。結局、教会も聖歌隊も追い出されて、家にもいづらいし、冒険者になってやろうと。ね。
よくある話なんですよ。
確かにいろいろあった。あいつなりの事情もあった。それはわかります。俺もそれを横で見てきたから知ってる。
それでも、そんな事情は誰にだってあるし、特別なことなんかじゃない。
そんな自分の不幸自慢を振り回して、そこどけそこどけ俺が通るなんていうのを、大人になってもやっている。五歳の男の子じゃないんですよ。
どこかで納得して、我慢しなくちゃならない。みんなそうやってる。俺だってそうしてる。俺だって、才能があれば冒険者でいたかった。『銀槍のバーナム』のままでいたかったですよ。
何もかも、夢みたいに思い通りになるなら。
でも、そうじゃないでしょ。どこかで納得しないと……」
喋り疲れたのか、ふと俺を見上げたバーナムが、ああ、と何かに気づいたように口元を歪めた。
「あんたも納得しない側の人間か」
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