頼めば届く仕事
酒場の隅に腰かけて、俺はよくスケッチをする。
すれ違う冒険者たち、テーブルの酒や料理、迷い込んできた野鳥、暖炉の熱い火……無地のノートと鉛筆があれば充分だった。ほかに何もいらなかった。
誰にも邪魔されたくなかった。
だが、アイリは俺を見つけると必ず同じテーブルの席に座った。スケッチ対象を視界から塞ぐような真似はしなかったが、できれば離れていて欲しかった。しかし一応、直属の上司に対して「どっかいけ」とは俺もなかなか言えない。
「順調なようだな」
「何がです?」
「あれさ」
ダンジョン運営責任者は、俺たちがいるテーブルと真向かいのほうに陣取る黒髪の剣士を顎で示した。シエルはいない。
「なんでも剣士の雛鳥を見つけて育成に熱心らしいじゃないか。恐れ入ったよ。まさかこんな解決策があったなんてな」
アイリは頬杖を突いて、俺を面白そうに眺めてくる。銀色の髪が細く酒場の灯りを反射して俺の目に眩しかった。気にせずスケッチを続けながら、
「ジャルムがダンジョン攻略を中止したと?」
「違うのか?」
「あいつは一度決めたことを曲げるようなやつじゃない。いつ気まぐれに攻略を再開して、即日にコアを抜かれるか分かりませんよ」
「ほう。それは困ったな」
まったく困った風ではなく、アイリはミニバッグの中から紙片を一枚取り出してテーブルを滑らせた。勢いがよすぎて床に滑り落ちる。俺は舌打ちしてそれを拾った。
「ちょっと」
「悪い悪い。ま、申請のあったものは全て通しておいたから許してくれよ」
俺はその紙片に目を通した。俺が欲しがっていた瘴気のリストだ。
瘴気はダンジョンコアから自動的に生成される固有のものと、八柱光輝と呼ばれる高位の魔族たちが残した遺物から発生し続けるものがある。魔王由来の瘴気は遺物が保管されている封印指定地区で精製され、各ダンジョン都市へ移送される。
瘴気は錬金術の触媒にも利用されるから、ダンジョン都市に必要以上に輸送されているからといって怪しまれることもない。
そもそも、運送業者もグルだ。
「稟議を通すのに苦労したぞ。もし、これだけの量の瘴気を買い漁っておいて、ジャルムにダンジョンを攻略されたらどうするつもりだと」
「どうするつもりなんです?」
「なに、みんなが見続けていた夢が一つ終わるだけさ」
「詩的な表現ですね」
「気に入ったか?」
まあ飲め、とアイリが注いできた酒を俺は押し返した。酒は飲まない。味がしない。
俺の代わりに自分で血のように赤い果実酒を飲みながら、アイリが言う。
「これだけの量があれば、Sランク級の魔物も精製できるだろ」
「ええ。シルバーフェンリルくらいなら、なんとか上手く調合すれば発生させられるかもしれません」
「瘴気のリストを見ただけで予測できるのか。流石だな。私にはそれが何を意味するのかまったく分からん」
「慣れですよ。あとはカン」
「生意気なやつめ」
そういう割には、果実酒を飲み干すアイリは自慢のオモチャを見るような顔をしていた。
「シルバーフェンリルならSランク冒険者でも死亡する危険性はある。ジャルムをやれるか?」
「どうですかね」
「……ははあ、おまえ、その瘴気、ただ強い魔物を精製してダンジョン防衛に回すつもりではないな?」
俺はスケッチを終えてノートをテーブルに放り出した。チャチャを入れられながらにしてはよく描けた。はす向かいのテーブルで、冒険者パーティが仲間の誰かの誕生日を祝っている。そのケーキを描いた。
ロウソクの暖かい火が、ケーキに塗られたクリームを照らしている。
「シルバーフェンリルが発生するほどの大量の瘴気をダンジョンに撒けば、副産物でAランク相当の魔物も複数発生します。ダンジョンにジャルムしかいないのならともかく、ほかの冒険者が襲われるかもしれない。相当な死人が出ますよ」
「ジャルムに攻略されるよりはマシだ。多少の犠牲の許可は出す」
「……」
「本気だぞ」
アイリは人形のような笑顔を浮かべた。
「死人なら、もう充分に出ている。いまさら躊躇しても遅いだろ」
「わかっています」
「迷うなよ」
そういうアイリの声音には、珍しく心配そうな響きが篭もっていた。
それが上司が部下に対する演出なのか、本心なのか、俺にはわからない。
アイリがまた何か言いかけた時、酒場に誰かの怒声が響き渡った。
ジャルムだった。
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