酒場は賑わう
それから酒場でジャルムとシエルの二人組をよく見かけるようになった。
事実上のパーティを組んだのか、それとも男女の関係になったのか、酒場で時折話題にもなったが、誰もがすぐに口を噤んだ。
ただの口論、よくある諍いの果てにジャルムがオーリフォンにやったことは、尋常な人々にとっては武勇伝でも爽快譚でもなんでもない。
ただのやり過ぎでしかなかった。
――あいつらには関わりたくない。俺たちに絡まないならどうでもいい。
それが普通の反応だった。
そして不思議と「ジャルムがこの都市のダンジョンを攻略したらどうなるのか」という予想を立てるやつもいなかった。
商会組合もジャルムのことは不気味に思いつつも「悪名高きソロの剣士」が訪れたことによって、街が活気づいていることも事実であり、ジャルムの存在が自分たちの天秤をどう傾けているのか、判断がつかないようだった。
ジャルムは最初、ダンジョンでシエルに剣を指導していた。
俺もそれには密かに手を貸し、ジャルムが弟子の練習相手に欲しそうなモンスターを配置したり、シエル向きの装備を宝箱に転送したりしていた。
だが、そのうちにジャルムはダンジョンにシエルと潜るのをやめた。
俺もじきにそうなるだろうと予測はしていた。
シエルは、実戦以前の基本から教え直した方がいい。
俺が言うまでもなく、ジャルムもそう思ったはずだった。憂鬱そうな横顔を見ていればわかった。
シエルは相変わらず、家畜を死なせてしまった羊飼いのように哀愁を全身から放ちながら、うつむき加減にジャルムについていっていた。
Sランク冒険者の貴重な時間を自分が浪費していることへの申し訳なさを感じているようだったが、ジャルムにしてみれば、そんな些事を気にするよりも剣を上達して欲しかったところだろう。
ただ罵倒しどう修正していけばいいかを教えなかった旧パートナーのオーリフォンが残したシエルの心の傷は深い。
時々、酒場に潜んでいる俺に気づいて彼女は視線を送ってきたが、こっちを見るなと睨むとすぐに顔を逸らした。
「剣っていうのは……」
ジャルムは何度も、酒場のテーブル席でそう言の葉を切った。
何を言われるのかと顔を上げて待つシエルを見て、ジャルムは結局口を噤んで、誤魔化しがてらに酒を飲むのが常だった。
人に技術を教えるのはそれほど難しくない。
技術が理屈で構築されているなら、何度か言えば覚えるだろう。
だが、あらゆる状況に即応して常に自分が正しいと思った道を選ぶ、それが剣であり戦いだと伝えたところで、シエルは何もわからぬまま形だけ頷くだけだろう。
言葉は通じる。意味も明瞭だ。
それでも極意は伝わらない。
それは伝導できるものじゃない。心臓の鼓動を自由にコントロールできる人間がいたとして、それを他人に伝えたところでどうにもならない。「ぐっとやってぎゅっとする」じゃ誰にもわからない。
本人以外には。
もしくは、本人と同等以上の才能を持つ天才以外には。
結局、ジャルムとシエルの二人組は町外れの大木の下に集まり、剣の稽古をするようになった。
牛乳配達の青年なんかは
「なんだか牧歌的でいいですね、あの剣士の男の人も噂ほど悪い人じゃなさそうだし」
などと言っている。俺もそうだねと口先では同意する。
だが、必死に剣を教えようとしている男と、どう頑張ってもその期待に応えられない女が押し黙って剣を振る光景は、俺には見ていて苦しいものだった。
ジャルムにはわかっているはずだ。
シエルは剣士としては生きられない。低級のダンジョンの序盤ですらソロでは死ぬ。
だが強くなることもできない。剣士としての資質、努力では補えない部分が欠けている。
そしてただの村人になるにしては、シエルの出自は悪すぎる。若い頃に冒険者だった者は、一般社会に戻った時に迫害されるのが常だ。
「俺たちが一生懸命に働いていたときに、おまえらは遊んでいたんだろ?」
と性格の悪いおやじに嫌味を言われながら、小間使いにされて一生を終えるだけだ。
出口なんかない。答えなんてあり得ない。
だからジャルムはシエルを見捨てないのだ。
自分が見捨てれば、ただ死ぬだけだから。
そんなつまらないものは、現実だけで充分だった。
それから二ヶ月、ジャルムはダンジョンに足を踏み入れなかった。
それがそう長くないことを、俺だけは予感していた。
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