黄色いドット
昔から、祭りが好きじゃなかった。
別に何か理由があるわけでもない。
ただ、親に「せっかくだから」と連れて行かれるのが不満だった。
その「せっかくだから」という言葉には、俺の「行きたくない」という意思をかき消すほどの価値があるのだろうか。
俺は今でも、そんなものは存在しないと思っている。
迷宮試験そのものが実施されるのが数年ぶりということもあり、しかも挑戦者のシエルの立会人が『黒剣のジャルム』となれば、街が賑わうのも無理はなかった。
どこからともなく這い出てきた人間どもを見るたびに吐き気がする。
こいつらは、俺が死ぬ思いで計算をしていた間ものんきに日々を暮らしていただけだ。
ジャルムにダンジョンコアを抜かれれば、この街は滅びる。
そんなことは自分には関係ないというわけだ。
なるならなるようになれ、と。
冗談じゃない。
どいつもこいつも、『その日』が来たら慌てふためき泣き叫ぶに決まっている。
そんな連中の巻き添えを喰らって、絵を描けなくなっても耐えろというのか。
「せっかく生き延びたのだから、別の生き方をしたらどう?」
とでも言うのか。
そんな命、俺は要らない。
ドブの中に捨ててやる。
あの腐り果てたオーリフォンの亡骸のように。
捨ててやるよ。
「彼女が勝てると思いますか」
ベンチに座った男にいきなり話しかけられて、ジャルムは険悪な形相を隠さなかった。
無理もない。
いよいよ当日を迎え、迷宮試験にさえ合格できれば客員剣士としての道が拓けるだろう……シエルの人生の別れ道。
もし自分自身の命運を分かつだけなら、ジャルムはいくらか気楽だったろう。
負けたら死ねばいいだけなのだから。
何も持たず、愛も知らず、戦いだけが人生の全てだった人間にとって死ぬのは何かを失うことじゃない。
元の状態に戻るだけだ。
だから平気。だから何も感じない。
感じたくても、感じられない。
ところが負けたら死ぬのは自分ではなくシエルであり、それを自分が代行として切り開くことができない。
もどかしさ胸が瘴気で充満しているような気分だろう。
だから振り向きざまに、罵声の一つも飛び出しそうな唇がわずかに開いて、ジャルムの目が俺を見た。
唇の動きが止まる。
何か遠い記憶を思い出しかけているような顔をジャルムは浮かべた。
それはたぶん、俺が初めてジャルムを見た時に浮かべた表情と同じだったのではないかと思う。
俺たちは一瞬で気づいたわけだ。
お互いが、『同族』だと。
「おまえ……どこかで会ったか?」
「酒場じゃないですか。たまに顔を出すので。ああ、オーリフォンを殺った時も見てましたよ」
「オーリフォン?」
「どうでもいい話でしたね。で、勝てると思いますか。シエルは」
ジャルムは沈黙した。視線を横にずらす。
シエルはダンジョンの入口で武装検査を受けていた。金髪をポニーテールに結い上げ、剣士らしいがソロ探索のため通常よりは分厚い鎧を身に着けている。
愛剣は相変わらず、そのへんの壁に置き忘れられた傘のように立てかけられている。
そわそわして、自分の周囲を取り巻く冒険者ギルドの検査官たちに何か言われるたびに素っ頓狂な返事をしているのか、検査官たちが明らかにイラついていた。
ダンジョンの最下層手前まで、たった一人でシエルは探索を行う。
そんな『祭り』の日。
ジャルムは言った。
「勝たなきゃならない。あいつだって、それは分かってるはずだ」
「分かっていても、できない。それが世の常でしょう。
いくらレベルを上げようと、彼女の本質は剣士ではない。
ただの弱い女ですよ」
「……。俺に教えられることはすべて教えた。技術レベルとしてはAランク相当のはずだ」
「ランクになんて意味はない。あなただって分かってるはずだ」
ジャルムがいよいよ俺を睨んだ。広場のベンチに腰かけた、絵の具で汚れた職業不詳の男――俺を見下ろす。
「何が言いたい?」
「逃げたらどうです。二人で」
「逃げる?」
「あなたなら彼女を守れる」
「……」
「冒険者などやめて、蓄えた金で、どこかで合唱隊でも組めばいい。大好きな歌に戻れますよ」
「バーナムに聞いたのか? あの野郎、余計なことを……」
ジャルムは首を振った。
もう何度も、自問自答した末なのだろうと思う。
「俺は恨みを買いすぎている。連れていけば、どこかで討たれる」
「あなたでも、守りきれませんか」
「俺が守れるのは……俺自身だけだ」
「なら、最初から手を出すべきじゃなかった。
彼女の人生に踏み込むべきじゃなかった」
「俺が見捨てたところで、あいつに居場所なんかない。どこに行けというんだ」
「それは彼女の問題で、あなたが責任を負うべきことじゃなかった。
彼女の人生に介入するまでは。
だが、もう戻れない。あなたは中途半端に関わってしまった」
「……なら、突き進むだけだ」
ジャルムが剣を抜いた。
黒い風が宙を這う。
切り裂かれた俺の頬から冷たい何かが流れた。宿屋の二階から監視していたらしいアイリが窓を開け目を見開き何か叫ぼうとしていたが、俺は睨みつけてその全部を制止した。
手を出すな。
「おい、小僧。おまえ、何者だ?」
「……ただの絵描きですよ」
「絵描きか……」
剣先が俺の頬から離れる。
ジャルムはその剣に付着した血を拭いもせず鞘に納めた。
度重なる死闘のたびに研がれ、油を塗られたその剣は、もはや外的要因による腐蝕反応などしないのかもしれない。
もう、どれほどの火炎に呑み込まれても、その鋼鉄の身は変わることなどできないのかもしれない。
あるがまま、剣のまま。
最後まで行くしかないのだろう。
「俺はシエルを信じることにした。
その責があるというのなら。
俺が背負う」
背を向けた剣士が、顎先だけわずかに傾けて、俺に言った。
「絵描き。もし俺が戻ってきたら、俺に一枚、何か描いてくれないか」
返事も聞かずに、身勝手な男は去っていった。
いつの間にか広場のベンチのそばに寄ってきていたアイリが俺の肩をどつく。
「おい。接触するなんて聞いてないぞ」
「言ってないですからね」
「お前な……殺されていたらどうするつもりだったんだ」
「その時は、俺の負けですよ」
「勝算でもあったのか? ジャルムはお前を斬らんと」
「あるわけないでしょう」
「……お前な」
アイリが深々とため息をついた。
「もう少し、自分を大事にしろ」
「自分を大事にするような男では、ジャルムには勝てない」
「……なら、お前なら勝てるのか」
問うアイリに俺は答えた。
「勝たなきゃ、あいつに絵を描いてやれない」
◯
アトリエに戻り、ゴーグルをかぶり、操作鍵のボードを手元に引き寄せ、ダンジョン内部の情報をサーチした俺が知ったのは、シエルが本気だったということだった。
努力したのだろう。
剣の技術はジャルムの評価に違わずAランク相当まで上昇しており、複数のシェル・スパイダーまで自分一人で討伐していた。
画面上の黄色いドットが、ぐんぐんとダンジョン内部へと進んでいく。
背後から一定の距離を取ってついていく緑色のドットが立会人のジャルムだ。
いつでも、シエルが死亡しかねない一撃を喰らう場面に出くわしたら一瞬でカバーに入れる位置をキープしている。
通常より重い鎧を着けているがゆえに、移動するだけで華奢なシエルの体力は消耗する。
ダンジョンの別れ道のたびに瘴気の探査香を手早く焚いて、ダンジョン深部へと繋がっている可能性の高い道を選択している。
魔法使いの相方がいれば探査香など無くとも魔法でルート検査ができるが、ソロ剣士にはそんな都合のいい存在はいない。ジャルムが教えたのだろう。
たった一人で戦おうとするやつは、すべての行動に理由がある。無駄な一切を省く傾向がある。
誰も助けてくれないから。
俺が想定して撒いておいた瘴気から生成された魔物をシエルはあっという間に討伐していく。
相棒がいた頃よりもずっと奥深く、中深部まで到達した。
このまま規定された階層どころか、ダンジョン最深部まで到達してしまうのではないか。
そんな風に見えた。
だが、やはり。
綻びは出た。
Aランク相当の魔物が出没してくる地帯になり、シエルの行軍速度は一発で低下した。
そうだろうなと思う。
ジャルムは、本来このダンジョンで自然発生している魔物に限定した訓練をしていたはずだ。
この魔物が来たらこう動け、この魔物にはこんな特徴がある。
全部変えた。
アイリに仕入れさせた瘴気の濃度を変更し、このダンジョンで発生したことがない魔物が優先的に生成されるようにした。
模擬試験の答案をいくら覚えていたとしても、ぶっつけ本番の初見の問題を解くほどの基礎力がシエルにあるか。
ない。
黄色いドットはゴーグルモニターの中で明らかに動揺し逃げ惑っていた。
それでも善戦していたのは、ジャルムが『死なない技術』を優先的に教えていたからだ。
画面上の赤いドットが加速度的に増えていく。
緑色のドットが、揺れる。
手を貸すべきか。それとも試験を続行させるべきか。
監視水晶によってダンジョン内の情報は冒険者ギルドに把握されている。立会人が一太刀でも手を貸せば、試験は失格で終わる。
赤い点が一つ減るたびに、黄色いドットがダンジョンの袋小路へと追い詰められていく。
攻めているのに失地回復に繋がっていない。
シエルは『死なない技術』と『特定の魔物の倒し方』は学んでいても、『逆境を跳ね返す強さ』などというものは継承していない。
緑色のドットが、耐えきれないように振動を繰り返し、その動きが加速度的に大きくなる。
すでに現地のシエルは血みどろの状態で、かろうじて戦線を維持しているだけなのだろう。
魔物を表す赤いドットもほとんど減らなくなってきた。
俺は画面端、瘴気の残量メーターを見る。
こちらとしてもかなりの瘴気ガスを投入してしまっており、それが尽きた時にシエルが生きていれば、俺の負けだ。
状況はおそらくシエルやジャルムが思っているよりも逼迫(ひっぱく)していた。
タイミングは一瞬しかない。
俺は操作鍵のあるトリガーボタンの上に指を乗せた。黄色いドットを穴が開くほど見つめる。
そのドットが、わずかに揺れた。
よろけたのだ。
緑が動く。
その瞬間、俺はトリガーを押した。
紫色のドットが流星のように現れ、緑色のドットと衝突する。
瞬間、緑色のドットが消えた。
俺は息をするのも忘れ、画面を食い入るように見つめた。
それでも、もう緑色のドットが再び光ることはなかった。
紫色のドットも靄のように消え去り、それに釣られて赤いドットもすべて消えた。
ダンジョンの奥地で、ただ、黄色いドットが一番星のように輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます