退屈な映画のような君の命を
「あのさ、もう少し自分の役割を理解して動いた方がいいよ。
そうしないと周囲の迷惑になる。
パーティメンバーは、おまえの介護のために危険なダンジョンに潜っているわけじゃないの。
わかる?」
酒場には情報が集まる、というのはRPGゲームのお約束だけれども、実際に異世界に来てわかったのは、酒場に集まるのは情報ではなく愚痴だった。
みんな愚痴が言いたくて仕方がない。つらい自分をわかってほしい、こんな目に遭うのは不当なのだと。
その信憑性を上げるためならば、自分が体験した出来事の解像度を上げるために饒舌になったり、また秘密にしておいた方がいいことも口を滑って出てきてしまう。
それを止めることなどできない。心の圧力に唇の錠前はいとも容易く屈服する。
だから、俺はダンジョン管理に行き詰まった時は、酒場の隅に陣取って、静かに彼らの愚痴に耳を傾ける。
彼らはゲームの駒じゃない。
ダンジョンを冒険する時にだけ雲の中から現れて戦ってくれるわけじゃない。
生活もあれば過去もあり、それぞれが苦しみや悩みを抱えている。
残念ながら、そこを突いて冒険者を死なせるのが、俺の仕事なわけだが。
『役立たずのシエル』と『毒舌のオーリフォン』。
剣士と魔法使いで、俺が最初に男のほうを殺したパーティと同じく二人組。
増員をかけないということは、やはり彼らもどこかのパーティから追放されたのだろう。
俺が思うに、それは未熟な剣士であるシエルにあるというより、オーリフォンの人格にあったのではないかと思う。
オーリフォンは前のパーティで邪魔者扱いされたシエルを庇ってパーティを抜けてやった、と吹聴しているが、実際は二人まとめて仲間とトラブって追放されたのを自分に都合よく語っているだけだろう。
本当にシエルが邪魔ならオーリフォンはすぐにでも彼女を追放し自分だけ新しいパーティに参加するはずだ。
それをしないということは、オーリフォンにも所詮行く場所などないのだ。
やつのレベルは42。基本魔法は一通り使いこなせるが、上級魔法は火炎程度しか使えない。
「無意味に魔力を喰う上級魔法なんて実践では使いにくいだけだ」
と聞いてもいないのに周囲にくっちゃべっているのをよく見るが、ただ単におまえが習得できなかっただけだろうと思う。
実際に、上級魔法の話題になれば「俺は火炎が使えるけどね」と必ず一言差し込んでいる。誰も聞いちゃいねぇよ。
そういうオーリフォンは、ダンジョン探索後に必ずシエルと酒場に現れ、その探索のダメ出しを延々と語り出す。
おまえはあそこでこう動いた、そのせいで俺はこんな迷惑を被った。
こういう時はああしろと事前に指示しておいたのにおまえは逆らった。
俺にどうして欲しい? 俺の邪魔をするのが楽しいのか?
そんな風に飽きもせずに三時間も四時間も酒場のテーブルを一卓占領して説教を垂れ流している。
おかげでこの酒場のその周辺の席はいつも空いていて、内心では酒場のおやじはオーリフォンに死んで欲しがっている。
が、意外に酒好きなオーリフォンが見栄を張って高い酒を頼むものだから在庫の処理に役立っているのも一つの事実であり、おやじは苦虫を噛み潰した顔をするだけに留めていた。
「……ごめんなさい、私、うまくやれなくて。でも本当に悪気があったわけじゃなくて……」
「聞いてないそんなこと。おまえの気持ちがどうこうじゃなくて、これからどうしていこうかって話をしてるの。パーティなんだから」
オーリフォンは軽蔑したように吐き捨てる。
項垂れたシエルはつむじしか見えない。あまりにもつむじしか見えないほど顔を伏せているから、シエルの顔をよく知らないというやつもいるくらいだ。
そばに立てかけられた彼女の剣までが申し訳なさそうにしていた。
パーティ?
それが仲間にかける言葉か、と思う。
おまえはただ、
「――自分がくっちゃべるのが気持ちいいだけだろ?」
そのセリフはあまりに冷たくて、酒場が一瞬で鍾乳洞のようにシンと冷えた。
オーリフォンは最初、それに気づいていなかったのか無視したのか、そのままシエルを罵り続けたが、「おまえに言ってんだよ虫ケラの戯言屋」というセリフでようやく振り向いた。
実際のところ、剣士と魔法使いの確執は深い。
どちらも自分こそがパーティの軸だと信じて疑わない。
そして、生きるか死ぬかの瀬戸際を繰り返す冒険者暮らしで、「自分こそが最高なんだ」と思わなければ、生き抜くガッツなど湧きはしない。
それが嫌なら、ソロでやるしかない。誰も助けてくれないソロで。
だから、剣士と魔法使いの不仲は必要悪。
そして、戯言屋というのは、魔法使いを侮辱する最高位の言葉だった。
オーリフォンがゆっくり振り向く。
豆腐のように白い顔、薄い表情。若者ぶって流行のローブなど羽織っているが、もう三十路を越えた中年だ。
「おい、そこの棒振り。いまもしかして俺に言ったのか?」
その棒振りこそ、『黒剣のジャルム』だとオーリフォンは気づかなかった。
みんな知っていた。俺も知っていた。
だから俺はここに来た。
そのオーリフォンの一言を聞いた瞬間、黒剣のジャルムの顔が引きつった。
若作りのオーリフォンとは違う、本物の青年の顔。
薄い唇に蛇のように鋭い目。
この世界では希少な黒髪黒瞳に、機動性一点重視のソロ剣士らしい薄着の皮鎧。
侮辱を返された怒りなどではなく。
それは暗い喜びの笑みだった。
一瞬でジャルムが視線を酒場の全員に飛ばした。それは言葉よりも重く響き渡った。
黙っていろ、と。
もし、オーリフォンに人望があれば、酒場のおやじや、ジャルムの顔を知っている冒険者が
「おい、やめとけオーリフォン! この人はS級冒険者の黒剣のジャルムだぞ!」
そう教えてくれたかもしれない。だが、現実はそうはならなかった。
誰もが押し黙って、静かに酒を飲み始めた。
「仲間はどうした? ソロか? それじゃダンジョンには潜れないな、潜ったフリをして入り口をウロウロしてるだけだろ? ん?」
「面白いな」
ジャルムは笑っていた。木のジョッキから酒を飲む。
だが視線は一瞬たりともオーリファンから逸らさなかった。
俯いたシエルが、今度は震え始めた。だが何も言わなかった。
「そういうおまえは、使えない剣士とどうしてパーティを組んでる? いない方がマシなんだろ、そんなやつ」
「おまえみたいなはぐれ者と違って、こっちには事情があるんだよ」
「事情なんかない。誰からも相手にされないだけだ。おまえみたいな虫ケラに居場所なんかあるものか。生まれてきたのが間違いなんだよ」
「貴様……」
オーリフォンが周囲に視線を向けた。
俺はいよいよこの男に呆れてしまった。
この期に及んで、自分の評判のことも考えず「あんなこと言ってるぞ、言わせておいていいのか?」と周囲の加勢を頼むのか。
こんなやつと組むしかなかった、シエルが哀れだ。
「おまえ、どこの冒険者だ。ランクは?」
「忘れた」
「言えないのか。Eってところか。俺はこの足手まといがいなければBランク相当の魔法使いだぞ。よく考えて口を利けよ」
「誰かが認めてくれなきゃ存在できねぇのか? あのランク制度の得点っていうのはな、申請したギルドの担当官によって変わるんだよ。しかもB以下の場合、そのへんのバイトに採点をやらせてることもある。
おまえこそよく考えろ。
どこどこのダンジョンをこの階層まで攻略しました、こなした依頼はこうです、そうは言っても全員を昇格させるわけにはいかない。有資格者が溢れるだろうが。
だから絞るし、Aランク相当の実力者でもギルドから目をつけられればずっとEだ」
「何が言いたいんだ? 俺はBランク相当だ。おまえの言うとおり、ギルドのせいで昇格できていないだけだがな」
「よくそんな自分に都合のいい解釈ができるなあ」
ジャルムは立ち上がった。壁に立てかけていた剣を手に取ったのが意外だった。
「じゃあ、いよいよそのお口に、おまえの実力ってやつを聞いてみようかな」
毒舌が過ぎるオーリフォンを懲らしめる、どこかヒーローのような雰囲気をジャルムがまとっていたのは、それまでだった。
○
まずジャルムは相手の舌を切り取った。ついで、頬の肉を裂いた。
これで魔法の詠唱はできない。魔法使いとしての生命線を断ったと同義。
おそらく、前にもやったことがあるのだろう。ジャルムのそれは手慣れていた。
相手が最も嫌がることを初手でやる。反抗の意思を欠片ほども持たせない。
刃向かってくるものは誰であろうと許さない。許せない。
それは、ソロで生きるしかなかったジャルムの常套手段だったのかもしれない。
表に蹴り出され、頻繁に眉や鼻毛を整えていた自慢の顔を無残に切り裂かれたオーリフォンを見て、周囲を通行していた市民が悲鳴を上げて距離を取った。
月夜のステージに立つ羽目になったオーリフォンは顔を押さえながら子供のように泣いていた。
何度もごめんなさいごめんなさいと空気の抜けた聞き取りにくい声で叫んでいたがジャルムは一切聞かなかった。
やめへ、と手を出したオーリファンの手首から先を切り飛ばした。これでもう杖も振るえない。
そのままのたうち回る魔法使いのローブの首根っこを掴み、満面の笑顔を浮かび上がらせながら、路肩のドブにズタズタになった敵の顔面を突っ込んだ。
オーリファンはジタバタしていたが、やがて動かなくなった。時々もがいているから、呼吸は出来ているのだろうが、あの傷で汚水に顔を突っ込まれたら破傷風になる。
だが、誰も治癒魔法をかけにいく者はない。
酒場からは、誰も顔を出していなかった。かつてオーリフォンの仲間だったシエル以外は。
女剣士は、怯えて震えながら、相棒が遭遇した惨劇を見つめるばかりだった。
それに気づいたジャルムがシエルを見た。
「なあ、どうだ。お望み通りにしてやったぜ」
「わ、私は……こんな……こと……」
「望んでたんだろ? 素直になれよ」
ジャルムはわざと馬の糞を踏んで靴を汚してから、「そうらっ!」とドブに突っ込まれているオーリフォンの尻を蹴飛ばした。楽しそうだった。
「バカを殺すのは気持ちがいいな。病みつきになる」
だがな、とジャルムは浮かれた表情を消して続けた。
まるで妹を叱る兄のように言う。
「いいか、魔法使いにあれだけ侮辱されて、おまえは剣士であるのに黙って聞いていた。
ふざけんじゃねぇぞ。
おまえが弱いのは仕方ねぇ。だが、それを、『自分が悪いから』で済まされちゃ、それこそ迷惑だ。
おまえが情けない剣士であればあるほど、剣士をナメる魔法使いが増える。調子に乗ったそのバカが別のどこかで、また別の剣士を蔑む。所詮は棒振りだってな。
どっちが上か、真実なんてどうだっていい。
『自分こそが最高なんだ』と思えなきゃ、剣士をやめろ。田舎に帰れ。街で暮らして街で死ね。
こんな仕事、強いやつだけがやればいい」
駆けつけてきた自警団に「なんだおまえら、おい、俺の名前を言ってみろ」と現代日本の知識がある俺にはどこかで聞いたようなセリフを吐いて団員を凍りつかせてから、ジャルムは高笑いしながら歩き去って行った。
シエルはしばらく、月夜の大通りにぽつんと立ち尽くしていた。
迷ったが、結局俺は立ち上がった。表の通りが見える席に牛乳代を置いて、スイングドアを押して開け、呆然としたままの少女剣士のそばに立つ。
まるで映画の中に入り込んでしまった一人の観客のように。
俺は彼女に声をかけた。
「あのさ」
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