第9話 休日
第9話 休日
砦には、休日というものがない。だが人間には、休むことが必要不可欠である。
砦では、交代制で兵を休ませる制度が、しっかりと国の法律で定められていた。無論、貴族家の三男以降の者が、強制的に砦に送られるという法律も制定されている。
砦の仕組みとして、ブラッドフォード家を管理者として、そのすぐ下に、武官の家の嫡男が指揮官として就くことになっていた。そしてその指揮官の下にも、貴族家の武官が上官として就く。その他は皆、三男以降の者が集められていた。
管理者と指揮官、上官以外は、砦から出ることは許されていない。
何の娯楽もない砦では、休息日といえど、身体を休める以外にすることはない。それでも、ブラッドフォード家に召抱えられている侍女たちと、少しばかりの逢瀬をすることは許されていた。
◇ ◇ ◇
ルシアは酷く困惑していた。
突然のアドルフの来訪に。
「はじめまして。アシュトン侯爵家が嫡男、ダリル・アシュトンと申します」
早朝、何の報せもなく突然工房を訪ねて来たアドルフに、緊張した面持ちで、ルシアの兄、ダリルが自己紹介をした。
「これはご丁寧に。私はルイス・ブラッドフォードの息子になりました、アドルフ・ブラッドフォードです。俺のことは、アドルフと呼んでください」
握手を求め、アドルフが手を差し出すと、ダリルは遠慮がちに手を握った。
「こんな形(なり)をしていますが、まだ十歳です」
「そ、そうなのですか? 僕は先月十三歳になったばかりなのですが、僕よりも背が大きいのですね」
冗談っぽく言ってみたアドルフだったが、思いの外驚かれてしまい、苦笑する。
ダリルに比べ、アドルフの背は頭一つ分は大きい。体格もがっしりとしたアドルフからしてみれば、ダリルはひょろりとしてみえた。それでも、握ったダリルの手は、『働く者』の手をしている。
本来、武官以外の貴族の、ましてや高位貴族であればあるほど、苦労など知らずに、守られながら大事に育てられる。そんな侯爵家の嫡男の手に相応しくない荒れ方に、感心した。
そして思わず、ルシアの手はどうだっただろうと考える。
前回工房に来たときにルシアの手を見て褒めたが、もっとよく観察しておけばよかったと後悔した。
そのルシアは、アドルフへの挨拶と兄の紹介をしてすぐ、お茶の準備をするために給湯室へと向かっていた。
「今日はどうされましたか?」
「ああ、突然来てしまってすまません。今日は休息日なので、工房の見学に来たのだけれど、大丈夫でしょうか?」
大丈夫かと聞かれたら、大丈夫ではないのだが、そんなことは言えないと、ダリルは「はい」と答える以外にない。
今現在、朝の早い時間で、ダリルたちが工房へ来たのも、ついさっきである。
アシュトン侯爵に至っては、まだ工房へも来ていなかった。
「そうでしたか。僕たちもこれから仕事に取りかかろうと思っていたので、丁度良かったです。それで、あの。僕に対して敬語は不要です」
アドルフの機嫌を損ねないよう、ダリルがそう言えば、アドルフは少し考える素振りをみせる。
アドルフとしては、ルシアの兄であるダリルにはとにかく良い印象を持ってもらいたかった。
「確かに家格は俺の方が上ですが、年上のダリル殿に敬語を使うのは当然かと」
持論を述べるアドルフに、ダリルはどうしたものかと頭を抱えた。ここで対立してしまっては、いい関係が築けないと、早々に折れることにする。
「大変恐縮でございます。アドルフ様がその方がいいと仰るならば、どうぞそのままで」
「ええ、そうさせて頂きます」
およそブラッドフォード家の者とは思えない程の腰の低さに、ダリルは困惑する。それでも機嫌を損ねることがなくて良かったと胸を撫で下ろした。
そんなやり取りをしている間に、ルシアが手際よく紅茶を入れ始め、工房の隅にある机に並べている。慌てているのを必死に隠しながらも、優雅に紅茶を淹れる姿に、ダリルの頬が緩んだ。
「お茶の準備が整いました。どうぞ、こちらへ」
そう促したルシアへ、アドルフが満面の笑みを浮かべて、喜んだ。
いそいそと椅子に座ったアドルフは、紅茶を見るなり目を輝かせる。
「先日頂いた紅茶は、本当に美味しかったから、今日も楽しみにしていたんだ」
屈託なく笑うアドルフは、年相応に見えなくもない。だが、兄妹二人は、緊張した様子で椅子に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
お礼を言うルシアの声は、少しばかり震えてしまう。
前回も今回も余りにも突然の来訪だったため、お茶請けの用意が出来ずにいた。高位貴族をもてなすのに、お茶請けがないなど、あってはならないことだが、ここは工房なのだ。
作業場という環境と、一度作業を始めてしまうと没頭し、休息すら忘れてしまうので、飲み物以外は持ち込んでいない。
一度工房に足を運んでくれたアドルフだったが、二度目はないだろうと高を括っていたのが間違いだったと、ルシアは猛省した。
そんなルシアの心情など知る由もないアドルフは、ゆっくりと紅茶に口をつけ、ルシアへと目を向ける。
そして視線を落とし、ルシアの手を観察した。
ルシアの手もまた、令嬢には相応しくない、働く者の手をしていることは前回で確認済みだったが、荒れた手を見つめ、ルシアの地味な風貌も相まって、『苦労人』という言葉がアドルフの脳裏に浮かぶ。
「今日はどんな作業を?」
そう質問され、ルシアは戸惑ったように答える。
「砦用の結界石の作製と、国から依頼を受けている魔導車の開発です」
「魔導車? 馬車の代わりの移動手段ってことか? 魔力で動かすとなると、かなりの量の魔石と魔力が必要になりそうだけど……」
実現出来るのだろうかと、アドルフは首を傾げた。
だが兄妹二人は目を瞠る。
余り魔道具には詳しくなさそうだったアドルフの、発想の豊かさに驚いた。
先日までは魔道具に魔石が使われていることさえ知らなかったと聞いていただけに、余計に驚かされてしまう。
「そうですね。まだ開発に着手してから間もないので、何をどうしたら良いのか、手探り状態です」
「俺に出来そうなことがあれば、手伝おう。魔力量は底なしだから」
恐らく冗談ではないのだろうと、二人は思う。ブラッドフォード家の者は強力な魔法を放てるだけではなく、魔力量も多いのだろうと容易に想像出来た。
「ありがとうございます」
素直に礼を言うルシアに、アドルフは満足そうに頷いた。
それを見遣り、ダリルは機嫌の良さそうなアドルフに、自分の予定も話しておこうと口を開く。
「僕は午後から、山へ入ります。エリーヌが護衛に就いてくれるので、一安心です」
砦から引き抜いたこともあり、エリーヌの近況を報告しておくべきかと、ダリルが言う。
「ああ、魔石が取れると言っていた山ですか」
さして興味のなさそうな声音で返事が返されたことに、ダリルがおやっと片眉を上げた。
そこでルシアが会話に割って入ってくる。
「ここは山に行くにも然程時間がかからないので、重宝しています。しかも魔石が取れる洞窟も、山に入ってすぐのところですし、私でも行けそうです」
「いやいや、駄目だろう! そういうのは、ダリル殿に任せた方が良い!」
物凄い剣幕で、アドルフが抗議の声を上げる。それに便乗するように、ダリルがルシアに苦言を呈した。
「僕としては、ルシアには砦に行くのもやめて欲しいのですが……」
「なっ!」
そのダリルの言葉に、アドルフが驚いた表情でダリルを見遣る。
「それは問題ありませんよ! 俺が常に、彼女の護衛をしますから!」
必死の形相で、アドルフが説得するようにダリルへ声を張る。その様子に、ダリルは確信した。
アドルフはルシアに気があると。
砦にルシアが来なくなるのは避けたいのだろう。会うきっかけが減ってしまうのを懸念しているのだろうと察し、ダリルは砦に行くことに反対する気持ちが萎えてしまった。
「それは心強いですね。ですが、ご迷惑ではありませんか?」
「とんでもない! 寧ろ、砦の兵たちのために、結界石を研究してくれているのですから、護衛くらいはさせてください」
さも当然だと言わんばかりのアドルフに、ダリルは恐縮しつつ、微笑ましい気持ちになる。
そして、ルシアの心境は、複雑になる一方だった。砦の兵のためにと言いながら、その兵に対し、アドルフの関心は全くない。
兵たちが死傷する様を黙って見ているアドルフの口先だけの言葉に、ルシアは少しばかり落胆した。
「妹のために、ありがとうございます」
深々と頭を下げるダリルに、アドルフはまた満足そうな笑みをみせる。
『妹のために』という部分を否定しないのかと、内心では一緒に砦に行く、父のこともしっかり護衛して欲しいと願ってしまったダリルである。
「ではそろそろ、作業の方に取りかかろうと思います」
そんな二人の会話に居た堪れなくなったルシアが、その場で立ち上がり、小さくそう告げた。
その言葉を受け、アドルフも立ち上がる。
「じゃあ、見学させてもらおうかな」
「はい、退屈かもしれませんが……」
申し訳なさそうにそう言うと、作業場の方へルシアが歩き出した。その背を追うようにアドルフも続く。
作業場の前で仕事道具を揃えるルシアの左横に、ピッタリとアドルフが張り付いた。その距離の近さに、ルシアは前回同様、困惑する。
「この道具は何だ?」
アドルフが手を伸ばして、一つの道具を掴む。ただでさえ近い距離が一気に縮まり、アドルフの腕がルシアの肩に触れた。そのことに反応しそうになったルシアはぐっと堪え、平静を装う。
「これは、魔石を削る道具です」
細長い棒状の先には、細い線が刻まれている。ヤスリのような役割の物だと理解して、アドルフが納得する。
「魔道具に嵌め込む時に、調節するために削ることがあるので」
そう付け足したルシアに、アドルフは目を向ける。だが身長差があるせいで、ルシアの頭頂部しか見ることが出来ない。それを残念に思いながら、アドルフはルシアの手元を注視した。
そんな二人の様子を、ダリルは後ろからそっと見守る。
自分よりも背の高いアドルフからしてみれば、ルシアは相当に幼く映るのではないかと思いながら、その距離の近さに苦笑する。
これから先、お互いに成長したとしても、身長差は埋まらないだろうと予測すした。
ブラッドフォード家の大人は大抵大柄で、筋骨隆々だ。アドルフもまた例に漏れずそうなるのだろう。
コンコン。
工房の入口の扉が叩かれた。
兄妹の父親であればそのまま入って来るのだが、扉が開けられる様子はない。
ダリルがエリーヌだろうと予想をつけ、入口まで行くと、そっと扉を開けた。
「ダリル様、お疲れ様です」
深く腰を折るエリーヌを、ダリルはにこやかに迎え入れる。
「エリーヌもお疲れ様。侍女の仕事も大変なのに、こっちも手伝わせてすまない」
「いえ、魔道具作りは楽しいので、こちらからお願いしたいくらいです」
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。それで……」
言いかけて、ダリルはアドルフのいる方へ振り返った。
「来客があってね」
言い難そうに、ダリルがエリーヌへと向き直る。
「お客様ですか? こんなに朝早くから、ですか?」
「ああ」
困ったような表情をみせるダリルに、そっと工房の中を覗き込んだエリーヌは、目を疑った。
アドルフがルシアと仲睦まじく、作業をしている姿に喫驚した。
「何故ここに、ブラッドフォード家の方が?」
「魔道具作りに興味があるっていうのは建前で、ルシアに会いに来たっていうのが本音かな」
「ルシア様に?」
実に楽しそうに会話を弾ませ、作業をしているアドルフを見ると、そう見えなくもない。だが身長差故か、幼子を心配しながら手伝っているお兄さんのようで、エリーヌにはどうにも恋情とは思えず、ダリルの勘違いではと考えた。
その考えが顔に出ていたのだろう、ダリルが笑いながら言う。
「魔道具に興味があるのは本当だろうけど、ルシアに執着しているのも事実だよ」
「だとしたら、ルシア様があの方の婚約者になる日も近いですね」
そのエリーヌの言葉に、ダリルの表情が曇った。妹を取られた気分になったのかとエリーヌは呑気に考えたが、次のダリルの言葉で困惑する。
「それはないよ。ルシアは……駄目なんだ」
言いかけて、ダリルは苦しそうに目を伏せた。その様子に、何が駄目なのだろうと聞きた返したかったが、聞いていいものか躊躇したエリーヌは、黙ってダリルの表情を伺う。
顔を上げたダリルは、未だ難しい顔をしていたが、「さあ、入って」とエリーヌを工房の中へと促した。
「アドルフ様に、挨拶をしておいた方がいいね。行こう」
「は、はい」
挨拶をと言われ、途端にエリーヌに緊張が走る。だが、砦で命を助けられたことへのお礼も言っていなかったと気づき、今ここで言うべきだろうと、機会を与えてくれたダリルに感謝した。
それでも、アドルフの気分を害さないようにしなければと、挨拶の言葉を頭の中で必死に組み上げる。
「アドルフ様、作業中に申し訳ありません。エリーヌが来ましたので、ご挨拶をさせてください」
ダリルが二人に近づき、そう告げると、今まで笑顔だったアドルフの表情が抜け落ちる。少しばかり厳しい表情をみせたアドルフに、ダリルとエリーヌはヒュッと息を呑み込んだ。
だが怯んでいる場合ではないと、場を繋いでくれたダリルのためにも、心を奮い立たせ、エリーヌが挨拶をする。
「お久しぶりでございます。先日は命を救ってくださり、ありがとうございました。お礼が遅くなり、申し訳ありません」
「ああ」
無表情で気のない返事をするアドルフに、ダリルはルシアとの対応の差に、思わず苦笑する。
「瀕死の彼女に、貴重な治癒魔法までかけて頂いたと聞いています」
「本当に感謝しています」
ダリルが補足するように言うと、エリーヌがそれを受け、深く腰を折る。
「え! アドルフ様は、治癒魔法も使えるのですか!」
ダリルの言葉を受け、ルシアが驚きの声を上げる。そして尊敬の眼差しをアドルフへと向けた。そのことに、アドルフの機嫌が一気に上昇する。
「母方の能力も受け継いだようで、重宝している」
怪我をしたことのないアドルフは、治癒魔法を使ったのは、エリーヌの件が初めてだったのだが、得意げにそう言ってみせた。
そして目を輝かせて自分を見つめるルシアに、照れたようにはにかむ。何とも微笑ましい二人の姿に、ダリルとエリーヌは居心地が悪い。
早々にこの場を辞そうと、ダリルもまた自身の作業を始めることにした。
「では、僕たちは外で作業をしますので、失礼します」
「外で?」
「はい、魔導車の外枠作りです」
「え? 設計図はもう出来ているのですか?」
「いえ、それはまだですが、基本的には馬車を下地にして外枠を作っていこうと思いまして」
「そういうのは、職人の方が作るのではないのですか?」
「ああ、僕の能力は、物作りに適しているので」
「そうなのですね」
やたらと食いついてくるアドルフに、魔道具作りに興味があるのは本当なのだなと、ダリルはルシア目当てだけで、ここに来ているのだと思い込んだことを反省する。
「アドルフ様、もし興味がおありなら、兄の方へ行かれますか?」
「いや、俺はアシュトン嬢がいい」
アドルフに気を遣ってそう言ったルシアだったが、アドルフはそれを即答で拒否をした。自分の方でいいと言っているのだろうが、違う意味にも取れるアドルフの言い方に、少しばかりルシアは動揺した。
それでも、早く作業に取りかかりたいルシアは深く掘り下げないことにする。
「では、続きを始めましょう」
「ああ」
意気揚々と作業に取りかかる二人を見遣り、ダリルとエリーヌはそっとその場を後にした。
先程のダリルの言葉に引っかかりを覚えるものの、まだ幼い二人の行く末が幸せなものになるようにと、エリーヌは心の中でそっと祈った。
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