第8話 エリーヌとアンナ
アシュトン親子が砦の広場へと入ると、耳をつんざくような声が聞こえた。
「いやーー! 痛い! 痛い!」
「うるさい、騒ぐな!」
「助けて! アドルフ様を呼んで! 早く!」
その大声はアンナのものだった。
余りの剣幕に、アシュトン親子が声のした方へ駆け寄ると、右腕を失ったアンナの姿を見つけた。
魔物に食いちぎられたのだろう、千切れた部分からは、細い神経が紐のように数本垂れ下がっている。
「うう……痛い! アドルフ様! アドルフ様!」
泣き叫ぶアンナは痛々しくもあるが、鬼気迫るものがあり、ルシアは近づくのを躊躇ってしまう。
どうしようかとその場で立ち尽くしていると、背後から呑気な声がかけられた。
「あれだけ叫べるなら、大丈夫かな?」
「ルイス様!」
確か後ろには誰もいなかった筈だと、突然かけられた声にアシュトン親子が驚く。
「騒がしくてすまないね。さて、魔石を回収しに行くかい?」
「え? い、いえ……その……」
アンナのことをまるで気にした様子のないルイスに、流石にアシュトン侯爵が言い淀む。
チラリとアンナの方へ目を向けると、アドルフを呼べと何度も叫んでいる姿が見えた。そのことに、アシュトン侯爵はルイスへと、そっと訪ねる。
「アドルフ様は、どちらにいらっしゃるのですか?」
「ああ、魔弾銃を探してると思うよ」
「え? 魔弾銃を?」
「アンナが腕を千切られた時に、魔弾銃を落としたらしくてね。私とアドルフは森のずっと奥の方にいたから、どの辺で落としたのか分からなくて、必死に探していたよ。まあ、そのうち戻って来るだろうから、先に魔石の回収に行こうか」
腕を失くしたアンナよりも、魔弾銃を探しているというアドルフに、アシュトン親子は耳を疑った。
人の命よりも魔道具の方を優先したことに、酷い違和感を抱く。
ルシアは昨日アンナから、アドルフに命を助けられたのだと聞いていた。そして昨日のアドルフは、頼んでもいないのに、自分たちの護衛を引き受けてくれた。そして工房へ行きたいと、無邪気にそう言った。
終始笑顔を見せていたせいか、ルシアはアドルフに対し、お人好しで、人懐っこいという印象を受けていた。
だがよくよく思い出せば、自分たちの護衛をしている最中に、砦の兵たちが負傷しているにも関わらず、助けに入らずにいたことに思い至る。
「砦では腕を落とすことなんて日常茶飯事だからね〜」
「ですが、一昨日の魔物狩りの際は、アドルフ様がアンナを助けたと聞きましたが」
「ああ、あれ? エリーヌに聞かなかったの? 元々私たちブラッドフォード家への不敬罪でアンナを殺すつもりだったんだけどね。魔弾銃を見たアドルフがあれをいたく気に入ってね、アシュトン侯爵と話がしたかったみたいなんだ。話をするに当たり、アンナやエリーヌが殺されてたら、話も弾まないだろう? 君たちへの心象を考えて、助けたのだと思うよ」
アシュトン侯爵は、アンナがアドルフへ求婚したという話を、昨晩ルシアから聞いていた。アドルフに対し、好印象を抱いていたアシュトン侯爵は、二人が結ばれるかもしれないと、密かに喜んでいた。だが、現実は酷く恐ろしいものだった。
ふとそこで疑問が浮かぶ。アンナの不敬罪なのに、何故エリーヌが出てくるのかと。
それでもすぐに、思い至る。今までエリーヌがアンナを助けるために尽力していたことを思い出し、アシュトン侯爵は考え込むように呟いた。
「エリーヌは、アンナを庇って大怪我を?」
「そうだね。最初からずっとアンナの傍にいて、まるで護衛のように守っていたよ」
アシュトン侯爵の呟きに、ルイスが答える。滑稽だと言わんばかりのそのルイスの口調に、アシュトン侯爵の表情が曇った。
「まあ近いうちに、ここから出て行かせるつもりだったから、丁度良かったよ」
「……出て行かせる……。と言っても、いったいどこへです?」
「ん〜? そうだねえ。まあ修道院になるのかな。今は片腕しかないしね」
腕を組んで首を傾げたルイスは、陽気にそう言った。
視線は自然とアンナの方へと向く。
泣き叫ぶアンナの声が小さくなり、引きずられて行く様を見ながら、ルイスは息を吐き出した。
「これでエリーヌも、心置きなくアシュトン侯爵の元に行けるだろうし、良かったよ」
晴れ晴れとしたルイスの表情に、アシュトン親子は何とも言えない顔をした。
素直に良かったとは言えないが、この砦に居続けたとしても、女性故に、慰みものにされていただろうことは想像にかたくない。
だからこそ、ルイスは早くここから追い出したかったのだろうが、今回、アンナが腕を失くしたのは、本当に偶然だったのだろうかと、疑問に思った。
アンナがルイスの不興を買ったことを、兵たちは知っている。だとしたら、魔物狩りに出たアンナを助ける者はいなかったのかもしれないと、アシュトン侯爵は考えた。
頼みの綱のエリーヌも、未だ療養中で、味方は誰もいなかったはずだ。生きて戻って来たのが奇跡だと、アシュトン侯爵は改めて思う。
例え片腕を失ったとしても、修道院で新たな生活を送れば、またきっと元気になるだろうと、安直に考えた。
この砦にいるよりはずっと良い。そう思いながらも、何故アンナは侍女や後家に入らず、砦に来ることにしたのだろうと、今更ながらに首を傾げた。
「ルイス様。何故アンナは、砦行きを希望したのでしょうか?」
「あー、確か、ブラッドフォード家に嫁ぎたいとか言っていたねえ」
「えっ!」
最初からそのつもりで砦に来たのだという事実に、アシュトン親子は酷く驚いた。
「ブラッドフォード家の侍女になるには家格が低かったから、砦に来るしかなかったのだろうけど、どの砦に配属されるかは分からないからね。本当は北の砦が良かったみたいだよ」
北の砦にはアンナと同い年の子息が居たはずだと思い至り、アシュトン侯爵は本当に求婚するつもりだったのかと、苦い顔をした。
「すぐに死んでしまうかもしれないのにね。お気楽な頭で困るよ。それでも、アドルフに求婚したのだから、結果はどうあれ目的は達成出きたのかな。有言実行という点では評価できるのかもね」
それでもそれが許されることではないと、ルイスはアンナを切り捨てた。
「そうですか……」
そんな理由で、と口をついて出そうになったが、アシュトン侯爵は何とか堪えた。それでも苦い想いが込み上げる。
自分の下の弟たちは、選択肢など一つもなく、砦へと送られた。未だその砦で戦うことを余儀なくされている現状に、アシュトン侯爵は酷く胸を痛めた。
「叔父上。戻りました」
そしてまた、背後から声をかけられる。遠慮がちにかけられた声に、驚ろかさないようにとの配慮が伺えて、アシュトン親子は複雑な表情を浮かべた。
人の立場になって物を考えられるアドルフが、アンナの怪我を全く気にしないことを不思議に思う。
「お二人とも、来てらしたのですね。昨日は、ありがとうございました」
満面の笑みをみせるアドルフに、昨日と同様、アシュトン親子は戸惑ってしまう。アンナのことがあるから尚更だ。
「いえ、こちらこそ。大したもてなしも出来ずに、すみませんでした」
恐縮しきりでアシュトン親子が頭を下げる。その様子に、アドルフは慌てて頭を上げさせると、すぐに持っていた物を差し出した。
「アシュトン卿、これを……」
おずおずと、アドルフは魔弾銃を差し出した。魔物に踏まれでもしたのか、原型を留めない程にひしゃげてしまっていた。
それを申し訳なさそうに差し出すアドルフに、アシュトン親子の心情は益々複雑になってしまう。
「わざわざありがとうございます」
「いえ、このようなことになってしまい、申し訳ありません」
「いえいえ、こういうことも想定しておりますので、どうぞお気遣いなく」
小さく頷いたアドルフに笑みを向けながら、アシュトン侯爵は魔弾銃を腕に抱えた。
「魔石の回収に、向かいますか?」
気をとりなおして、アドルフが言う。
「はい、そうですね。日が暮れない内に、向かいます」
そうアシュトン侯爵が言ったのと同時に、景色がガラリと変わった。アドルフが転移魔法を発動したのだと理解して、アシュトン親子が狼狽える。
「アドルフ様、わざわざ転移魔法を使っていただかなくとも……」
「アシュトン侯爵令嬢は、余り体力がなさそうなので。本当に、日が暮れてしまいますから」
揶揄っているわけではないと、真剣な面持ちでアドルフはルシアへと向けて言う。その想いを汲んで、ルシアもまた真摯に答えた。
「あ、ありがとうございます」
戸惑いながら、ルシアが礼を述べると、嬉しそうにアドルフが笑った。
それを受けても尚、ルシアの心には困惑が広がるばかりだった。
「では、手早く済ませてしまいますね」
気まずい気持ちを隠すように、ルシアはさっさと魔石の回収を始める。
昨日と同じように、鞄から巾着袋を取り出すルシアを、アドルフがじっと見つめた。
巾着袋に吸い込まれていく魔石の光が、アドルフの目を随分と楽しませていた。
アドルフがアシュトン親子を連れて転移した後、ルイスは一人取り残されたことに、肩を落とす。
「私も一緒に行きたかったのに……」
そうぼやきながら、ルイスはアンナが運ばれた医務室へと向かう。今頃エリーヌに宥められているだろうと思いながら、さっさとアンナを追い出してしまおうと、面倒ごとを片付けにかかる。
そうして医務室に転移したルイスは、相変わらず泣き叫んでいるアンナに「元気だなあ」などと呑気に言葉を零した。
アンナの傍にはエリーヌがしゃがみ込み、懸命に宥めている。それでも尚、アドルフの名を叫ぶアンナに、ルイスは嫌悪の表情を浮かべた。
「やあ、アンナ。君はもう用済みだよ。さっさと砦を出て、修道院にでも行ってくれ」
ニンマリと嗤うルイスに、アンナの泣き声が小さくなる。
「せ、先生……アドルフ様は……アドルフ様を呼んでください……」
「いい加減にしろ。アドルフは来ないし、お前はここを出て行くんだ」
剣呑な眼でアンナを見据え、低い声でルイスが告げる。殺気の混じった声音に、アンナだけではなく、アンナをここへ引きずってきた兵たちも顔を青くした。
「先生、治療を受けたら、ここを出て行かせます。それでどうかお許しを」
アンナの傍にいたエリーヌが、深々と腰を折る。それにアンナが反発した。
「勝手なこと言わないでよ! 私はアドルフ様と結婚するの! 絶対、出て行かないわ!」
食ってかかるようにエリーヌに叫んだアンナに、堪らずエリーヌがアンナの頬を叩いた。
「アンナ、もう夢を見るのはやめて! 現実を受け止めなさい!」
そうしてすぐにルイスへと向かい、土下座をした。
「先生、どうかお慈悲を! アンナはただ、現実を受け入れられないだけなんです。だからどうか!」
エリーヌを見下ろしながら、ルイスは腕を組み、小さく息を吐き出す。
そんな仕草一つでも、エリーヌは震え上がった。
「エリーヌに免じて、許してあげるよ。そのかわり、明日の朝までに、ここを出て行かせるんだ。わかったね」
「はい……」
その会話に、わあわあと泣き出したアンナの背を、エリーヌがさする。どこまでも面倒見の良いエリーヌに、わずかばかり目を細めて、ルイスは医務室を後にした。
「アンナ、今夜中に砦を出るわよ」
「嫌よ! 痛いの! すごく痛いの! 歩けない! 歩けないわ!」
「それでもここを出るのよ。死にたくないんでしょう? 先生の気が変わらない内に、ここを出るのよ」
「痛いのよ……ものすごく……痛い…うう……」
散々喚いたせいか、アンナの目が虚ろになっていく。たくさんの血を流したのだ、当然だろうと、エリーヌはアンナを優しく諭す。
「そのまま、気を失ってしまいなさい。その方が楽よ」
「うう、助けて……先輩……」
「ええ、助けるわ。だから、心配しないで」
コクリと頷いたアンナは、そのあとすぐに、意識を手放した。
今夜中にとアンナには言ったが、どうしていいのか分からなかったエリーヌは、縋るようにアンナを連れて来た兵たちに目を向ける。
そんなエリーヌの視線を受けても目を合わさず、アンナの腕の治療を兵たちは黙々と進めた。
そんな中、一人の兵が重い口を開いた。
「侯爵が来ているんだろう? 何とか頼んでみろ」
エリーヌもそれはすぐに頭に浮かんだが、先程見舞いに来てくれたばかりで、帰るときにもまた顔を出してくれるとは限らないと、暗い顔をした。
「侯爵も、アンナが腕を失くしたのは知っている。きっと魔石の回収が終われば、様子を見にここに来てくれるさ」
「そうだと、良いんだけど」
本当に来るかどうかは、兵たちも、エリーヌにも分からなかった。ここに来ることでルイスの怒りを買う恐れもある。そうまでして、様子を見に来てくれるだろうかと、エリーヌは思う。
不安だけが増していく中、エリーヌはただ、アシュトン侯爵がここに来てくれることだけを、強く願った。
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