第7話 アシュトン侯爵の想い
魔導具造りを行う工房は、随分とこぢんまりとした作りになっていた。外観はただの小屋で、中も大きな机が二つ置いてあるだけの質素なものだった。
奥の部屋に続く扉が二つあるが、外観からしても然程広くはなさそうだった。
「送ってくださり、ありがとうございます。狭いところですが、どうぞゆっくりとしていってください」
アシュトン侯爵が、深く腰を折る。ルシアはその間に、奥の扉へと向かい、お茶の準備を始めていた。
木で出来た丸椅子を勧められたアドルフは、遠慮なく腰を下ろし、工房内を見渡す。程なくして、ルシアがお茶を運んで来た。
使用人はいないらしく、地味でおっとりとした第一印象だったルシアが、テキパキとお茶の準備をする姿に、アドルフはつい魅入ってしまう。そのアドルフの表情に、アシュトン侯爵は苦い思いが込み上げた。
「お口に合うと良いのですが……」
「ありがとう」
おずおずと、自信なさげにそう告げたルシアに、アドルフは満面の笑顔を向けた。
ルシアはその笑顔を受けても、緊張の方が勝るのか、ぎこちなく頭を下げ、工房の机へと歩いていく。
アドルフはその後ろ姿を満足いくまで眺めた後、ルシアが淹れてくれた紅茶に口をつけた。質素で、いかにも工房という場所に似つかわしくない、深みのある上品な味わいに、思わず溜め息を零す。そして、二口目で一気に紅茶を飲み干した。
行儀が良いとは思えないその行動を、咎める者は誰もいない。それを分かっているからこその行動だったが、アシュトン侯爵への心象は良くなかったのではないかと、アドルフは内心で焦ってしまう。
だがそれよりも、アドルフは早くルシアの傍に行きたかった。
そのルシアへと顔を向けると、先程回収した魔石を入れた巾着袋を取り出し、机の端に置かれていた魔道具らしき物に手を伸ばしている最中だった。
「これから先程集めた魔石の、浄化作業を行います」
じっとルシアの様子を観察していたアドルフに、アシュトン侯爵がこれから行う作業の説明をする。
「傍で見学してもいいでしょうか?」
そのためにここへ来たのだと、表情に込めながらアドルフが言う。
「勿論です。どうぞこちらへ」
そう言って立ち上がったアシュトン侯爵の後へ、アドルフは続く。ルシアのすぐ傍まで行くと、その手元を二人で覗き込んだ。そのことに、ルシアが緊張したのか、動作がゆっくりとなる。
巾着袋を筒型の魔道具へと入れると、ルシアが魔力を流した。淡い青色の光が魔道具へ灯ると、すぐにその光が消えてしまう。
「ん? もう終わったのですか?」
「はい。これで浄化は終了です」
余りにも呆気ない浄化に、アドルフは拍子抜けしてしまう。もっと派手なことが起こるのだろうと思っていただけに、ガッカリと肩を落とした。それでも、次の作業のために、巾着袋を取り出したルシアの手元は目で追ったままだった。
「次は魔石の選定を行います。魔石の質と属性を、鑑定する作業です」
アシュトン侯爵の説明に、アドルフは興味をそそられる。好奇心を隠すことなく、もっと近くで見たいという気持ちから、グイッとルシアとの距離を縮めるアドルフに、二人はギョッとした。
それでも、それを咎めることも、やめて欲しいとも言えず、ルシアは仕方がないとそのまま作業を続ける。
巾着袋を逆さにして、魔石があちこちに散らばらないように手を添えながら机の上に出す。
昨日倒した魔物の分と、先程の分とで、数にして百個近くあった。全ての魔石が小粒であるが、大事に扱うその手付きを、食い入るように見つめるアドルフは、また一歩、ルシアへと詰め寄る。そのことに、流石にルシアは仰け反った。
少し距離が空いたことにホッとしたのも束の間、アドルフはルシアの顔を覗き込むように質問をする。
「魔石を見たのは初めてだが、同じ種類の魔物ばかりなのに、何故こんなにも色が違うのだ?」
「……それは、ですね……」
動揺を隠せないルシアは、随分と近い位置にあるアドルフの顔を直視出来ずに、目を泳がせる。そんなことはお構いなしに、アドルフは、グイグイとルシアへと迫っていく。
「色によって属性が違うのか? それとも、形で違うのか?」
「……色によって違います。形は、属性には関係ありません」
落ち着く暇もないながら、ルシアは質問へと返事をする。未だ緊張と動揺は続いていたが、返事をしなければ先に進めないだろうと、必死に平静を装いながら、ルシアは答えた。
色も形も様々ではあるが、同じ色の物が幾つかある。それを確認しながら色別に分けていく。
何回か魔石を摘んだ後、ルシアがもう一度魔石を掴もうとしたところで、アドルフがふいに手を伸ばしてきた。それに驚いたルシアは、思わず固まる。そしてその止まってしまったルシアの手に、アドルフが何の迷いもなく掬い上げるように触れてきた。
余りの突然の出来事に、ルシアとアシュトン侯爵は声も出せない。
「まだ幼いのに、働く者の手だな。偉い偉い」
そう言って、ルシアの頭を優しく撫でた。
ルシアに『再会』して、前世の記憶に引きずられてしまったアドルフは、幼いルシアを前世の『幼い頃の妻』と混同してしまう。
前世で『妻』と出会ったのは学生の頃だったにも関わらず、アドルフは目の前のルシアを『妻』と認識し、幼かった頃の『妻』だと錯覚した。
容姿も年齢も違うのに、『妻』だと認識した途端に、アドルフの中では、ルシアは『自分の妻』だと思い込んでしまっていた。それ故の、行動だった。
そんなこととは知る由もないルシアは、アドルフに頭を撫でられ、益々動揺した。そのせいだろう、格上であるアドルフに、思わずといった感じで、言葉を発してしまう。
「……あ、あの……私とブラッドフォード様は同い年ではありませんか……幼いと言われるのは心外です……」
「ああ、アシュトン嬢、俺のことはアドルフと呼んでくれ」
「は、はえっ?」
もう驚きすぎて何がなんだか分からなくなったルシアは、変な声が出てしまう。
たった今、苦言を呈したというのに、上機嫌で名を呼べと言われて、ルシアの思考回路が停止し、ピシリと身体が固まった。
その様子に笑みを深めたアドルフに、アシュトン侯爵が困ったように間に入る。
「余りルシアを苛めないでください」
苦笑混じりに言われ、アドルフはキョトンとする。そんなつもりは微塵もなかったが、父親の前ですることではなかったなと思い、ルシアの頭から手を退けた。
前世では自分にも娘がいた。娘が彼氏を家に連れて来たとき、何とも言えない気分になったことを思い出し、アドルフは苦笑いを零す。
「すみません、つい……」
いたたまれない想いと共に、謝罪の言葉を口にするも、ルシアの手は未だアドルフに掬い上げらた状態のままだった。
それをやんわりと外す方法は、さり気なく作業に戻ることだろうと、ルシアは回らない頭で必死に考えを巡らせる。そして戸惑いながらも、アドルフに向けて作業に戻る旨を告げた。
「で、では、作業に、戻ります」
真剣な面持ちで言えば、アドルフもまた、真面目に見学をする態勢になる。
そのことにホッとしながら、ルシアは机の下から少し大き目の魔道具を引っ張り出す。そしてまた、アシュトン侯爵が説明を始めた。
「これは魔石の質と属性を調べる魔道具です。色である程度属性は分かりますが、たまに二つの属性を持っている魔石もあります。流石に百個近くあるものを、ひとつひとつ調べるには時間も魔力も足りませんので、同じ色の魔石の中で一番大きい物を入れて、その他の魔石の質がどの程度かを予測します」
少し大き目の魔道具は浄化の魔道具に似て、筒型になっていた。
上から一つだけ魔石を入れ、ルシアが魔力を流すと、その魔道具の側面に文字が浮かび上がる。大き目の魔道具は重いのだろう。床に直接魔道具を置いているので、その文字を読むために屈む必要があるのだが、背の低いルシアには屈んだ時に丁度目線がそこに来るので問題なさそうだが、アシュトン侯爵はその文字を読むのに苦労しているように見えた。
「魔道具は、造った後にこうすれば良かった、ああすれば良かったと思うことがままあります。これもその内のひとつです」
アドルフの心の声が聞こえたかのように、アシュトン侯爵が情けない表情で失敗談を話す。それでも、とても便利な魔道具だとルシアが褒めると、アシュトン侯爵の頬が緩んだ。
微笑ましい親子の関係に、アドルフの心が和む。その久しぶりの暖かな感覚に、涙が出そうになった。だが、まだ若いせいなのか、涙腺は崩壊することはなく、代わりに柔らかな笑みがアドルフの顔に浮かぶ。
常に上機嫌なアドルフに、アシュトン親子はブラッドフォード家の人間なのに、ルイスに似て随分と気さくな人物なのだなと、安心してしまっていた。
だがその二人の認識は、次の日に、大きく覆ることになる。
◇ ◇ ◇
翌日、エリーヌの見舞いへとやって来たアシュトン親子は、砦の入口近くにある医務室へと通された。
「エリーヌ、身体の方はどう?」
ルシアが花束を渡しながら訊ねる。それに申し訳なさそうな笑みを浮かべ、エリーヌが答えた。
「はい、お陰様で、だいぶ良くなりました」
随分と血を失ったと聞いていたアシュトン親子は、エリーヌの顔色がまだ青いことに眉を下げる。だがエリーヌの返事を聞き、安心したように頬を緩めた。
「無理はしないでね。ゆっくり休んで、早く元気になってね」
そう言った後に、酷な願いかもしれないと、ルシアの気が沈む。回復すれば、嫌でもまたあの魔物たちと対峙しなければいけないのだ。
「ありがとうございます」
そんなルシアの心情は伝わらず、素直にお礼を言うエリーヌに、アシュトン侯爵が静かに言葉を紡ぐ。
「どうだろう、エリーヌ。余り乗り気ではなかったようだけど、あの話を受けてはくれないだろうか」
「……それは……」
アシュトン親子がこの砦に通うようになって、まだ一月も経っていない。だがエリーヌの境遇に、二人はとても胸を痛めていた。
そもそも、砦の兵には女性はいない。貴族の三女以降は大体が高位貴族の侍女になるか、中年貴族の後家に入る。そして修道院へと入る者も多い。
それでも、稀にこうして女児が砦へと送られることがある。それは生家からの嫌がらせだったり、本人が侍女と後家、修道院を嫌がった時だけだ。
アンナはその『嫌がった』くちだった。
だがエリーヌは違う。
本来であれば、エリーヌは剣術の腕を買われ、近衛騎士団に入団する予定だった。
だが、それを妬んだエリーヌの姉が砦へと無理矢理押し込んだのだ。事情を知って、砦の責任者であるルイスが近衛騎士団に掛け合おうとしたが、エリーヌはそれを断った。
近衛騎士団へ入れば嫌でも姉と顔を合わせなくてはならなくなる。姉の嫁ぎ先が騎士団長の息子だと知っていたので、エリーヌは早々に諦めた。
そしてこの砦では、剣術の腕を妬まれエリーヌは居心地の悪い思いをしている。まだ一月しかこの砦の様子を目にしていないアシュトン親子でも、それがあからさまに分かる程に、エリーヌの環境は酷いものだった。
だから提案をした。
自分たちの護衛をしてもらえないかと。
アシュトン親子が結界石の研究をしているのは、砦に送られた者たちを救うためだ。
一人でも多く、生き残るため。
だが現実は甘くはない。
アシュトン親子の掲げる理想は、砦の兵たちにとって、必ずしも救いになるとは限らない。この地獄のような毎日から抜け出す方法は、死ぬことだけだ。
それを分かっていても止められない程に、アシュトン侯爵はこの国の制度を嫌悪していた。そして願わくば、この制度自体を無くしたいと思っている。
そのために、兵たちが『使い捨て』にならないように、結界石の研究を続けていた。
「……アンナを一人には……出来ないので」
苦々しく口にした言葉は、エリーヌ自身を傷つける。あの時、この砦から開放されたいと思った自身の行動は、結局はアンナを『置いて逝く』ことになったのだ。
それでもそう強く願っている自分の心が、アシュトン侯爵の提案に乗ってしまいそうで、エリーヌは懸命に気持ちを押し留める。
「彼女はここを選んだのだろう。そのことは彼女の責任であり、君が気に病むことではない」
「それだけではありません。女だからといって、自分だけここを出るわけにはいきません」
貴族の令嬢ばかりが優遇されているのも、エリーヌ同様、アシュトン侯爵も納得は出来ないでいた。だからこそ、自身の知識と能力を使い、助けたいとアシュトン侯爵は願っている。
「私たちの想いは、なかなか砦の人たちには受け入れてもらえないみたいだけれど、これから先のことを考えれば、この研究も実を結ぶと信じている。そのためにも、君に護衛をしてもらって、行動範囲を広げて行きたいと思っている」
魔石を手に入れる方法は、魔物だけではなく、深い山の中にある洞窟でも採取出来る。だがそこに行くまでの道中に、魔物と出くわすことも多々ある。
いつもは冒険者を雇っているが、依頼したい時に強い冒険者が捕まるとは限らない。だったら専属の冒険者を雇おうと考えた時、砦にも出入り出来る方がいいと考えて、エリーヌに白羽の矢がたった。
冒険者は砦を酷く嫌う。砦は『貴族』の戦場であり、『貴族』の居場所だ。そこに『庶民』が入ることは憚られた。
「お父様、今は身体を万全に戻すのが先です。先ずはゆっくりと休養を取って、元気になってからお話しましょう?」
辛そうな表情をみせるエリーヌに、堪らずルシアが割って入る。父親がエリーヌをここから助け出したいという気持ちは百も承知だが、アンナがいる以上、それは無理だとルシアは思っていた。
アンナはエリーヌに依存している。今までアンナが生き延びることが出来たのも、エリーヌのお陰だった。
エリーヌを引き抜きたいと、ルイスへ話を持ちかけたときにそう聞かされ、それがエリーヌの足枷になっているのだろうとルシアは考えた。
解決策は見つからない。だからルシアは、これ以上エリーヌを苦しめたくはないと、父親を止めた。
「そうだね。弱っているところにつけ込んでしまう形になってすまない。でも、前向きに考えて欲しい」
「はい。ありがとうございます」
小さく笑んだエリーヌに、アシュトン侯爵はホッと息を吐いた。追い詰めてしまったかと思っていただけに、その微笑みを見て安心した。
「じゃあ、ゆっくり休んで。お邪魔しました」
急くようにルシアがそう言い、父親の背を押す。退室する二人に、苦笑いを浮かべながらエリーヌは会釈をする。
そうして静かになった医務室で、エリーヌは独り言つ。
「どうしたらいいのかな……私は、どうしたいんだろう」
アンナを助けるために、ここにいる訳ではない。だがここを出れば、アンナを見捨てることになる。
例えそうでないと言われても、罪悪感は拭えない。いっそ死んでしまえれば楽になるのにと、助けられた命に縋っておきながら、何て自分勝手なのだろうとエリーヌは自分自身に嫌気がさした。
そして、一番酷い思考が脳裏を掠める。
『アンナが死んでくれればいいのに』
ずっと心の片隅にあった言葉が、弱ったエリーヌにのしかかる。それが自分の本音なのだろうと嘲笑し、アンナはゆっくりと寝台へ横たえた。
いつかここを出られる日を夢見て、瞼を閉じる。それが『死』によってなのか、自身の思いからなのかは分からない。
ゆっくりと眠りに落ちるエリーヌは、その運命の日が間近に迫っていることを、知る由もなかった。
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