第6話 結界石
「さあ、じゃあ、行こうか」
そのルイスの言葉に、一気にアシュトン親子に緊張が走る。
そんな二人とは対照的に、ルイスはのんびりとした口調で転移魔法を発動した。
声は確かにかけてくれたものの、何の下準備も無しに、いきなり転移したことに、二人は動揺する。
そして目の前の光景に、戦慄した。
転移した先は、魔物の真っ只中だったからだ。
「叔父上、いくらなんでもこれはた……」
アドルフの呆れた声が漏れるも、周りにいる兵たちの怒号と魔物の雄叫びにかき消される。
アシュトン親子はその最前線の只中で動けず、身を固めていただけだった。
そんな二人の様子に、ルイスが近づいてきた魔物を倒しながら呑気に質問をする。
「どうだい、結界石の方は?」
当初の目的である、結界石の効果の程を確認すべく声をかけるも、固まった二人からは返事がない。
「あれ? 二人とも、大丈夫かい?」
二人の様子に驚いた表情を見せるルイスに、アドルフは思わず呆れてしまっていた。
「叔父上、流石に魔物のど真ん中に転移するのはどうかと思いますよ」
「え? でも結界石を試すなら魔物に接近した方が良いよね」
同意を求めるように二人を見やれば、漸くこの現況を飲み込めたのか、アシュトン侯爵が小さく頷く。
戦場が初めてではないアシュトン侯爵は、今の状況を確認すべく、辺りを見回した。
目に飛び込んで来る光景は酷いものばかりだった。
二足歩行と四足歩行、獣の様な魔物に人間の様な肌を持つ魔物、おぞましい蛇や蜥蜴の様な魔物など様々で、濃い瘴気を放っている。
魔物の群れは容赦なく兵たちに襲いかかり、『人間』は紅色を散らしていた。
近くにいる二足歩行の毛むくじゃらの大型の魔物の手には、『人間の腕』が握られている。
それを横目で見ながら、アシュトン侯爵は足を踏ん張らせた。
そしてルシアもまた、この現状を理解し、気絶しないように歯を食いしばる。
その二人の様子に、アドルフはルイスに苦言を呈さずにはいられなかった。
「普通は少し離れた所から徐々に魔物に近づいていって、どの辺りまで結界石が有効かを確かめるものではないのですか?」
そのアドルフの言葉に、アシュトン侯爵と、ルシアの二人が何度もこくこくと頷いた。
「そういうものかい? でも、結界石は大丈夫そうだね」
確かに、とアドルフは感心した。魔物が寄って来てはいるものの、二人をまるで認識出来ないかのように無視されている。
「認識阻害を追加したって言ってたけど、成功かな?」
「はい、恐らく……」
そう言いかけたアシュトン侯爵の真横から、大きな腕が伸びて来る。
一つ目の小型の魔物の腕はひょろリと長く、鋭い爪は紅い液体で塗れていた。
「おっと」
ルイスよりも先に、アドルフがその魔物を風魔法で真っ二つにした。ついでに二人の周辺にいた魔物も一緒に切り裂かれる。
その数は十体程だ。軽く放たれた、たった一度の魔法の発動でこれ程の威力があることに、親子二人は目を剥いた。
「アドルフ、気持ちは解るが、結界石の効力を見るためだから、我慢しないと」
「ああ、そうでした」
アドルフはバツが悪そうに笑うが、アシュトン侯爵は青い顔をしながら素直に礼を述べた。
「ありがとうございます。流石に肝が冷えました」
「いえいえ。ただ、どこまで我慢すればいいのか判らないので、危ない時は遠慮なく言ってください」
「はい。ありがとうございます」
神妙に頷く親子二人に、アドルフは笑顔を向ける。その場違いな笑顔に、二人は顔を引つらせた。
一般の兵たちからしてみれば、ここは命のやり取りをする戦場で、とてもではないが笑って会話ができる場所ではない。
現に、むせ返る程の鉄の匂いが漂うこの場所では、兵たちの悲鳴や怒号が飛び交っていた。
そんな状況であっても、あちらに助けに入ることもなく、自分たちの護衛として傍を離れないルイスとアドルフに、言い知れない恐怖を感じる。
自分たちの目的は、砦にいる多くの兵たちを救うことだ。そのために結界石の研究を続け、生き延びる道を模索している。
そこまで考えてから、アシュトン侯爵は一番下の弟の言葉を思い出す。
『生き長らえて、ずっとあの魔物たちと戦わなければならないのか? だったら俺は、さっさと死んでしまいたい』
生まれてきた順番のせいで、弟たちは皆、戦場へと駆り出された。そして死ぬまで開放されない地獄へと放り込まれる。
今この砦にいる者も、弟たちと全く同じようにここへ連れて来られた筈で。
弟たちのためにと言いながら、結局は苦しみを長引かせているだけなのだろうかと、アシュトン侯爵は項垂れた。
そして彼らを助けないブラッドフォード家の者たちは、それが分かっているから助けないのかもしれない。アシュトン侯爵にはその疑問をルイスにぶつけられる程の豪胆さはない。それでも、そうであって欲しいと、アシュトン侯爵は思わずにはいられなかった。
「どうやら効果は、今ひとつってところかな?」
先程の魔物に続いて、アシュトン親子へと魔物が襲いかかる。結界石のおかげである程度の攻撃は防げるものの、大型の魔物の攻撃で結界石の一つが砕けてしまった。
新しい結界石を出すも、すぐに砕かれて、その数が段々と多くなっていく。
予定ではこんなにも魔物に近づくつもりではなかったため、魔物から離れたくとも次々に襲いかかられてそれさえも出来ずにいた。
そしてルシアの方が先に、結界石の底が尽きる。獣型の魔物がルシア目掛けて牙を向く。最後の一つの結界石に魔力を流すもすぐに砕かれた。と同時に、魔物の牙が、頭を庇うように咄嗟に出されたルシアの腕を捕らえようとする。
「ルシア!」
その焦ったルシアの様子に、結界石が尽きたことを悟ったアシュトン侯爵が名を叫ぶ。すぐに駆寄ろうとしたところで、アシュトン侯爵もまた、最後の結界石を砕かれた。
それを察したアドルフが、一気に魔物たちを駆逐する。
それはほんの一瞬の出来事だった。辺りにいた全ての魔物が内側から弾け、肉片が飛び散る。ただ飛び散ったのは自分たちとは反対の方向だったので、汚れることはなかった。
それでも、その余りにも凄惨な光景に、アシュトン親子のみならず、砦の兵たちも戦慄した。
まだ十歳の子供ながら、三十体以上の魔物を一瞬で屠ったアドルフに、ブラッドフォード家の人間なのだと改めて思い知らされる。
「危なかったね〜」
「はい、本当に。それにしてもお二人とも、結界石が無くなりそうだったなら、声をかけてくださればよかったのに」
穏やかにそう言ったアドルフは、内心で冷や汗をかいていた。出逢って間もない前世の妻に、目の前で先立たれては堪らない。
漸く動き出したこの人生を、こんなところで終わらせるなど有り得ないと、アドルフは表情や言葉に乗せはしないが心の中で激しく憤慨した。
「す、すみません……」
親子二人が揃って頭を下げたことに、アドルフは少しばかり溜飲が下がる。
「まあ今回は叔父上のせいですので、こちらにも責任はありますから。お二人を守れて、本当に良かったです」
「本当に危ないところを、ありがとうございます」
「あはは、ごめんね〜」
深々と生真面目に腰を折る二人に、苦笑いを浮かべながら軽い調子で謝るルイス。
そんな三人の様子に、アドルフは思わず溜め息を零した。
「今度からは俺がお二人を転移魔法でお連れしますので」
「い、いえ、それは結構です。私どもは自力で兵の皆さんについて行きますので」
「それこそ、自殺行為でしょう。俺が責任を持って連れて行きますのでご安心ください」
強い意思を瞳に湛えて、アドルフが言い切ると、二人は恐縮したようにまたお礼を言いながら頭を下げる。
それに気分を良くしたアドルフは満面の笑みで頷き返した。
「では、魔石を回収しようか」
話がついたところで、ルイスがそう切り出すと、慌てた様子でルシアが小さな鞄から巾着袋を取り出す。それを魔物の死骸へと向けると、魔力を流した。
淡く光り出した袋に呼応するように、魔物の体内にある魔石や、そこここに落ちている魔石が光出す。体内にある魔石が、するりと肉壁をすり抜けると、死骸の真上の空中で静止した。
落ちている魔石も、同じように、空中で静止している。
そして吸い込まれるように巾着袋へと収まった。
「へえ〜。これも魔道具ですか?」
「はい。魔石にのみ反応し、この中に収まるように構築された魔道具です」
「便利ですね。でも瘴気に塗れた魔石も混じっているのでは?」
「はい。これは空間魔法を応用して作られているので、袋に入れる際には問題ありません。後は工房に戻って、取り出す際に、浄化魔法で清めます。まあ、それも魔道具なのですが」
「へえ〜。すごいですね」
感心しきりのアドルフを見遣り、アシュトン侯爵は複雑な表情をしてみせる。目の前の魔物の死骸を見て、たった十歳でこれ程のことを成し遂げる、アドルフの方が余程すごいのでは、と思わずにはいられなかった。
くしくもアドルフはルシアと同い年だ。つい自分の娘と比較してしまうが、年齢の割に大柄なアドルフは、とてもルシアと同い年には見えない。
そんなことを考えながらも、屈託のない笑顔は子供らしく好感が持てると、アシュトン侯爵は笑みを零した。
「あの、その浄化の魔道具も見てみたいので、俺も一緒に工房へ行ってもいいですか?」
「えっ!」
のほほんとアドルフの少年らしさを噛み締めていたところで、思いもよらないことを言われる。そして突然の申し出に、アシュトン侯爵が狼狽えた。その様子に、アドルフは眉を下げて残念そうに聞き返した。
「駄目ですか?」
「えっと……別に構いませんが、そんなに面白いものではありませんよ? それに、こちらでのお仕事はよろしいのですか?」
眉を下げるアドルフに、アシュトン侯爵は思わず了承の意を出してしまったが、慌ててルイスへと顔を向ける。ここの指揮官である彼の了承を先ずは取るべきだと、返事を待った。
「ああ、こっちはもう特にやることはないから、行って来ていいよ。ただし、おりこうさんにするんだよ」
「はい、叔父上。夕餉までには帰ります!」
「よしよし。じゃあ、アシュトン卿、息子の我儘で申し訳ないが、色々と魔道具を見せてやってくれ」
「は、はい。承知いたしました」
昨日来たばかりだという甥に対し、良いところを見せたいせいなのか、かなり甘いルイスにアシュトン侯爵は笑みを深める。既に良い関係を築き上げている二人に、知らず安堵している自分に気づき、随分と緊張していたのだなと、今更ながらに思い至った。
魔物の真っ只中に連れていかれ、命の危険を肌で感じ、先程は死を覚悟するまでになった。そして一瞬で三十体もの魔物を屠った十歳のアドルフの頭を撫で、しっかりと子供扱いをするルイスに、心底安心したのだ。それは傍から見て、『普通』の親子、そのものだった。
「では、工房には転移魔法で行きましょう」
「「えっ!」」
アドルフの提案に、アシュトン親子が驚く。一度ならず二度までも、稀代な魔法を惜しげもなく使おうとすることに怖気づいてしまう。
「とは言え、場所が分からないので、お二人には工房の場所を強く念じていただかなくてはいけませんが。出来そうですか?」
「は、はい。それは大丈夫かと」
アシュトン侯爵の言葉に、ルシアにも確認を取るようにアドルフが視線を向ける。その視線を受け、ルシアも神妙な面持ちでコクリと頷いてみせた。
「では、行ってきます、叔父上」
言うが早いか、アドルフは二人を連れて転移した。
残されたルイスは小さく呟く。
「ふ〜ん。随分と気に入ったようだね〜」
ニンマリと笑ったルイスは、息子となったアドルフが、このまま何事もなく、ブラッドフォード家の血に呑み込まれずにすむことを、切に願った。
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