第5話 出逢い2
森の奥へと足を進めながら、アンナは何度目かになる愚痴を零す。
「ねえ、さっさと歩いてよ! こんなんじゃ日が暮れちゃうわ! あたしは午後から仕事があるんだから!」
「はあ……はあ……ごめん……なさい……」
「もう、あんたのお守りなんて御免だわ!」
怒りながらドスドスと歩くアンナに、アシュトン侯爵の娘、ルシアは息を上がらせながら力なく謝罪する。
本来ならば侯爵家の長女であるルシアに、アンナがこんな口を聞けば不敬罪で処刑されてもおかしくはないが、アシュトン侯爵とルシアはそのアンナたちを助けるために日々研究をしているので、アンナの態度の悪さを気にも留めない。
だが、いつもよりも格段に速い速度で歩くアンナに、何かあったのかと戸惑った。そしていつも一緒について来てくれるエリーヌの姿がないことに、一抹の不安を覚える。
エリーヌがいてくれれば、もう少し速度を落としてもらえるのにと、ルシアは息を切らせながら項垂れた。
「……エリーヌは……?」
「っ!」
ルシアの呟きに、アンナの顔色がサッと青くなる。そのことに、ルシアは聞かなければ良かったと後悔した。だが、アンナの次の言葉に心底安堵する。
「怪我をしたの。でも命に別状はないわ。ただ血を流しすぎたから、当分は仕事に出られないだけ」
「……そう……」
ルシアはつい出そうになってしまった、『良かった』という言葉を呑み込んだ。
生きていて良かった。それでも、砦の兵たちにとって、それは本当に『良かった』ことなのかとルシアはつい考えてしまう。
この地獄のような毎日から抜け出したいと思っている者は多く、抜け出す方法は『死』だけだと、誰もが知っているからだ。
「昨日、先生の息子になったアドルフ様が、あたしたちを助けてくれたの」
「……そう」
先程まで怒り散らしていたのが嘘のように、俯きながら頬を染めるアンナに、ルシアは息を切らせながら短く相槌を打つ。
「とても素敵な方だったわ。あたしよりも三つも年下なのに、背が高くて、凛々しくて、とても大人っぽいの! それにものすごく強いのよ! 大型の魔物を一瞬で倒しちゃったんだから!」
興奮して夢中で話しているせいか、歩調が緩やかになる。そのことにホッと息を吐きながら、アンナの話にルシアは耳を傾けた。
「あたしの運命の人なのよ!」
「……運命?」
「そうよ! あたし昨日アドルフ様の紹介がある前に、アドルフ様に求婚したの!」
「えっ!」
夢見る少女のようにうっとりとしながら、とんでもないことを口にしたアンナに、ルシアは顔を青くさせた。そんなことをして、只では済まないのではないかと、背筋を震わせた。
そして案の定、ブラッドフォード家の逆鱗に触れ、前線に立たされたと聞き、目眩がルシアを襲う。だがそんなとんでもない経験をしたというのに、アンナは夢見る少女そのままに、助けてくれたアドルフとは相思相愛だと言い張った。
そして運命で結ばれているのだと豪語する。
「叔父である先生の命令を無視してまで、あたしを助けてくれたのよ! もう、運命だとしか言いようがないじゃない!」
「……そうかしら……」
「はあ? なに? 嫉妬してるの? まあ、あんたみたいな地味でブスじゃあ、政略結婚でも厳しんじゃない?」
実際その通りなので、ルシアは言い返さない。
アンナは一見、とても可憐で可愛いらしい。三女として生まれていなければ、引く手数多だろうと思われる程に見目は良い。
だが現実はそんなに甘くはない。ブラッドフォード家の人間は人を愛することが出来ないと有名だった。
だが『アドルフ』に関して言えば、その範疇ではない。
噂ではブラッドフォード家の血を引きながら、唯一『人間』に近いと言われている。
そのアドルフならば、人を愛せるのかもしれないと、ルシアは思った。だが、そんなことはルシアの人生において、何ら関係はないと頭を振る。
「二人が運命で結ばれているのなら、何が何でも生き延びないといけないわね」
漸く息の整ったルシアは、鼓舞するようにアンナへと言葉を投げる。それこそが、ルシアの願いでもあるからだ。
「もちろんよ! それに、あたしのことは、アドルフ様が守ってくれるもの、死んだりなんてしないわよ!」
明るく返事をするアンナにルシアは頷いてみせる。
すぐ目の前に見えて来た魔物の残骸に、明るい話題が塗りつぶされそうで、ルシアとアンナはすぐに口を噤んだ。
そしてルシアは願う。凄惨なこの場所で、魔石を回収しながら、彼女たちが幸せになれるようにと、ただ祈った。
◇ ◇ ◇
ルシア・アシュトン。
アシュトン侯爵家の一人娘だと、アシュトン侯爵がそう紹介をする。それを受け、ルシアという少女がおずおずと自己紹介をした。
「お初にお目にかかります。アシュトン侯爵家が長女、ルシアにございます」
余り慣れていないカーテシーをしてから、アドルフへと視線を合わせる。
そのほんの十数秒の間に、アドルフの脳内に、前世での様々な記憶が駆け抜けた。
それはまるで走馬灯のようで、アドルフは突然のことに酷く動揺した。
そして、最期の記憶が特に鮮明に蘇った。
『私を……おいて逝かないでよ……』
脳内に響いたその声が、木霊する。
何度も反響するように。
思わず引きずられそうになり、意識が一瞬飛びかけた。
それを無理矢理ねじ伏せ、奥歯を噛みしめる。
表情にどれだけ出てしまったかと焦るも、しっかりと前を見据え、足を踏ん張らせた。
だが、精神年齢が六十を過ぎているアドルフにとって、態勢を立て直すのに、そう時間はかからなかった。
ルシアが自己紹介を終え、頭を上げる頃には落ち着いていたのだ。だから特に誰に怪しまれることもなく、アドルフもルシアに向かい、自己紹介をする。
「ご丁寧な挨拶を、ありがとうございます。ルイス・ブラッドフォード公爵の養子になりました、アドルフです。どうぞよろしくお願いします」
王家よりも格上のブラッドフォード家の者としては、かなり丁寧な挨拶をするアドルフに、ルシアは恐縮しきりではあったが、それでも何とか笑顔を顔に貼り付けた。
その引きつった笑顔にアドルフは苦笑しつつも、握手を求め、手を差し出す。
ゆっくりと手を重ねるルシアに、アドルフはその姿を焼き付けるように金色の目を見開いた。
そして重ねられた手をしっかりと握る。
お互いの体温が混じり合うように、じんわりと温かくなった手に視線を移し、アドルフはじっと見つめた。
『懐かしい』
ただ一言、心で呟いた。
ルシアの容姿は当然のことながら前世の妻とは程遠く、面影など残ってはいない。手の感触も、今は子供なのでもちろん違う。
ただ髪色だけは、濃い茶色で、前世でも少しばかり見慣れていた色合いだ。
目鼻立ちは欧米人のそれでも、ぼんやりとした感じが素朴で、全体的に地味な印象だなとアドルフは思った。
それでも心の奥に灯った光は、段々と輝きを増すように大きくなる。
そしてアドルフは、先程の走馬灯のようなものが何なのか、理解し始める。
そこでふと、『ソウルメイト』という言葉が、アドルフの頭に浮かんだ。
前世の記憶の中に、その言葉はあった。
確か娘が孫を連れて来たときに言っていた筈だと、遠い記憶を必死に手繰り寄せる。
『お父さん、ソウルメイトって言葉、知ってる? 前世で家族だったり、親友だったりした親しい人たちって、来世でも何かしら関係性を持って生まれるんですって。だからこの子も、実は前世では私の家族だった誰かかもしれないわ』
まだ頭が座っていない孫を抱き上げた自分に、娘がそんなことを言っていた。
その時は前世や来世の話自体を信じていなかったので、特に何かを思うこともなかった。
だが今は、その言葉が妙にしっくりきてしまう。そんなふうに考えていると、アドルフはつい、その言葉を零してしまう。
「ソウルメイト」
その言葉を口にした瞬間、身体の奥底にある魂が、震えた気がした。
それは酷く鮮烈で、何かが弾けるような感覚に、戸惑いながらもアドルフは興奮した。
「?」
アドルフの言葉が聞き取れなかったルシアが首を傾げる。何か気に障ることでもしてしまったかと青くなり、持っていた小さな鞄の肩紐を握りしめた。
今何を言ったのかと、脳内で懸命に似た言葉を探すも思い当たらず、諦めた。
そして、いつまでも手を握ったまま離さないアドルフに訝しげな表情を浮かべるも、振り払うこともできなければ、離して欲しいとも言えず、ただ開放されるのをルシアは、じっと待つ。
そんなルシアの表情に気づかず、アドルフは舞い上がってしまった気持ちをそのままに、屈託のない明るい笑みを浮かべた。
「アシュトン侯爵令嬢、この後魔物狩りに参加するのだろう? 俺も一緒に行くから、道中は絶対に、俺から離れないように」
年相応の邪気のないアドルフの笑顔に、その場の全員が驚く。ブラッドフォード家の子供は兎に角愛想がないことで有名だった。今でこそ陽気なルイスでさえも、少年時代は全く笑わない子供だった。
それがまるで嘘のように、笑顔を晒したアドルフに、逆に心配になったルイスが割って入る。
「アドルフ、魔物狩りには私がついて行くから心配ないよ」
「なっ! 叔父上が行くのなら、尚更俺も同行します! 間違ってお二人を殺めでもしたら大変ですから!」
アドルフの言いように、何も言い返せないルイスが酷く落ち込む。それを見ていたアシュトン侯爵とルシアが慌てた。だがどう言葉をかけていいか分からず、おろおろするばかりだった。
そんな二人の気遣いに気持ちを持ち直したルイスは、これからの魔物狩りに向け、気を引き締める。
「もう既に部隊の方は出立しているから、連絡が入るまでは待機になる」
だがここで、ルイスは疑問に思う。ここに来たときには既にルシア以外は誰もいなかった。
一応ルシアは侯爵家の一人娘であり、本来ならば護衛が付くべき存在だ。だのに、傍に誰も控えていないことに酷く違和感を抱く。
今までも何度かこの砦に足を運んでいる侯爵家の二人だが、改めて護衛や侍従がいなかったことに思い至り、ルイスは首を傾げた。それでも、それを口にしていいものか迷い、結局ルイスは聞かないことにした。
「あの……連絡が入ってから、その場に向かうのでは、遅すぎませんか? その……娘は然程体力がないもので……」
「ああ、大丈夫ですよ。転移魔法で運びますから」
「「えっ!」」
さらりととんでもないことを口にしたルイスに、アシュトン親子は声を揃えて驚く。その様子に、思わずルイスは吹き出しそうになる。
アドルフに至っては、にこにこと温かく親子を見守っていた。
「流石にこの森の中を、兵たちと同じように進軍するのは無理でしょう?」
笑いを堪えながら、必死に真面目な顔を作ろうとするルイスとは対称的に、アシュトン侯爵の顔は青ざめていた。
「それはそうですが、皆さんより先に行かせて頂ければ、途中で合流する形で何とかなるかと思っていましたので……」
「う〜ん。まあ早い話が、それだと私が面倒くさいんですよね。ちんたら歩くのは苦手でして」
気を遣わせないためでもあるのだが、ルイスは明るくそうぼやくように言った。
「いえ、ですから、始めから護衛は不要だと……」
「流石にそれは無理な相談です。こちらとしても、貴方がたのような貴重な存在を、みすみす危険に晒すわけにはいかないので」
アシュトン侯爵に被せるようにルイスが勢いをつけて言う。それに負けじと、アシュトン侯爵もまた自身の考えを告げた。
「だからといって、ブラッドフォード家の方が、自らというのはた…」
「いやいや! 他の者に任せるなど、とんでもない。 未熟な連中に護衛など、土台無理な話です」
そのアシュトン侯爵の言葉に、またもやルイスが被せるように言い募る。
およそブラッドフォード家の者とは思えない程の気遣いに、アシュトン侯爵とルシアは恐縮しきりだ。
「お心遣い、感謝いたします。ですが、稀有な転移魔法での移動までして頂くのはた…」
「別に大したことないですよ? 魔力消費も微々たるものですし。なあ、アドルフ?」
「はい、叔父上」
何度も言葉を被せるルイスを気にすることもなく、にこやかに頷いたアドルフに、アシュトン侯爵は流石に折れることにする。
折角の好意を何度も否定して無下にするのも良くないと、恐縮しながらも、お願いした。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ええ、勿論です。おっと、どうやら魔物と対峙したようです。早速行きましょうか」
「は、はい」
爆発音と共に、空に打ち上がった赤い煙を見て、ルイスが言う。
急に入った報せに、アシュトン侯爵とルシアは緊張し、神妙に頷いた。
「ああ、そういえば、あの信号弾もアシュトン侯爵の魔道具でしたね」
「そうなのですか! 本当に発明家なのですね!」
アドルフは純粋に、尊敬の眼差しを向ける。前世の記憶があったとしても、何かしらの便利な道具を作ろうとは思いもしなかったアドルフからしてみれば、ただただ感心するばかりだ。
「さあ、じゃあ、行こうか」
そのルイスの言葉に、一気にアシュトン親子に緊張が走る。
そんな二人とは対照的に、ルイスはのんびりとした口調で転移魔法を発動した。
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