第3話 二人の少女

 翌日、ルイスの宣言通り、アンナは前線の先頭を歩かされていた。


「あなたって、本当に馬鹿ね」

「うう……エリーヌ先輩……」


 同年代の割に背の高いエリーヌの、吊り上がった翠色の目を見つめながら、縋るようにアンナは名を呼んだ。

 ガタガタと身体を震わせながら、辺りを忙しなく警戒するアンナは、訓練の時に教わったことさえも、恐怖のせいで実行出来ずにいる。

 そんなアンナを見遣り、エリーヌは大きく溜め息を吐き出した。


「まあ、やってしまったことは仕方がないのだから、今は任務に集中しなさい」


 昨日の午後から、アンナの姿が見えないことに何かあったのかと心配していたエリーヌは、まさかブラッドフォード家に対し、アンナが粗相をしていたとは思いもしなかった。

 

 自分を含む子供たちを集め、剣術指南をしてくれているルイスに対し、先生と慕い、どこか気易い気持ちを持ってしまっていたのは事実だ。だが、本来であれば、ブラッドフォード家の者に、そのような感情や態度を取ること自体が間違いなのだ。


 これに懲りて、これからは適切な距離を保って接するようにとアンナに言い聞かせ、そして自身も気をつけなければと、エリーヌは心の中で決意した。


「……死にたくない……」

「誰だってそうよ。でも抗わなければ、生き残れないわ」

「……」


 高く結った金の髪を揺らしながら、前を歩くエリーヌに、アンナは駄目だと思いながらも縋ってしまう。

 自分の考えなしの行動で窮地に立たされてしまった今、大人たちは誰も助けようとはしてくれない。

 同年代もまた、今日の魔物狩りには参加せず、だんまりを決め込んでいた。それなのに、エリーヌだけは見捨てずにいてくれる。

 自分に構わず、後ろで見ていてくれと言いたいが、アンナにはもう、そんな強がりを言えるほどの余裕もなかった。


 エリーヌがそっと後ろを振り返る。

 随分と距離を取って、部隊が歩いているのが目に入った。本気でアンナを見捨てるつもりの上官に、エリーヌは怒りを覚える。そしてそれを命令したルイスに対しても、腹立たしく思っていた。


 たまたま運良く、ブラッドフォード家に生まれついただけで、魔力も武術も何の苦労もなく手に入れて、好き勝手をする一族に苛立ちを隠せないでいた。


「大丈夫よ、アンナ。あなたのことは、私が守るわ」

「エリーヌ先輩」


 アンナとエリーヌは一つしか年齢は違わない。それでも、武官の家に生まれたエリーヌは僅か十四歳にも関わらず、大人たちに引けを取らないほどの武勲を上げていた。

 当然、同年代の中では一番優秀で、伯爵家の四女ではあるが、武人としての将来が大いに期待されている一人だった。とはいえ、まだ子供である。強い魔物を一人で倒すほどの力はない。


「エリーヌ先輩、あたし、死にたくない……」


 前方に、魔物の姿が見えた。それと同時に、アンナが怯えたように小さく呟く。

 魔物は一体しか確認出来ないが、その大きさは十四歳の子供が相手にするには大きすぎた。


 四足歩行の獣の様な魔物は、瞳を真紅に染めて、エリーヌを見据える。狙いを定められたエリーヌは、そんなことなど気にも留めず、スラリと剣を抜き、次の瞬間、大地を蹴っていた。


 一瞬で間合いを詰め、首を落としにかかる。身体強化の魔法を自身にかけ、剣に炎を纏わせた。

 ガキンっと大きな鈍い音と共に、エリーヌの剣はその硬い皮膚に弾かれた。


「くっ……」


 本来、魔物狩りは部隊の兵たちと連携しながら倒すのが常だ。何人かで連続で攻撃を加え、弱ったところを一気に仕留めるのがこの部隊のやり方だ。

 だが、今この時は、少女二人だけが魔物と対峙している。


 大きな魔物の前足が凪払われると、轟音と共に鋭い爪が空を切った。

 その衝撃波で、身体に触れてもいないのに、エリーヌの腕が切り裂かれる。


「ぐっ……」


 エリーヌが痛みに蹲ったところに、また魔物が前足を払うと、今度は顔と足に爪痕が残った。

 エリーヌの足元にはあっと言う間に血溜まりが出来てしまう。

 そんな中、呑気な声が響いた。


「随分と嬲るのが好きな魔物だな〜」


 ニヤニヤとその様子を眺めるように木に凭れ、腕を組んでいるルイスが嗤う。

 悪趣味だと思いつつ、その隣で二人の少女に目を向けたアドルフもまた、彼女たちからしたら、同類なのだろう。


 普段、自分たちの良き先生として戦闘の指導をしてくれていたルイスが、まるで別人のように生徒が嬲られている光景を見て愉しんでいることに、二人はただ絶望するしかなかった。


「ほらほら、アンナ。余所見している場合じゃないよ」


 そのルイスの言葉にハッとして前を向くと、魔物の紅い瞳と目が合った。ヒュッと小さく息を呑み、恐怖が全身を駆け抜ける。


 衝動的に、助けて欲しいと、仲間がいるであろう後ろを振り返る。だがそこにも、嘲笑を浮かべる大人たちしかいなかった。


 絶望的なこの状況で、それでも、死にたくないという思いからか、手にした武器を魔物へと構える。

 その武器はエリーヌの剣とは違い、細長く、頼りない物に見えた。

 ただそれは、アドルフ以外の感想だ。


「嘘だろ? あれは!」


 滅多に感情が動かない、アドルフの驚きに満ちた声に、ルイスが少女たちから視線をアドルフへと向けた。


「叔父上、あれは何です?」

「あれって?」

「彼女が持っている武器です。あれは銃ですか?」

「じゅう? ああ確かに、あの魔道具の名前に何とか銃とかって、ついていたような気がするなあ?」


 のんびりとそう言ったルイスを他所に、大きな音と共に、銃から何かが発せられた。

 目にも止まらぬ速さで、真っ直ぐに魔物へと飛んでいった『弾』らしき物は、魔物に着弾すると勢い良く弾けた。

 弾けると同時に、氷の欠片が飛び散ったことに、アドルフは氷系の魔法を詰めた弾を銃から発射したのだと理解する。


 それは前世の記憶の中にある、ライフル銃によく似ていた。

 だがその威力は前世のそれとは大きく異なる。

 魔物の躰には傷一つ付かず、余計に魔物の注意を引いただけだった。それでもアドルフにとっては、その光景がとても衝撃的だった。


 もしかしたら、自分と同じ前世の記憶を持つ者が造ったものかもしれないと思ったからだ。


「あれは、彼女が作ったのですか?」

「いや、どこかの侯爵家だったと思う」

「その侯爵家の方とは、連絡は取れますか?」

「ああ、良くこの砦に足を運んでるみたいだから、会おうと思えばいつでも会えるよ」

「今度はいつ頃来られるのでしょうか?」

「さあ? アンナだったら知ってるかもね。あの魔道具は今のところ、彼女にしか使えないから」


 その言葉を聞いて、アドルフはギョッとする。もし彼女が今ここで死んでしまったら、同郷かもしれない人物への心象が悪くなるからだ。

 ましてやこれが切欠で、ここに来なくなる可能性もある。


 そう考えた瞬間には、アドルフの身体は動いていた。

 アンナを殺そうと前足を振りかぶった魔物の首を、手刀で落とす。

 頭を失い、倒れ込んだ魔物は、大きな音と地響きを立てた。


 だがエリーヌの流した血の匂いに誘われたのか、奥の方から何体かの魔物が姿を現す。

 その姿に震え上がったアンナは、立っているのがやっとの状態だった。これでは話も聞けやしないと、アドルフは現れた数体の魔物も腕をひとふりし、一瞬で屠ってしまう。

 その様子を呆然と見つめながらも、アンナはそこに立ち尽くすことしか出来ないでいた。


「うう……」


 魔物が倒れた後、辺りはしんと静寂に包まれる。その場所で、エリーヌの苦しそうな声が響いた。


「先輩!」


 その声にハッとしたアンナは、弾かれたようにエリーヌに駆け寄る。だが、今にも事切れそうなエリーヌの姿に絶句した。

 自分よりも薄い金色の髪を朱に染めて横たわるその姿に、絶望する。そして、自分のせいだと、身体を震わせながら涙を流した。


 そんなアンナを見遣り、アドルフはこの後のことを考えた。

 今ここで、あの少女を見捨てれば、面倒なことになるかもしれない。

 同じ前世の記憶、もしくは違う世界の記憶を持つ者に出逢えるかもしれない今、出来うる限り『良い形』で出逢いたいと打算した。

 その結果、アドルフは死にゆく少女に手を差し伸べることにする。


 エリーヌの身体を、淡い金の光が包み込んだ。みるみるうちに傷という傷が塞がっていく様は、神の所業のようにも見える。

 目の前で起こっていることが理解出来ず、アンナはぽかんと口を開けて、その光景に魅入っていた。


「アドルフは治癒魔法もつかえるのか」


 そんなルイスの呟きが、静寂の中でやけに響いた。だがその呟きにアドルフは応えることなく、少女たちに歩み寄る。

 そして、少女たちと共に、転移魔法でその場から消えてしまった。


「ん〜? 慈悲深い、のか?」


 それにしては嫌そうな表情をしながら助けていたアドルフに、ルイスは首を傾げた。


「あの魔道具が欲しかったとか?」


 まだ十歳のアドルフが、玩具に興味があるのは致し方ないことだと、ルイスは思った。

 今回二人を助けたことが、後々あの魔道具を手に入れる為の布石だと思うと、しっくりと来る。

 納得したように頷いたルイスは、それが勘違いだと気づく日は永遠に来なかった。



 アドルフが二人を転移魔法で運んだ先は、医務室だった。

 昨日兵たちに紹介をされた後、砦の中を案内されたアドルフは、場所を把握していたため、迷うことなくここへ転移をした。


「傷は治したが、流れた血は元には戻らない。とりあえず安静にしていろ」


 その場に倒れ込んだままのエリーヌに視線を向け、アドルフはそう言い聞かせる。

 エリーヌはぐったりしてはいるものの、意識はあるようで、アドルフを見返し、小さく頷いてみせた。

 弱っていると分かりきっているエリーヌを見ても、アドルフとしては寝台へと運んでやる気はないので、傍で泣いているアンナに「寝かせてやれ」と促した。


 泣いているせいか返事の代わりに一度しゃくりあげると、ノロノロとエリーヌの腕を掴み、肩へと回す。

 自分よりも背の高いエリーヌを運ぶのは骨が折れるようで、覚束ない足取りで何とか寝台へと横たえた。


「聞きたいことがある」


 寝台に寝かせ、アンナが上掛けをかけたところで、アドルフが徐に声をかけた。

 未だ涙の止まらないアンナは、それでもアドルフへと顔を向ける。


「その魔道具について、聞きたい」


 アンナの肩に、紐でかけられている魔道具を見遣り、再度言葉を発した。

 それを受け、アドルフの視線の先にある武器を、アンナが肩から下ろす。


「その魔道具は、誰が造ったものだ?」


 状況が掴めていないのか、もしくは死にそうになった恐怖から未だ立ち直っていないのか、アンナはただ魔道具を握りしめ、立ち尽くすだけで、返事をしようともしない。

 答えが得られないことに、少しばかりアドルフは苛立ったが、先程の状況から、未だ冷静になれていないのだろうと判断し、辛抱強く待つことにした。


「……この魔道具は、魔弾銃と言います」


 魔道具の名前を聞いているのではないと思いながらも、漸く話が出来そうだと、アドルフは詰めていた息を吐き出した。

 どうやら自分自身も随分と気が急いていたようだと、息を吐き出したことで認識した。


「それで、その魔道具は誰が造ったんだ?」

「‥…アシュトン侯爵です」


 少しばかり落ち着いてきたアンナは、今度はしっかりと質問に答える。漸く聞き出せた名前に、アドルフは頷く。


「そうか。では、そのアシュトン侯爵は、今度はいつここに来るか分かるか?」

「明日の午後に、来ると言っていました」

「そうか」


 それだけ聞ければ十分だと、アドルフはそのまま何も言わずに転移魔法で先程の森へと戻る。


「あの!」


 意を決して声をかけたアンナよりも早く、この場を去ってしまったアドルフに、強く握り締めていた手をアンナはゆっくりと解いた。


「アンナ……」


 小さく紡がれた声に、アンナは勢い良く振り返る。


「先輩!」


 また涙が溢れ出してきたアンナは、エリーヌの手を握る。


「……アンナ‥…無事で……良かった……」

「……先輩……」


 自分のことよりも後輩のことを心配するエリーヌに、アンナは胸が一杯になり、言葉に詰まる。


「ごめんなさい、先輩……あたしのせいで……」


 エリーヌが生還したことがただ嬉しくて、アンナは涙が止まらない。それでも、未だ苦しそうなエリーヌを見て、罪悪感が押し寄せた。


「皆が……助けて……くれたの?」


 エリーヌは自分たちを見捨てた仲間たちを嫌悪していたが、最終的には助けてくれたのかと、感謝の気持ちを抱いた。だが、その気持ちはアンナの次の一言で憎悪に変わる。


「あんな奴らが、助けてくれるわけないじゃない! あいつらは、最後まであたしたちを見て嘲笑ってたわ!」


 アンナの瞳に怒りが浮かぶ。それと同時に、エリーヌへの感謝と償いの気持ちが込み上げた。


「うう……先輩……本当にごめんなさい」


 泣きながら謝るアンナに、結局どうやって助かったのか分からず仕舞いだと、アンナが落ち着くまでじっと待つ。


「先生の息子になったあの人が助けてくれなかったら、今頃あたしたちは死んでたかも……」

「……息子……」


 確かアンナが求婚した相手だったなと、エリーヌは思い出す。事の発端もその求婚からだと思い至り、流石に今回のことに罪悪感を抱いたから助けたのかと、エリーヌは結論付けた。


「……そう……。だとしたら、その息子は、少しはマシなのかも……しれないわね」


 何だかんだ言っても、所詮はブラッドフォード家の人間だ。マトモな筈はないと、エリーヌは考える。

 だがこのエリーヌの発言に、アンナが強く反発した。


「なっ! マシだなんて! あの人は、本当に優しい人だわ! 自分の叔父である先生に逆らってまで、あたしたちを助けてくれたんだもん!」

「でも、そもそもの切欠を作ったのは、その息子でしょう?」

「そんな、それこそ誤解だわ。求婚した時、確かに嫌そうな顔はしてたけど、あたしに対して何も言わなかったわ。今回のことも、先生が勝手に決めたことだし、彼は自分のせいでこうなったんだと責任を感じて、助けてくれたのよ」

「だったら、こうなる前に止めるべきでしょう?」

「だから、ここまで大事になるなんて思わなかったのよ。だからこそ、間に入ってくれたんじゃない」


 アンナの言葉を受けても尚、こうなることがわからない程、あの息子は馬鹿ではないだろうと、エリーヌは思った。

 あの息子も、間違いなくブラッドフォード家の人間なのだ。どういう結末を迎えるかは判っていた筈だ。

 それでも止めなかったのはただ単に、ルイスに逆らえなかったのか、それとも仲間が助けるだろうと思っていたのかは本人に聞いてみなくては分からない。

 

 ただ一つ云えることは、自分たち二人を助けてくれたのは、間違いなく、その息子だということだ。

 

 そして、少しずつではあるが、エリーヌの体調にも変化があった。

 あんなに苦しかった筈なのに、徐々に呼吸が整い、怠さもなくなっていることに気がつく。


「まあ、助けてくれたことは事実だし、感謝しなくてはいけないわね」


 流れた血は戻らないから安静にと言ってはいたが、傷はすっかり癒え、身体が少しずつ楽になる感覚に、アドルフに対し、素直に感謝の気持ちが浮かんだエリーヌは、アンナの嬉しそうな表情に苦笑した。


「うん! さっきは驚きすぎて、お礼も言えなかったから、次に会った時は絶対、お礼を言うつもりよ!」

「……次ね……。その次というのは、来るのかしら……」

「それはもう! 明日、アシュトン侯爵が来た時に、また会えるはずだわ!」


 そういえば、先程二人が魔道具の話をしていたことに思い至り、エリーヌは納得する。


「‥…そう」

「さあ、先輩! もう休んで!」

「ええ、そうね」


 少しばかり睡魔がやってきていたエリーヌは、意地を張らずに、素直にアンナの言葉を受け入れる。ただ少しの不安を残して。

 それは、アンナの表情が余りにも輝いていたからだった。

 まるで恋をしているようだと、エリーヌは眠りに落ちる前に、そんなことを考えた。



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