第2話 養子になった日

「おはようございます」


 さほど早くもない時間に、アドルフは養子として迎えてくれるサイラスの弟、ルイスの屋敷へと赴いた。到着する時間を伝えてはいなかったが、ルイスの妻であるダイアナが、屋敷の玄関前でずっと待機していたようで、遠目に見える赤い髪色に、アドルフの歩みが早くなる。

 

 うろうろと忙しなく往復を繰り返していたダイアナは、アドルフの姿を認めると、すぐに駆け寄って来た。


「まあまあ、アドルフちゃん! 遠いところをよく来てくれたわね!」


 遠いといっても転移魔法を使用すれば一瞬なのだが、せっかく歓迎してくれているのにわざわざ水をさす必要もないかと、アドルフはダイアナの蒼い瞳と目を合わせた後、丁寧なお辞儀で返事を返す。


「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくね! ルイスは今、裏庭で子どもたちに稽古をつけているから、終わるまではのんびりしていてちょうだい」


 そう言って歩き出した叔母であるダイアナに、アドルフは付いていく。

 使用人たちの出迎えはないのかと、アドルフは辺りに目を向けた。すると、慌てた様子で玄関前へと集まる使用人に、眉を顰める。 


 わらわらと出て来た使用人たちはほぼ全員が居るのだろう、随分と大人数だった。

 流石に多いな、とアドルフは思う。

 公爵家なので当然なのだろうが、自身の育った家よりも多く、色々と面倒臭そうだと、げんなりした。


「みんな、これから私の息子になるアドルフちゃんよ。よろしくね」


 ダイアナが笑顔でアドルフを紹介すると、全員が深く腰を折った。


「さあ、アドルフちゃん、先ずはお部屋に案内するわね」

「奥様、お部屋へのご案内でしたら、私どもが行います!」

「あら、いいのよ。私の息子になるのだから、私が案内するわ」


 年配の侍女の、悲鳴のような口調に、笑顔で返すダイアナ。そのダイアナの言葉を受け、侍女は顔を青くする。

 尋常ではない侍女の怯え方に、アドルフは首を傾げた。

 それでも、ただ身体を強張らせて腰を折った侍女に、ダイアナは優しく諭すように言葉をかける。


「あなたたちは持ち場に戻って。何かあればすぐに呼びますから」

「はい。かしこまりました」


 腰を折ったまま、侍女が応える。その姿に、この家でも色々とあるのだろうとアドルフは察した。それが何なのかは分からないが、アドルフはやれやれと心の中で呟いた。

 先程思った面倒な部分を見せつけられて、思わず溜め息を吐きたくなる。それをぐっと堪えてアドルフは叔母に黙って付いて行った。




「よく来たね、アドルフ! 今日からここがアドルフの家だよ! 気負うことなくのびのびと過ごして欲しい!」

「はい、ありがとうございます。今日からよろしくお願いします」


 部屋に案内され、然程時間を空けず、叔父であるルイスが帰って来た。

 自分の父親のサイラスと血を分けた兄弟なのかと疑いたくなる程に、ルイスは陽気な性格をしている。それでも、容姿だけはよく似ていた。

 だがその陽気さとは裏腹に、好戦的で戦闘狂だと知っているアドルフは、その落差に思わず笑みを零してしまう。


 ブラッドフォード家に生まれついた者の宿命というべき「性質」は、自分自身では抑えることが出来ない。それを知っているアドルフは、その『血』に振り回されている親族をただ哀れだと思っていた。


 「破壊衝動」という、抗うことのできないその血のせいで、殺したくもない同胞を意図せず殺してしまうことは、彼等の心を歪にさせるのには十分だった。

 例に漏れず、この陽気な叔父、ルイスもそうなのだ。 


 嗤いながら魔物を屠る姿をアドルフが初めて目にした時には、酷く恐怖を覚えたものだった。今ではすっかり慣れてしまったが、アドルフとしては一緒の前線には立ちたくないと、常々思っている。

 破壊衝動が治まれば、ただの気のいい叔父だ。


「午前中はダイアナに家の中を案内してもらってくれ。その後は国境まで行って、兵たち皆に紹介しよう」


 着いて早々、こちらの兵たちへの紹介かと、アドルフは少し気持ちが重くなる。

 それでも表情にはおくびにも出さず、すぐに了承した。


「はい、わかりました。今日は魔物狩りはしないんですか?」

「さあ、どうだろう? 魔物が多く出るようならするけど、アドルフはひと暴れしたいのかい?」


 好戦的なルイスの物言いに、アドルフの顔が引きつった。まるでアドルフも狩りがしたくて仕方がないみたいに取られて、心外だと、大いに憤慨した。

 だが表情には出さない。


「いえ、そういう訳では……」

「なんだ、つまらないな。叔父さんと一緒に狩りに出たいのかと期待したのに……」

「俺としては、一人で狩りたいので、叔父上と一緒というのは……」


 ルイスの戦い方は本当に酷いものだった。

 破壊衝動に抗えず、そうなってしまうのは致し方ないのかもしれないが、やたらと魔物の四肢や内臓を撒き散らす。


 傍にいると返り血だけでなく、色々なものが飛んで来るので、とにかく一緒には戦いたくないと心が拒絶した。

 そしてその破壊衝動は、周辺にいる味方も容赦なく殺してしまう。

 そのせいもあり、最近はルイスが単独で前線に立つことが多いせいで、一緒にと言っているのだろうが、アドルフにしてみればいい迷惑だった。


「つれないなあ」


 寂しそうに言っても、アドルフの心には全く響かなかった。

 そんな二人のやり取りを、ルイスの後ろで楽しそうに眺めていたダイアナが声をかける。


「じゃあ早速、屋敷の中を案内するわ!」


 嬉しそうに声を弾ませるダイアナに小さく頷くと、ルイスも嬉しそうに破顔した。




 公爵家の屋敷はそれなりに広く、一部屋毎に説明を受ければそれなりの時間を要した。

 地下牢と拷問部屋があることに若干引いたアドルフだったが、屋敷内の見取り図はしっかりと頭に入ったので良しとした。


「午後からは砦の方に行く予定だけど、兵たちの中にはアドルフちゃんと同年代の子もいるのよ! お友達になれると良いわね」

「残念ですが、俺には友人は必要ありませんので」

「もう、アドルフちゃん! そんな寂しいことを言わないでちょうだい! お友達はいいわよ〜。楽しいことや辛いことを共有し合って、一緒に成長して行くの! そういうのって、素敵じゃない?」

「いえ全く、共感出来ないので……」

「……そう……」


 しゅんと肩を落とすダイアナに、それでもこれは譲れないと、アドルフは敢えて返事はしなかった。

 精神年齢はとっくに六十を超えていて、十歳前後の子供と幼稚な話や遊びをすることが、どれほど苦痛なことか身を持って知っているアドルフは、どうしても妥協は出来なかった。


「ブラッドフォード家の者は、大概、友人は持ちませんよ」


 ありがたいことに、そういう家系に生まれついたアドルフは、その特殊な家柄を大いに有効活用していた。


「ええ、そうなのよね……」


 もしダイアナ自身が子供を授かったとしても、恐らくはその子共も友人は持たなかっただろうと理解はしていた。

 それでも、友人という大切な存在を持って欲しいとダイアナは願ってしまう。  

 

 それはごく一般的な感情であり、親として当然のことなのだろうが、常に生と死を目の当たりにしているブラッドフォード家の者からすれば、友人を持ったところで面倒なことしかないというのが、正直な想いだった。


 もし友人を作るとなれば、先程ダイアナが言ったように、砦にいる兵たちが主になる。だが、ブラッドフォード家以外の者はすぐに死んでしまう。

 折角仲良くなったとしても、戦場に駆り出され、気づけば居なくなっているのだ。


 砦の若い兵たちは、殆どが貴族の三男以下の者ばかりだ。家の役に立つこともない穀潰しは、早い段階で兵になり、命を落とす。そんな人間と、友人になったところで意味はない。ただ別れが辛くなるだけだ。

 だが事情を知らないダイアナは、友人を作れと、残酷なことを口にする。


 仄暗い感情がアドルフを支配しそうになった時、一人の侍女がこちらに向かって来るのが見えて、二人はそちらに目を遣った。


「奥様、そろそろ昼食の時間でございます」


 暗い雰囲気を払拭するように、明るい声がかけられた。若い侍女のハキハキとした声音に、ダイアナはパッと笑顔を浮かべる。

 ここでアドルフは、先程の年配の侍女と、この若い侍女との対応の差に疑問を抱いた。だがそのことを来て早々に口にしていいものかと逡巡する。


 そんなことを考えている間に、ダイアナは重くなった空気を変えようと、明るい声を出した。


「まあ、もうそんな時間なのね。さあ、アドルフちゃん、昼食にしましょう」

「はい」


 そんなダイアナの言葉に押され、アドルフは昼食を摂るべく食堂へと向かった。



「屋敷の案内は終わったかい?」


 食堂に入ると、ルイスが既に着席して待っていた。


「はい、ひと通り案内はしましたわ」

「そうか、ありがとう、ダイアナ」


 陽気なルイスの性格故か、政略結婚だったにもかかわらず、二人は良好な関係を築いているようだと、アドルフは思った。


「アドルフ、何か足りない物や必要な物があったら遠慮なく言ってくれ!」

「はい、ありがとうございます」


 ダイアナとアドルフが席に着くと、すぐに料理が運ばれ、昼食が始まる。

 歓迎の意が込められているのか、少しばかり豪華な昼食は、大いにアドルフを満足させた。




 午後、ルイスに連れられ、国境の砦へと案内されたアドルフは、想定外の出来事に酷く戸惑ってしまっていた。


「私と結婚してください!」


 砦に着くなり、一人の少女が目の前に現れて、その台詞を大声で叫んだのだ。

 一瞬何を言われたのか分からずに、アドルフはその場で固まってしまう。


「どうしたんだ、アンナ? 何か悪い物でも食べたのかい?」

「なっ! 違います! 私は彼に、結婚を申し込んでいるんです!」


 ルイスの呆れたような言葉に、アンナと呼ばれた少女は少し短めの金色の髪を振り乱し、首を横に何度も振りながら、顔を真っ赤にして憤る。


「なるほど。だが、いくらなんでも、それは無謀というものだよ」

「無謀かどうかは、やってみないと分からないじゃないですか!」


 そう言って少女はアドルフへと赤い瞳を向ける。まるで返事を待っているといった表情を見せるアンナに、アドルフは嫌悪感を隠さずに、眉間に皺を寄せた。

 そのアドルフの表情に、アンナは背筋を震わせた。


「アンナ、君は無謀という言葉を、履き違えているようだ」

「た、確かに初対面でいきなりの求婚は無謀かもしれませんが、可能性があるかもしれませんし!」


 自分の容姿に自信のあったアンナは、ルイスの言葉とアドルフの表情に驚きを隠せないでいた。

 自分ならばきっと見初められる筈だと確信していただけに、自尊心を傷つけられてしまう。


「そうじゃない。君は王族よりも格上のブラッドフォード家に、自分の立場を弁えずに求婚をした。これがどれほどの不敬になるかよく考えてみるんだな」

「そ、そんな! 先生、私はただ……」


 自分のしたことがどれほど無謀なことだったのか、未だに理解出来ていないアンナではあったが、普段優しいルイスの、突き放すような言葉と態度に、青ざめた。

 何か言い訳をと考えるアンナの浅慮に、ルイスは益々機嫌を損ねる。


 何かを言おうとするアンナを無視する形で、ルイスが歩き出した。それに倣い、アドルフも無言でルイスの後について行こうとすると、縋るようにアンナが声を張り上げた。


「待ってください! 私は死にたくないんです! だから!」


 無視をしても良かったのだろうが、敢えてルイスは立ち止まり、振り返る。


「今ここで、殺してあげようか?」


 ヒュッと少女の息を呑む音が聞こえた。

 振り返らなかったアドルフは、その場で立ち止まり、小さく溜め息を零す。それでも、ルイスが少女を殺さなかったことにホッと胸を撫で下ろした。

 だがそれはほんの一瞬で、すぐにアドルフは考えを改めることになる。

 恐怖で立ち尽くしている少女を残し、再び歩き出したルイスは、小さな声で呟いた。


「明日の魔物狩りで、先頭を歩かせよう」


 それを聞いたアドルフは、ルイスの無慈悲さに嘆息した。




 砦の奥へと案内されたアドルフは、集まっている兵たちの数に、少しばかり目を瞠る。

 実家のある国境付近の砦では、兵たちの数は随分と少なかったからか、ここに集まった兵の多さに圧倒されていた。

 そんなアドルフの様子にも気づかずに、ルイスは一段高くなっている壇上へと上がり、兵たちの前に立ち、挨拶を始めた。


「忙しいところ、集まってもらってすまない。今日は私の甥を、養子として迎え入れた大切な日だ。是非皆にも紹介をしようと思ってな」


 その言葉を受けて、アドルフが一歩前に出て、ルイスの隣に並んだ。


「今日から私の息子になったアドルフだ。皆、よろしく頼む」

「アドルフ・ブラッドフォードです。よろしくお願いします」


 立場上、腰を折らずに前を向いたままアドルフは名前を告げる。

 一番前に陣取っている人物たちを見遣り、ここでの力関係を頭に叩き込んだ。


 ブラッドフォード家の者とはいえ、まだ十歳のアドルフには、それなりに上官となる者がつくことになっている筈だと、気を引き締める。

 アドルフの兄であるハワードのように、その存在を無視することも出来たが、前世での社畜だった頃の記憶が災いした。


 長いものには巻かれろ、それが身に染み付いてしまっているアドルフは、ブラッドフォード家には珍しい、素直で実直な性格だと一般の兵たちからは良い評価を得ていた。だがそれは、ブラッドフォード家からしてみれば、良いものではない。それを理解しているアドルフは、だからといってどうこうしようとは思っていなかった。


 今はまだ十歳なのだ。のびのびと暮らしていても問題はない。必要に迫られたときにどう行動するかを考えればいいと、人生経験豊富なアドルフは楽観視していた。


 だがこの考えが、思いもよらないところで大きく影響してしまうことを、アドルフはまだ知らない。



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