前世、妻だった君へ

空青藍青

第一章 出逢い編

第1話 アドルフ・ブラッドフォード

 まだ昼前だというのに、辺りは木々に覆われて、陽が余り届かない。そんな森の奥深くに、少年二人の姿があった。


「兄上、こちらは大体終わりました」


 鬱蒼と茂る森の中、辺りに散らばった魔物の残骸に目をやりながら、アドルフは一つしか歳の違わない兄へと声をかける。


「ああ」


 短く返事を返したアドルフの兄、ハワードは、表情が乏しく無口だった。それは生まれた時からのことで、乳幼児の時でも殆ど泣くことのない無表情な子供だった。


 アドルフとハワードの生家、ブラッドフォード家の人間は、皆同じように幼少期は特に感情に乏しい。それはブラッドフォード家の『血』故のことながら、周囲には気味悪がられている。だが、アドルフにはそれがとても有り難かった。兄と同じように振る舞うことは、アドルフにとって精神衛生上、この上なく都合がよかった。


 アドルフ・ブラッドフォードは、この異世界に輪廻転生した。

 生まれた時から前世の記憶を所持し、既に十年の月日が流れている。


 前世の最期の方の記憶では、定年退職を目前に控えた、六十過ぎの老人だった。

 前世ではそれなりの役職に就き、部下も大勢いた。厳しい上司だと言われていた彼が、転生し、子供を演じるのには相当の羞恥が襲う。そんな彼の懸念を払拭してくれた兄に、アドルフはそれなりに感謝していた。例えどんなに、兄だと思えなくても。


「本部へ戻りましょう」

「ああ」


 相変わらずの短い返事に頷きを返し、アドルフは兄と共にその森を後にした。




「ご苦労だったな」


 本部に戻り報告を終えると、労いの声がかけられる。いつものことだが、今日はその声をかけてきた人物が違った。

 後ろからかけられた声にふり返り、アドルフは驚いた様子も見せず、挨拶をする。

 アドルフの兄であるハワードはチラリと一瞥しただけだった。


「父上。お疲れ様です」


 兄弟二人の父であるサイラスは、魔物討伐の為に明日の朝までは東側の国境で任務にあたっている。

 そう聞いていたアドルフは、何故彼がここに居るのかと疑問に思うも、それを口にすることもなく、軽く頭を下げた。


「中間報告をしに寄っただけだ。すぐに向こうに戻る」

「そうでしたか」


 表情には出していなかったが、アドルフの言いたいことが解ったのだろう、サイラスは今自分がここにいる理由を述べる。特に思うところもなく、アドルフはそれに静かに頷いた。


 ブラッドフォード家の三人は非常によく似た容姿をしている。灰色の髪に金の瞳、感情を出さない人間味に欠ける部分までもが、本当によく似ていた。


「では、これで失礼します」


 父親と上官に頭を下げ、部屋を後にしようとしたアドルフの横を、スッとハワードが通り過ぎた。そしてハワードは、一言も口を開かずに、転移魔法で立ち去ってしまう。

 それを咎めるものは一人もいない。アドルフも父親であるサイラスも何の感情も乘せず、無表情のままだった。


「ゆっくりと休んでくれ」


 上官の一人がそう言葉をかけると、アドルフは「はい」と返事を返し、部屋を出た。




「お帰りなさいませ、アドルフ様」


 転移魔法で家に帰り着いたアドルフは、屋敷の入り口で待ち構えていた使用人たちに出迎えられる。毎日の光景に何も感じないアドルフではあるが、屋敷の入り口の奥で、母親と手を繋いでいるハワードを見遣り、息を吐いた。


「マザコンめ」


 誰にも聞こえないような小さな声で、アドルフは呟く。

 年子で産まれたハワードは、もう十一歳だというのに、未だ母親にベッタリだった。その姿にアドルフは嫌悪感を強く抱く。

 三年前から魔物討伐へと駆り出されて、少しはマシになるかと思われたマザコンは、日に日に酷くなるばかりだった。それをどうにかしようとも思わないが、視界に入ればそれなりに不快感が込み上げることに、アドルフとしては見えないところでやってくれ、といつも心の中で毒づいていた。


 前世の記憶のせいか、アドルフにとって今の両親をどうしても親だとは思えず、また兄であるハワードも家族という括りでみられなかった。

 精神年齢のせいもあるのだろうが、親兄弟に甘えることも厭われて、益々家族としての愛情を持つことが出来ないでいた。


 ハワードとしては、母親が自分のものだとアドルフに見せつけているのかもしれない。だが、空回りしているその行動に、ただただアドルフは呆れるばかりである。


「アドルフ、お帰りなさい。疲れたでしょう、湯浴みをしたらすぐに食事にしましょう」


 二人の息子を同じくらい愛しているのだと、毎日懸命にアドルフへと声をかける母親。それに、ハワードは静かに怒りを湛える。


 その歪んだ愛情が、いつか母親を殺めてしまうのではないかと、アドルフは危機感を覚えずにはいられない。それでも、彼女の身に何かあっても哀れだとは思っても、悲しいとは思わないだろうと、アドルフは薄情な自分に嘲笑する。


「はい。湯浴みをしたら、すぐに食堂へ向かいます」


 母親に軽く会釈をし、アドルフは自室へと向かう。 その後ろ姿を、ハワードは強く睨んでいた。



 湯浴みを済ませ食堂へ入ると、既に母親と兄、そして父親までもが揃っていることに、アドルフは内心で驚いていた。


「父上、どうされたのです?」


 任務はどうした、と自由奔放な父、サイラスに、アドルフは嫌気がさす。


 ブラッドフォード家は代々強い魔力と武力を持つ、国の守護を担っている家だった。

 その強さは他に類を見ないほどで、公爵の爵位を賜ってはいるが、当然王家よりも権力は上になる。

 この国が平和を謳歌出来ているのも、このブラッドフォード家のお陰なのだと国中が理解していたからだ。


 それだからこそ、自分勝手に前線を離れたり、任務を放棄したとしても同じ一族でなければ注意することさえも出来ない。

 そんな無責任なサイラスに、前世の記憶がある分、余計にアドルフは腹を立てていた。


 日本人は勤勉で、社畜も多い。それに漏れず、アドルフも前世ではそういう人種だった。部下の勤務評価をする立場の人間として、このサイラスの仕事への姿勢がとにかく癪に触る。

 だがそれを表情に出すことはせず、自分の席へと腰をおろした。


「少し話があってな」


 正当な理由があるのか、と少しばかり心を落ちつけたアドルフは、サイラスに返事を返しつつ、自分を待っていてくれた家族をぐるりと見渡しながら言葉をかけた。


「そうでしたか。父上、母上、兄上、お待たせしてすみませんでした」

「気にするな。では、食事にしよう」


 父親の合図で食事が始まる。

 

 アドルフはチラリと家族を見遣った。珍しく四人が揃ったことに、なんとはなしに視線を巡らす。そしてハワードの隣に座っている母親に目を向けた。


 アドルフとハワードの二人の母親は、茶髪で地味な容姿をしている。いつも何かに怯えた様子を見せる母親は、慕ってくるハワードにさえ怯えを見せることがあった。それでも懸命に息子たちを愛そうとする姿は、余りにも必死すぎてどうにも嘲笑してしまう。そんなことを考えながら、アドルフは母親を思わずじっと見つめてしまっていた。

   

 それに気付いたハワードが、剣呑な目を向けて来る。アドルフは余計な波風を立てないためにも、すぐに目を逸し、肉を口に含んだ。

 『マザコンめ』と今日二回目の毒を心の中で吐き、肉を咀嚼する。


 家族仲が良いわけでもないこの家では、誰も話さず、黙々と食事をするのが常だ。

 だが今日は父親から話があると言われているので、いつその話題が出るのかと、それぞれが顔に出さないながらも気にしていた。


「話というのは、アドルフのことだ」

「俺ですか? 何でしょう?」


 唐突に始まった父親の話に、全員が手を止める。


「お前を養子に出すことになった」


 一瞬、息を呑む気配があった。それが母親だと解り、思わずアドルフは目を向ける。

 そこには驚きを顔に貼り付けたまま、固まってしまっている母親がいた。そしてその隣には、珍しく薄っすらと笑みを浮かべているハワードがいる。


 それを見たアドルフは、彼の心情が手に取るように解った。邪魔者が居なくなり、母親を独占出来ることが嬉しくて仕方がないのだろうと、アドルフは余りの気持ち悪さに吐き気を覚える。


「そうですか。それで、俺はどちらの家に養子に出されるのでしょうか?」


 さしてこの家族に愛情も未練もないアドルフは、無表情に淡々と話を進めた。


「ルイスの家だ」

「ああ、なるほど」


 父親の弟のところかと、アドルフはすぐに納得した。

 叔父であるルイス夫妻は、結婚してから八年経つが、未だ子宝に恵まれず、奥方が随分と気に病んでいたことを思い出す。三年前にあちらに出向いた時に、養子になろうかと自分から提案したことをすっかりと忘れていたアドルフは、漸く決心がついたのかと、ほくそ笑む。


「では、すぐにでも荷物をまとめ、叔父上のもとへ向かいます」

「ああ、そうしてくれ」


 しっかりと頷き返したアドルフに、ここで大きな声がかけられた。


「待ってちょうだい、アドルフ! いくら父親の決めたことだからといって、そんなに簡単に了承するものではないわ!」


 普段穏やかな母親が、急に声を荒げたことに、その場の誰もが注目した。だがその目は随分と冷ややかなものだった。 

 マザコンのハワードでさえ、何を言い出すのかと、剣呑な目を向けている。


「私は反対です! なぜアドルフなのですか? 他にも同じ一族で養子に出せる子はいるはずです!」


 確かにその通りではあった。だがこれは、アドルフ本人の希望でもある。父親の弟夫婦に同情したわけでもなく、ただ単に、この家を出たいと思っての行動だった。


 前世の記憶のせいで、家族を家族と思えないことに、少しばかりの罪悪感があったアドルフは、いっそ他人の養子になった方が気が楽なのではないかと考えた。

 丁度子供が出来ないことに悩んでいた親戚がいたので、自ら自分を売り込むことにしたのだ。まさか決断するのに三年もかかるとは思ってもみなかったアドルフは、忘れてしまうほどには諦めていた。

 だがいい返事が聞けた今、飛びつく以外の選択はない。


「これは決定事項だ」


 父親の冷たい声音に、母親がビクリと肩を震わせた。

 もとより政略結婚の二人の夫婦仲は良くはない。そしてそれ以上に、ブラッドフォード家には、代々受け継がれている「性質」があった。だがその「性質」を抜きにしても、サイラスは冷酷な性格をしている。歯向かう者にはそれなりの報いを、というのがサイラスの考えだ。それが例え、身内であってもだ。

 怯える母親に助け舟を出すように、アドルフが口を開く。


「今回の養子の件は、俺自身が望んだことです」


 母親の目をしっかりと見据え、アドルフはキッパリと言い切る。

 驚きに目を瞠る母親は、何故だと聞き返したいのだろう。だが、サイラスの機嫌を損ねることはしたくないのか、悲痛な表情で「そう」とだけ告げて納得した。


「短い間でしたが、お世話になりました」


 アドルフは無表情で軽く頭を下げる。丁度食事も終わったのでそそくさと食堂を後にし、自室に戻るとすぐに荷物をまとめた。

 使用人たちへの挨拶は必要ないだろうと考えて、母親の尋問にあう前に鞄一つを持って、転移魔法で屋敷を去る。

 既に夜も更け始めていたので、今夜は野宿でもしようと、アドルフは荒野へと転移した。



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