翌日
「おはようございます! って店長ぅ!?」
「どうもこうもないさ。一日一度は顔は出すと言ったつもりだよ」
あたしは常の出勤時間通りに店に辿り着いたところ、店長に遭遇した。
てっきり、あたしは今日から店長はお店にいないものと思っていたのだ。
「午後一番からの訓練は先輩に任せてある。場所はここ、テーブルを片付けて、になるがね」
「えっと、その……リエルさんは?」
店長が留守がちになると聞いていて、その店長の代理にリエルさんが就くと聞いているあたしとしては、当人の行方が気になるところ。
「リエルはまだ来ていない。あいつは昔から朝に弱くてな。今はそうでもないかもしれないが、とはいえ家庭持ちだ。色々とあっても不思議ではない」
リエルさんには家庭がある。
ドラ息子のレオこと礼音を含め、旦那さんとレオの妹も居ると聞いている。
先日、目にした小柄な旦那さんはリエルさんとお似合いの夫婦であったと記憶していた。
「おっはー!」
「……おはようございます」
「遅いぞ、リエル」
「マスター、何でいるんですか!?」
あたしが疑問に思ったと同様に、出勤したばかりのリエルさんも疑問を呈する。
あたしが出勤時間は午前八時、ちょっと前。そこから少し経っていることから。今は午前八時半に届くかどうか、という時間帯。
「お前たちだけでは何かと心配でな。先生と交渉して、返却してもらえることになった」
「……返却、ですか?」
「マスター、本当ですか? あの子たちが居てくれるなら、私と伊織ちゃんが四苦八苦する必要も無くなるわ」
リエルさんはどうも、店長の言い分を理解している模様。だけど、店長と二人で仕込みを熟すことが普通だったあたしには、イマイチ理解が追い付いていない。
「寝坊しなけりゃ、エマが持ってくるはずだ。……まあ、それよりもだ。予約状況を鑑みた上での、テーブルの配置関係の略式配置方法を……リエルも含め、佐藤さんにも指南しておこうと思ってな」
「あ、あのパズル?」
「そう、そのパズル。あくまでも先輩の権能に根差したものだからな。用意してあるシステムに則ってもらわなければならない。訓練時であれば先輩がどうにでもしようが、その後の配置に関してはリエルか佐藤さんが行う必要もあろう」
店長が言い。出勤早々訳知り顔で応えるリエルさんだが、あたしは何のことだかさっぱりよ。
昨日の今日で、店長が純粋な人ではないと判ってはいても、その疑問が解けるわけではないの。
「……あ、ああ。伊織ちゃんが固まってしまったじゃないの! マスターはもう少し、他人に配慮しなきゃダメよ。さあ伊織ちゃん、着替えて手を洗って、今日の仕込みを始めるわよ!」
「そうしろ。俺はエマ待ちだ」
・
・
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「伊織ちゃん、今日の予約は六卓。見込みで最大六名掛ける六卓の、三十六名分仕込むわよ!」
「実質、四名様掛ける六卓分だけどな」
「招待客がいることも想定しての、余剰分ですね」
「余ったら私と伊織ちゃんの賄い。あと明日のウチの夕食に流用するわ」
余剰分だけで十二名分だけど。予約客が常連さんであっても、予約人数を越える来客があったりもする。
店長が新規客を逃さぬための施策であるため、あたしたちが文句を言っても始まらない。まあ、いつものことよ。
「残り物だけど、晩御飯の献立を考えなくていいのは好都合よ」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。冷蔵庫の中身と家計を考慮して日々の献立に苦慮するのが主婦ってもんよ」
リエルさんは立派に、日本のお母さんを担っているようだった。
生まれも育ちも、国どころか星まで違うというのに……。
実家に居候しているあたしとしては、やや身の置き場のない言い訳に聞こえてしまう。
「ところで、パズルというのは?」
「ん? これだ。よくあるスライドパズルに見えなくもない」
三×三で九の目があって、九番目を抜いてスライドさせるパズル。が、どうしたって、このお店のホールのテーブル配置にしか見えなかった。
「もう伊織ちゃんも、マスターの正体は判ったでしょ。だから手加減は不要なの。代替、このお店は私たちが手伝う前からマスターがひとりで商っていたのよ? お料理は手抜きではなかったかもしれないけど、このマスターが手を抜けるところで手を抜かない試しはないわ」
「酷い言われようだが、まあそういうことだ」
「伊織ちゃんも察せられたと思うけどね。これはホールのテーブルの配置を示すものよ。予約状況に応じて、このパズルに○を配置するのよ」
壁際の作り付けのソファー席は別として、中の部分にある最大九個のテーブルの配置を弄れる。今日の予約状況であれば、六台のテーブルがあれば事足りる。
「サービスし易い導線を考えて、奥から三-二-一のピラミッド型でもいい。二-二-二だとちょっと窮屈に感じる」
「奥を三、真ん中を一、手前を二にしましょ」
最大で三-三-三の九テーブルが並べられるところを、リエルさんの案で三-一-二の六テーブルの配置に決めた。
昨日の結婚式後のプチ披露宴状態のままであったテーブルの配置は、中央卓をL字に囲むビュッフェ台が置いてあったものだが……。
それらが突如宙に浮いて倉庫部屋へ向かって往く。倉庫部屋の扉は勝手に開き、余剰のテーブルは綺麗に積み重ねられた。ただ、アンダークロスは掛かったままなのだけど。
ちなみにトップのクロスは昨日の時点でリネン籠に入れてある。籠はそのままクリーニング屋さんが回収して、洗濯後にはアイロン掛けして畳まれ戻って来るの。
こういったお店の雑事はオーナーさんが契約しているのだと、昨日愚痴っていたわね。
「こういう感じ。クロス掛け以外はズルよ!」
「アンダークロスは粗相でもしない限りは使い廻しできるんだ。でも限界はあるが。
で次はテーブルセットなんだが……ここを弄るというか、基本を押さえるならばこれでいい。ただこの場合も、シルバーなりグラスなりを近くに持って行く手間は必要になる。これはリエルにも教えてはいなかったろう?」
飾り皿は積み重ねたまま。グラス類は食洗器に入れるためのラックごと。シルバー……カトラリーは選り分け、磨いた後で番重に入れた状態。ナフキンは畳んだままである必要があるというの。
テーブルセットに関してはリエルさんも知らなかったらしく、驚きというよりは呆れている様子だったわ。
「あくまでこれらは先輩が俺に向けた配慮だ。無理や無茶は利かないから、そのつもりでいろ。最善は自前での手作業となる」
「いいわ。二人で何もかもやらないといけないというよりは、十分にマシだものね」
「浅く広く何でも熟せるよう育成したリエルであれ、教育中の佐藤さんであれ。専門知識は不足するのは仕方がない。そういった面は俺の使い魔が補おう。そのための交渉だ」
◇
来ると聞いていた通り、十一時を回ったところでエマがやってきた。
エマの住む惑星と地球の日本では時差が、というよりも時差が大きくズレ込むのよ。自転速度も違えば、公転周期も異なるのだから当然なのだけど。
「おとうさん、これ」
エマが持ってきたのは木でできた桶だった。
要はバケツよね。
「この大きさじゃ両方は入るまい。さあて、どっちが帰ってきた?」
一抱えもある木桶を抱くエマの表情はあまりよくはないのよ。
正面に抱く木桶から顔を逸らしているのだもの。
木桶の中の液体が揺れ、一部が盛り上がる。
盛り上がった一部は人の手を象り、店長を含むこちら側へ向けて手を振った。
液体のその色を見れば、油のようだが……。
「随分と酷使されたようだな、オレイン。リノルは…………なるほど、アポカリプスとヒルデガルドの面倒を看ていると。なーに、気にするな。アポカリプスには近々姉の下に身を寄せてもらうつもりだからな。リノルと再会するまで、そう掛からんさ」
「アゲハちゃんじゃなくてオレイン! これで百人力ね、焼きものと揚げ物は任せたわよ!」
「アゲハは冥界の深奥からはまず出せないさ。マナの少ない地域では存在を保てないからな。……っとちょっと待て、今新しい油を用意する。古いのは自家用にでもしろ」
「揚げ物の油ですね。あたしが用意します」
「ああ、悪いね」
ひまわり油。オレインオイル。
フライヤーに入れている油がひまわり油なのよ。
古くなればドレンから再び空いた一斗缶に戻して廃棄する。一連の流れは、修行の一環として店長に任されているの。
「オレインもリノル並みに支配力が増したか。これで油まみれにならずに済む」
「オレインはリノルと違って頭に乗らないもの、ねぇ?」
赤茶けて古くなった油のオレインさんは今、店長の左肩に乗っている。
意志を持って動く油の、何と奇特なことよ。店長は使い魔と言っていたけれども。
「ガダウェルはこれから周期的にこことは時差が著しく開く、最早エマの助太刀は期待できない。その代わり、オレインが厨房では十分に威力を発揮するだろう」
「お稽古には来るけど……うぅ、眠い」
本日より、午後一番からは訓練が待っている。対人戦闘術の訓練よ。
店長が、お侍さまに要請したあたしたち向けの訓練ね。
エマは最初こそやる気はなかったのだけど、現金にも店長のお師匠様に会えるとあって多少乗り気になってもいるの。それは何もエマに限った話ではなくて、あたしもそのお師匠さまに是非とも会いたいところなのよね。
一時的に停滞した魔法○女計画が、再び進行しているのだもの!
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