目指すべきもの


 最低でも膝丈の草が生え放題な平原地帯の見晴らしは悪くない。

 それでもいつ何が飛び出してくるのかわからないところは、地球だろうと異世界だろうと変わりはしないのよ。

 遠くに見える黒い群れと小さな人影に意識を向けすぎれば――


「ヘビ!」


 こうして茂みの中から襲い掛かって来る生物もいる。

 飛び掛かって来たヘビを、レオはボールでも受け取るかのようにキャッチ。首を平然と掴んで離さない。人差し指で頭を押さえ、ヘビが口を大きく開かないよう抑えてもいるようね。


「新居さん、このヘビ食えそう?」


「……蒲焼きにでもするつもりか? 青大将みたいに臭せぇのは勘弁しろよ。幸い、シマヘビみたいな感じだが」


 厭そうに答える店長はレオが握っている首元にトレンチナイフの刃を入れると、レオに代わって頭を掴みピーッと音がしそうな仕草でヘビの皮を剥く。ちょうど顎の骨の下辺りね。

 レオはレオでお腹側の薄い肉に切れ目を入れると取り出した内臓をビニール袋へ収め口を堅く結び、ヘビ本体の肉を別のビニール袋へと収めると共にランドセルに仕舞い込んだ。


 あれは、店長が特別に作らせたっていう保冷バッグならぬランドセル。内側は銀ギラの保冷バッグ仕様なのはもちろんのこと。肉に保冷剤が直接触れないよう配慮された保冷材専用ポケットが幾つも作られている。

 あたしもちょっと気になって「何でランドセル?」と訊いたの。そうしたら「動き回る以上体に固定して動きを抑制しておかないと、邪魔な上に体力を無駄に消耗するんだ」との返答をいただいた。

 戦闘訓練で動き回るあたしとしても、肩掛け鞄のようなぶらんぶらんしそうなバッグは持ち歩きたくはないわね。その分、ツナギにはポケットが多くて便利なのよね。

 男性向けの服ってポケットがたくさんあって便利じゃない。ツナギに男女の区別もないだろうけど。 


 それにしてもよ? ペリカンの時もそうだったけど、処理することに慣れすぎでしょ? あと、何でも食べようとするのよ。野生児なのかしら?

 ちなみにだけど、ペリカンは血抜きしたまま木に吊るしてるわ。印を付けてあるから奪われることもないだろうと放置してきてるの。



 まだ若干の距離はあるけど、目的の場所へほぼ到着を果たす。


「少し見学しよう。あの闘い方は佐藤さんが目指すべき延長線上にある。但し、派生に近いかな」


 店長がそんなことを宣う。

 身の丈の、二倍から三倍に亘る長柄のハンマーや斧を担いだ髭モジャ、三名。相対するは、上半身と言えば良いのか頭部から前脚に掛けてモジャモジャな毛に覆われた逞しく巨大な黒い牛。

 髭モジャvsモジャモジャ牛の構図だわ。


 髭モジャの彼ら。その動きはとても忙しい。独楽鼠のようにと表現するのはいいけど、独楽鼠などあたしは見たこともないけど。

 あんな長柄の武器では幾ら膂力に優れていようとも、身体の小さな彼らでは振り回されるのがオチ。なのだけど、振り回されているにも関わらず、そこに一切の無駄がないのよ。

 長柄の武器も自身の肉体の一部と捉えているかのよう。掠りもしない振り回されるだけのハンマーの、その反動を利用して繰り出される蹴り。射程も考えずに振り下ろされた斧頭が捉えた地面を支点にして棒高跳びの要領で飛び上がり、柔軟さや膂力任せ何か定かではないものの、空中で今一度振り上げた斧をそのまま叩き付けたり。


 先日のあたしも金属バットに頼るという作戦を練りはした。だけど、結局は釘バットを相棒に選んだの。

 店長にあの時借りた金属バットは、確かに威力は見込めるんだけどさ。重いから振り回すだけでも体力を消耗してしまうし、振り回されないよう制御するには精神的な疲労を許容する必要があるのよ。

 だからね。今も、あたしの手にあるのは鉛で少しだけ重量を増しただけの、いつもの釘バット。最初の相棒のままよ。


「振り回されることを念頭に置いた闘い方がこれだ」


「でも、あれ教えたの新居さんだろ? お袋に聞いてるぜ」


「そうだ、最初はリエルに提案したものだ。しかし、先天的な性質の違いみたいなものでリエルには上手く嵌らなかったんだが、こいつらは覿面だったというわけだ。とはいえ、こいつらでも極一部に限られた話だ。そもそもこいつらの性格上、戦闘向きではなく、やはり職人気質でな」


 現在も戦闘は継続中。

 幾ら当たり難いとはいえ、重量級の槌頭や斧頭の直撃を喰らっては一溜まりもないわよ。一頭、二頭と膝を折るにつれ、牛たちも冷静さを取り戻したのか退避行動に。


「おい、逃げちまうぞ!」


「佐藤さん向けに一頭確保しよう。レオは回り込んで一頭仕留めてこい」


 ガチムチマッチョなレオは見た目に反して素早く、未だ髭モジャと相対している黒牛の背面を突こうと駆け出した。

 店長はあたしの実践訓練用にと、適当に狙いを定めるとフィンガースナップ。

 モジャ毛が少なく肉体的にもやや小さな黒牛の、左後ろ脚の膝か脛の辺りが不自然に曲がる。突然の痛みに混乱しながら上手く立っていることも出来ず、それでも懸命に立ち上がろうとする姿はもどかしくも涙を誘う光景なのよ。

 でも、その行為を強要したのは我らが店長だ。そして何より、君はあたしの初めての獲物なのよ!


「あまりストレスを与えるな。肉質が落ちる」


「はい、伊織いきます!」


 痛みでもう十分なストレスが与えられているのでは? などとは申しません。

 ここから、これからの痛みや苦しみを最小限に抑えるのがあたしの務めなの!





 店長にお膳立てされたあたしは、レオより先に仔牛を仕留めなくてはならない。そんな決まりはないのだけど、そう逸ってしまう気持ちがあった。


 前脚を地面に突き立て後ろ脚で踏ん張ろうとするも、仔牛は上手く立つことができない。当然よ、左の後ろ脚が半ばから折れているの。それでももがく、もがき続ける。それは生きるため、生き残るため。


 でもね? あたしもお給料を貰っている以上は生きるためなのよ。

 これは生存競争なの。弱肉強食なの。……世知辛いわよね。


 振り上げた釘バットを、力一杯振り下ろす。

 でも、外した。仔牛に釘バットを避ける余裕なんてありはしない。立ち上がろうと、もがく動きが偶然にもあたしの渾身の振り下ろしを避けさせたのだ。


 レオの持論に由ると『釘バットは鈍器でありながら出血を強要できる』極悪仕様の武器であるらしい。釘の頭が漁で用いられる銛の返しの役目を担い、傷が塞がりにくく、痛みを強く与えることができる。こと、対人戦闘に於いてこれほど悪質な武器もないのではないか? とも語っていたっけ。


 そう、この武器はストレスを与え易い。武器の選択ミスじゃん!

 こんなことなら、店長の黒い金属バットを借りてくるんだったわ。


 今度は外さない! 早く逝きなさい。



 モジャモジャの毛が邪魔で痛撃を与えられなくても、幾度も振り下ろすことでやっと仔牛の動きが止まった。

 モジャモジャの毛には仔牛の頭部から出血した血や肉片がこびり付いている。釘バットによって与えられた打撃と出血の強要は、確かに凶悪なものであるようだわ。

 血や小さな肉片を見ても何とも思わない。たぶん、アドレナリンが大量に分泌しているためよ。横たわる仔牛を見てステーキを連想するほど、あたしもサイコパスじゃないわよ!


 ええっと、気絶させたら……次はどうするんだっけ?

 そう、ナイフ。ナイフよ!

 あたしの右太腿には、ツナギの上にホルダーで固定した刃渡り二十センチ弱のサバイバルナイフがある。これを抜くのは最初に支給された時以来だわ。

 居酒屋あすかろんアーミル支店でしかツナギ以外の装備品を身に付けないけど、日本だと捕まるわね。この前、金属バット平然と持ち歩いていたことも十分に危険域を浸食していたわけ。で、猛省したのよ!


 そんなことはもう良いの。

 仔牛が気絶していることを入念に確かめ、首筋が見えるように邪魔な毛をナイフで切ったり剃ったり。そうしていると次第に首筋が露わになる。

 太く立派な血管が浮き立つ。これを切れば、ここにナイフを滑らせればいいだけ。

 でも、仔牛の頭をしこたま殴っていたあたしが言うのも何だけどさ。少し気が滅入る。殺すという直接の行為に、今更になって躊躇してしまう。



「――佐藤ちゃん、避けろ!」


 レオの声だった。

 あたしは気絶した仔牛に引導を渡すことをに注力しきっていた。あたしの世界には、あたしとこの仔牛しかいなくて。

 だから周囲を気にする余裕なんて、一切なかった。でも、それは油断だったのだ。


 あたしは振り向いた。レオの声がした方向へ。

 今にもあたしへ突撃しようとしている大人の黒牛が目に飛び込んできた。

 レオの顔は見えないけど、その太い腕が黒牛を背後から捕まえているのは理解できた。


「早く逃げろってんだ!」


 あたしは足が、足が固まったように動かなかった。

 これが恐怖、なのかもしれない。恐怖で足が竦むというやつよ。

 腰が抜けるのといい勝負ね。こんなこと考えている余裕なんてないのに……。


 黒牛の後ろから半分だけ顔を覗かせたレオは、黒牛の上半身を覆うモジャモジャな毛を手繰るように背中に登ると跨った。背に乗られた黒牛は嫌がり、あたしよりもレオに意識を向ける。


「助けに来ないってことは端から織り込み済みかよ!」


 レオが悪態を吐く相手はあたしではない。たぶん店長に、だ。

 あたしが危機に瀕しているのに、店長は助けに来ない。自信過剰じゃないけど、いつもあたしに意識を割いてくれているはずの店長が、だ。代わりにレオが助けに来てくれたという事実が今ここにある。


 黒牛の頭頂部にある毛を左手で掴むと力一杯引き寄せ、牛は呻くように顔を上げた。強引に持ち上げられた黒牛の口元にレオの右手が伸びる。

 すると、右手から水の玉がでた。徐々に大きくなる水玉はやがて洗面器一杯くらいの大きさとなり、そのまま口内へと入り込んだ。



ゴゴゴゴ、ゴグ、ギュグ、グググ


 黒牛が奇妙な声を漏らして痙攣している。背中に跨っていたレオもいつの間にか、離れた位置に立っていた。

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