店長の魔法モドキ
戦闘訓練の開始初日から数えて一月を越えただろうか。
訓練用の動く泥イノシシゴーレムも、最早あたしの敵ではない。一振りでとはいかなくとも、三振り四振り……七振りくらいで仕留められる。戦績を平均化すれば、五振りというところでどうだろう?
そんなあたしの考えを見抜いてか。
今日の店長はあたしの訓練開始以来初めて、レオに同行するよう求めた。
「今日からは魔法を交えた実践を経験してもらう」
その為にレオが必要なのだろう。
当然の帰結ながら、あたしは魔法を使うことはできない。
何せあたしは、ずっと釘バットや一日限定ではあるものの金属バットを振り回していただけだ。圧倒的に物理寄りな戦闘訓練しか受けていない。
ただ、魔法の”ま”の字も無かったわけでもない。
ある日のこと、レオが手渡してきた数冊のノート。これこそがあたしを導いたとも言えるが、更なる悩みへと陥らせたとも言うべき代物だった。
レオが手渡してきたノートの内容はというと、丁寧に手書きで綴られている日本語の問いと、ミミズがのた打ち回ったかのような異世界の文字列群。
一通り目を通したあたしの感想としては、小学校低学年向けの国語の書き取り練習用ドリルだった。
なぜこんな物をレオが? と疑問に思いながらも、あたしは精一杯の感謝を述べた。その際、レオに「コピーしてから使ってくれ」と言われ、コンビニに走ろうとしたところを店長に捕捉される。結局は店長宅に業務用の複合機があって、その利用を許されたというオチが付いた。
問題は、店長の家に何でこんな複合機が……じゃなくて!
そうではない。そうではないのよ。
この書き取りドリルの著者は、店長ではないことは店長本人に確認してある。
では誰か? それはレオの母親が、この店でアルバイトを始めたレオのために用意した物であるとレオの口から語られた。
店長が苦笑しながら補足した内容を踏まえると、レオの母親は以前店で働いていたそうな。それも、以前にあたしが店長から借り受けた黒い金属バットの愛用者であると言いい、
「当時、ウチには金属バットが二本あったんだがな。ほとんど使っていない銅色のバットを持って行かれた」
「……玄関の傘立てに刺さってる金属バット、お袋のだったのか」
レオの父親は内向的な性格でスポーツをするような人物ではないらしく、金属バットが玄関に常備されているのか、ずっと謎であったらしい。「ちなみに」と付け足した店長の言葉によると、釘バットの発想も日本の漫画にすっかりとかぶれてしまったレオの母親に因るものだと言う。
要するに、だ。
レオの母親は、あたしの大先輩であるということ。
恐らくというか当然というべきか、異世界の何たるかも知悉している人物であることに間違いはない。こんな書き取りドリルを作り上げる人物なのだから。
毎朝の戦闘訓練に合わせ、朝は八時出勤。二十一時ラストオーダーの二十二時に閉店。その後に片付けを終えての退勤となるため、ぶっ続けだとあたしの勤務時間は長くなり過ぎる。
そのため訓練後の賄いごはんの後に、あたしには中抜けが許されている。
店長は「中抜けなんぞ、悪しき習慣だ」と云うものの。あたしにとって、この中休みは異世界語の学習に充てるには十分な時間なのよ。
第一、こんなミミズがのた打ち回ったような言語の課題を、家に持ち帰ることは難しいのよね。仮に家族に見つかった場合、言い訳のしようもないもの。
「――――藤さん、聞いてるか?」
「は、はい。何でしょうか」
「今日からは実践とする。もちろん訓練も続けていくが、初日の今日はレオの戦闘風景を見てもらおうと思う。……と、その前に」
今の今までそこそこ大きな声であたしに話し掛けていた店長は、口の前に左手の人差し指を立て「しーっ」という仕草をした。実際に声には出していないが、そういうものよ。様式美というやつね。
そして店長の右腕が示す先を、あたしとレオの視線は追い掛けた。
平原に疎らに生える樹木の先端部分。所謂、梢とでも呼ぶ部分に静かに佇む白い大きな鳥の姿。
その鳥の姿も名も、子供の頃に家族総出で観光に行った動物園で見た記憶がある。えーと、ペ……ペリ……ペリカン? ウォーターポットの俗称じゃないわよ! 本物のペリカンよ。たぶんだけど。
「レオの前に俺のやり方を見せよう」
「……あ~」
店長は右腕を差し向けてはいても、指を差しているわけではない。レオはそんな店長を見据えると、苦みの伴った表情を隠すそうともしなかった。
ぺちん
次の瞬間、仮称ペリカンに狙いを定めていた店長の腕の先からぺちんと気の抜けた音がした。
店長の腕の先に視線を向けていたあたしは、その動きからフィンガースナップの音だと気付く。パチン! という小気味良い音ではなく、ぺちんという失敗したような音に、あたしは店長がフィンガースナップを失敗したのだと判断した。
普段凛々しい店長もこれは流石に恥ずかしいだろうな。と赤面する店長の姿を想像したあたしがほっこりしてる間など一切なく、ペリカンは梢から落下した。
呆気にとられるあたしをスルーしたレオは、落下してきた鳥に近寄り一言。店長もそれに続く。
「即死だよ」
「脳震盪を起こすだけのつもりが……。まあいい、処理しよう」
レオは鳥の、それぞれの短い脚に紐を括り付ける。
その傍らで店長は腰の後ろの鞘に収納しているトレンチナイフで、鳥の首を掻き斬った。首の皮一枚も残さず、すっぱりと首ちょんぱ、だった。
ふたりのどちらかが、どこからともなく取り出された桶を置き。その直上にあたる枝に、レオは脚に括り付けた紐で鳥をぶら下げた。
きっちりと役割分担された流れるような動きによって、素早く血抜き作業へと移行したのだった。
「あ、え? なに、が? 何が起こったんですか?」
一連の動きを眺めることしかできなかったあたしは、やっと思考が再起動した。
店長の失敗したはずのフィンガースナップで、一体何が起こったのかしら? そう問いたかったのだが、あたしの口からは端的な質問しか出てこなかった。
「音って何もしないと放射状に広がるものだけど、そこに指向性を持たせるとこういうこともできる」
「指を鳴らした際に出た音を直接鳥の脳にブチ込んだんだよ。脳を揺らして気絶させるつもりだったんだろうけど、たぶん中身はグチャグチャだよ」
質問の回答として店長の答えはわかり易いようでわかりにくい。実感が伴わないのよ。なので具体性のあるレオの回答の方が、あたしはより理解し易かった。
店長の回答をレオの解説に基き、噛み砕く。
水たまりに石ころを落とすと波紋が広がっていく。実際に目視はできないけど、音も似たようなものである。その音の動きに指向性を持たせる。
店長の手元から生まれた音を線上に固定して、ペリカンの脳に直接当てた。そういうことなのかしら?
あたしが色々考えている間にも、店長とレオの作業は続いている。
店長が胸元から取り出したハンターギルド証に、ズボンのポケットから取り出した何を押し当てた。
「それは?」
「粘土だよ。こうしてタグで型押しして獲物に付けておけば、血抜き中でも他のハンターには俺の獲物だと認識できる。余程の馬鹿でもない限り、俺の獲物に手を出したりはしないさ。あとは血の匂いに引き寄せられた獣も、俺たちの匂いがあれば警戒して普通なら近寄らない。仮に盗まれたとしても門兵の検閲があるから街の者であればすぐわかるし、獣であれば羽や肉片等の荒らされた痕跡が必ず残る。もし獣が相手なら潔く諦めるしかないけどね」
確かに街の住人に人気のある店長から、獲物を強奪する輩が存在するとは思えない。それに腹を空かせた肉食や雑食の獣も、この辺りでは見掛けることはない。
そんな危険な獣がいるならば、あたしはゴーレム相手に訓練だけに勤しむことなどできはしないわよ。
「で、さっきのアレは店長の魔法なんですか?」
「……うーん。少なくともこの辺の魔法の概念とは違うかな」
「佐藤ちゃん。悪いことは言わねえ、早く忘れた方がいいよ。新居さんのアレは参考にしちゃいけないデタラメの典型だって、おいらのお袋も言ってた」
店長のフィンガースナップはこの国の魔法とは畑違いであるみたい。それに言っては何だけど、魔法っぽい演出が何もなかったことを鑑みれば、レオの言い分もあながち間違っていないのかもしれないわね。
あたしの正直な感想にしても、手品のような小手先の技にしか見えないのよね。
「それにしても佐藤ちゃん。血の匂い、平気なんだな」
「調理場にいる時間が長いから慣れたわ!」
獣だけでなく、魚を捌くのにも血は出るものよ。さすがにペリカンの首ちょんぱした店長には一瞬だけ驚いたけども、その前の手品の印象が強かったからね。
「どうも俺の魔法モドキは佐藤さんに受け悪くていけないね。ここはひとつレオに牛の一頭でもサックリ殺ってもらおうか。そろそろ牛肉も補充したい」
「げぇぇ、あれかぁ……」
「レオが一頭。佐藤さん実践訓練でもう一頭の計二頭。ちょうど都合よく荷運びの手勢も確保できそうだ」
レオだけでなく、あたしも似たような感想を抱いたことが伝わってしまったのかしら。店長は少し意気消沈しながらもそう言い放ち、ペリカンを吊るしてある木の向こう側の平原を見やる。
そこには身長の三倍くらいはありそうな長大な鈍器を振り回す、小さな人影があった。そして、そんな人影と真っ向から向き合っている黒く逞しい牛の群れも。
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