レオの魔法と魔石のひみつ
ピクピクしていた大きな黒牛は、やがてビクンビクンと体を跳ねさせると動きを止めた。
「はぁ、間に合った……よかった」
「ありがとう、レオ」
意外にも男らしいとは言わない。
ここで嫌味を言うような空気の読めない女ではないの。あたしは敢えて空気を読みに行く女なのよ。
「こっちのはもう済んし、もう安全だ。佐藤ちゃんもソレ、起きない内に早く殺っちゃお。最初が肝心なんだ」
「う、うん」
最初が肝心、ね。
恐怖と驚愕に落としていたナイフを拾い、土や草の付着した刃をツナギで拭う。
そして未だ気絶から醒めない仔牛の首筋に、あたしはナイフを刃をそっと当てた。
手が震えるのは、先程襲われかけた恐怖からではない。今から命を奪う、奪ってしまうという、あたしの心からくる恐怖が原因だ。
「ごめんなさい」と一言心の中で呟くと、あたしは少しだけ力を込めてその手を引いた。
プシュッ
という音と共に命が勢いよく吹き出し、流れ出る。
首元に陣取るあたしに、その命は容赦なく降り注ぐ。
あたしの髪の毛や顔、ツナギも防具も、みんな真っ赤っか。
生温かくヌルヌルしていて、とても臭い。鉄錆臭とは違う、獣臭さが際立つ。
「………………血。このままで、いいの?」
「構わない。最初はおいらもそうだった。
こうやって血塗れにさせ、命を奪うことを実感させるのが新居さんの方針なんだ。風呂に入っても何日も臭いが消えた気がしなくて……何日も夢に見て……そしていつの間にか慣れている」
あたしが苦悩することは最初から織り込み済みだった? あたしを助けに来たレオも、確かそう口にしていた。レオも以前同様の洗礼を受けたのだと、口淀みながらもその言葉は粛々と綴られた。
「親牛が仔牛の助けに入ることも新居さんにはお見通しで。すぐに介入しそうなおいらを先行させて、佐藤ちゃんの対応を見たんだと思う」
「悪質ね」
「佐藤ちゃんの成長を観るには的確ではある、とは思うよ」
レオの言うように、あたしの成長を観察するのならば的確な方法かもしれない。でも、レオも思うところはあるらしく、あたしも腹立たしいのは事実だわ。
ただ、あたしは店長に対して腹立たしいのもあるけど、あたし自身の不甲斐なさにも腹立たしい。周囲への警戒を蔑ろにして事実然り、命を奪うことへの躊躇然り。
店長は今日まで何度もあたしに覚悟を問うたではないか?
その度にあたしは何度も答えたはずなのよ。覚悟は決まっていると!
それがどうよ? 土壇場でこの様よ。悔しいったらないわ!
「はぁ、どうしようもないわね。ねぇ、さっきのレオの魔法よね?」
気持ちを切り替えなければいけない。いつまでもくよくよと悩んでいたり、ムカついているわけにもいかないのよ。
それにはちょうどいい題材があった。
「おいらは水の魔法を使える。水魔法使い」
「ほう? ちょうどいいや、あたしを洗って! 頭から水をぶっ掛けて」
いくら殺伐とした異世界とはいえ、乙女なあたしがいつまでも血塗れなのはいただけない。このまま衆目に晒されるのは勘弁願いたいのよ。
髪の毛に付着した血が固まらない内に早く!
「おいら、さっきのあれで限界。もう少し時間が経たないと無理」
思わぬ反応にあたしは顔を顰めそうになり、「使えないわねぇ」と口汚く罵る前になんとか口を噤んだ。助けてもらった手前、我儘を言える立場ではない。多少、頬が引き攣るくらいは勘弁してよね!
「でも、水の矢とか槍をババッと飛ばしたりできないの? こう、アニメやゲームみたいに」
「新居さんが言うには、この世界の魔法原理は”発現”なんだってさ。魔法で何かを一時的に作り出すこと、を指すんだと。だから、おいらが二メートルくらい動かせるのも異例らしいんだけど……」
それは、あたしが想像していた魔法と違うものだった。
そういう意味では店長の魔法は結構な距離を飛ばすことができていた。目に見えないという地味さも、見方によっては相手に察知されることもない。暗殺者向き?
一旦そういう風に考えてしまうと、店長って実はかなりヤバい人物なのではなかろうか?
「おおぅ、見事に真っ赤に染まってるな。店に帰るころには真っ黒だ」
あたしの血塗れ具合にドン引きした様子の店長がやってきた。
レオと会話中にも、こちらへ歩み寄って来る姿がちらちらと見えてはいたのだけど、もやもやした思いも相まって無視していたのよ。
「で、どうなんですか? あたしの評価は?」
「及第点だね。レオとも似たり寄ったりだ。ククッ」
くくと笑う店長にむかつく。助けてくれなかったことは根に持つわよ?
でも、その前に質問がある。
「今、レオに少し聞いたのですが……。この世界の魔法原理がどうとか」
「”発現”は基礎中の基礎だから覚えておいて損はない。佐藤さんは幹部候補生でただのバイトでしかないレオとは事情が異なる。まあ詳しいことは後日にしよう。ちょうど飴の在庫が切れるんで、注文しに行かないといけないからな」
何か適当に誤魔化された気がする。
でも、レオがただのバイトという話は初耳だわ。何かと偉そうだから、レオも店長候補なのかと考えていたのに。
今日助けてくれたことは別にして、今後はこいつに遜ったりする必要はないわけよね。これは良いことを聞いたわ! そもそも遜ったりしたのも、顔を合わせた初日くらいだけど。
それにしても、
「飴って? 飴ちゃん、キャンディーですよね」
「これだよ。舐めてみる? ちゃんと甘いよ。材料は麦芽水飴と上白糖だし」
大きさはピンポン玉より一回りほど小さいような。
若干黄色っぽい無色透明。形状は正十二面体くらいの中空構造。表面に幾何学な模様や文字みたいなものが彫り込まれていて、その中に小指の爪ほどの黒い小石が転がっている。
勧めに従い店長の手にある状態のまま、ぺろりと舐めてみると甘い。けど甘すぎない。飴には違いなさそう。
「これを何に使うんですか? 狩りと関係があるようには思えませんけど」
「レオが今から見せてくれる」
レオは飴という単語で思い出したのか、急いで黒牛の血抜きを始めていた。
結局レオが狩った獲物は、あたしを襲うおうとした黒牛だけだったようね。
折り畳み式の桶というかバケツ? 蛇腹状に小さく折り畳まれていてランドセルに常備しているものへと、血管に宛がわれた水道のホースのような管の先から血が止めどなく流れ出ている。
「発現させた水で窒息させるのがレオの狩りでの常套手段だ。あとは、血抜きの際に水の粘度を高めて血液と混じらないように工夫した後、体内の血を余さず押し出すのにも役立つ」
以前店長が解体に魔法が必要だと語った。あたしには時期尚早だと語った意味はこれらしい。あたしには残念に思えたレオの魔法も、こと解体作業に於いては絶大な効力を発揮するらしいわ。
窒息死に追いやるのも結構えげつないとは思うわよ? ただねぇ、口の前まで行って手を翳さないといけないのはちょっと。
バケツをいくつか満杯にした大量の血に驚くあたしを余所に、レオはそのバケツの血の上に一枚の紙を浮かせる。そして、その紙の上に件の飴をそっと載せた。
飴は中空だから大した重みもなく、浮いた紙が沈む様子もない。
「ここからだ」
飴を血に浮かべた紙の上に置いて数秒後。五秒かそこらよ。
飴の中へ血が流れ込むという、奇妙な光景をあたしは目の当たりにしている。
血の絶対量を考えれば、飴の大きさは小さいにも程がある。なのに……浮いていたはずの紙はバケツの底の方へ至り、バケツに満ちていたはずの血は僅かな滴と、白っぽい液体を残して消失した。色で言うなら赤はほとんど残っていない。
「この飴はうちの秘匿技術でね。街にるドワーフのルゥ族は関係者だから構わないが他の者には決して見せてはいけないし、知られてもいけない」
「残った脂肪は穴を掘って捨てるんだ。血液に混じっていた脂肪だから一段と臭い」
それは血塗れのあたしに対する嫌味なの? レオのくせに生意気だわ。っと、実際には嫌味など一切含んではおらず、忠告なのでしょうね。
ランドセルの側面に常備された折り畳み式のスコップで穴を掘り、脂肪を廃棄したレオは店長に赤黒く変色した飴だったはずの何かを数個手渡した。
「それは?」
「魔石だよ。品質としてはかなり低いけど、獣の血液からでも量産できるという大きな利点がある。この世界で魔石と呼べるものは本来、森や山岳地帯の魔獣を討たなければ入手できないからね。それをこうして生産できる技術ともなれば、欲しがる者は多いだろう?」
「知られると危険ということですね」
「そうだね。そして魔石に少し手を加えてルゥ族に流すまでがうちの解体の仕事に含まれる。ルゥ族はこれを触媒に用いることで様々な物を生産していてね。彼らはうちの工業部門を担う、居酒屋あすかろんの完全な下部組織ってわけだ。
それでだ。戦闘訓練を無事修了した佐藤さんには、今後俺の同行がなくとも狩りに赴くことを認める。ただ、レオも学生で常に店にいるとも限らない。そこで佐藤さんの護衛というか、チームを組むことになるのが彼らだ」
そこまで聞けば、察しの悪くないあたしも気付く。
彼らは偶然この場に居合わせたわけではない。あたしの戦闘訓練の修了試験の相手が黒牛の群れであるのは、既に事前に決められていたのよ。だから髭モジャ三名が黒牛を追い立てていたのも店長の仕込みだったのね。
ちょうどよく荷運び要員がいる、なんて適当な言葉にあたしはまんまと騙されてあげないんだから、ね!
「ガラ=ルゥだ」
「ヴェオ=ルゥと言います」
「ルフェイ=ルゥよ」
「佐藤伊織です。イオリと呼んでください」
互いの自己紹介で声を聴いて驚いた。
最初のガラ=ルゥさんのみ男性で、ヴェオ=ルゥさんとルフェイ=ルゥさんは女性だった。三名とも髭モジャだから、てっきり男性なのかと思っていた。失礼しました。
「ルゥ族の作業場は居酒屋あすかろんアーミル支店の隣りだ。狩りだけでなく、街を見回る際にも護衛は欠かすな。日本と違って治安はそこまで良くはないんだ」
「はい」
「もういいだろ? 荷車に積むの手伝ってくれよぉ!」
情けない声をあげるレオを窘め、皆揃って荷車へと今日の獲物を積み込む。
店長はペリカンを取ってから戻ると言い別行動をとったが、あたしら一行はそのまま街へと向かった。わいわいとガールズトークに花を咲かせながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます