事情を聴かれましたけど、何か?
一昨日のことを思い出すと、今でも腸が煮えくり返る。
姉はあれからもずっとモジモジしながら惚気話を続け、恋バナが嫌いではないあたしは当初こそ話を黙って聞いてはいたものの、次第にむかっ腹が立ってきて姉を置いて家を出た。
筋肉痛を癒すためにゴロゴロしているというのに、なぜにあんな腹の立つ話を聞かねばならないのか? あたしの安らかなる休日を返せ! と言いたくなった。
気分の優れないまま、あたしはスポーツ用品店を訪れた。
結果的に、金属バットという強力な手札を手に入れることができて気分はすこぶる付きで良い。たまには家を出てひとり買い物行くのもいいかもしれない。我ながら惚れ惚れする買い物ぶりである。
これさえあれば泥イノシシも一発K.O.間違いなしで、店長に褒めてもらえるはずだ。
と、先日はそう思っていたところ、昨日のあたしは平然と忘れ物をしてしまった。
だって、金属バットなんて普段持ち歩かないもの。異世界では釘バットを毎度携帯しているけれども、それはそれ。
そして、今日。
最寄りの駅のホームにて電車を待っていると、ジト目の駅員さんになぜバットを持っているのかと訊かれた。そう問われてみれば確かに、職場に金属バットを持参することは異常極まりない。絶滅危惧種ヤンキーの抗争でもあるまいし、物騒なことこの上ないよね。
あたしはそこで咄嗟に、
「野球部の弟が忘れていったので、届けるよう母に言われて……」
と、あたしは言い訳した。もちろん、大嘘である。
実際に弟はいてもあいつは卓球部。しかも三年生で既に引退した身である。ラケットならまだしも、金属バットになど何の用もあるはずがない。
電車に乗っている最中にも普段なら満員で押し合いへし合いとなるはずが、わたしの周りはなぜか混み合うこともなく、珍しく快適に過ごせた。でも、降りる駅は二駅隣りでしかなく、短い幸せだったと噛みしめるに終わる。
駅を出て、ほぼシャッター街と化した商店街を進むあたしを止めたのは、ちゃりんこに乗った駐在さんだった。
駅員さんと同様の質問をされ、あたしは少しだけムッとしながらも同じ回答を繰り返した。まあ、大嘘なんだけどね。
「そうか、弟さんも大変だね」と駐在さんは言ってのけ、あたしは何のことかさっぱりわからないけれども、同意する振りをした。
さすがあたし、主演女優賞待ったなし、でしょ。
そうして、普段よりも若干の時間を要した通勤を終え、あたしは元気よく挨拶をした。挨拶こそ礼儀の基本、というのが我が家の家訓である。実際に、短い大学時代のバイト先でも元気な挨拶が褒められていたし、今のお店でもあたしの出勤より早く仕事に取り掛かってる店長は、あたしの朝の挨拶に朗らかな笑顔で返してくれている。
店長の笑顔を見るだけで、あたしは実姉によって荒んだ心が癒されることを昨日知った。最近は午前中の訓練こそスパルタだけど、それ以外は本当に優しいのよね。
からん、からん
「おはようございます!」
「……おはよう?」
何だろう? 今日は昨日までと店長の反応が違う。なんだか、普段の笑顔が引き攣っているような……?
「あの、佐藤さん。それ、まさか裸でそのまま持ってきたの? カバーとかケースとかないの?」
「ケースって安くて三千円もするんですよ? お店に置いておくだけなら必要ないじゃないですか」
「あぁ、そうだね。そうかもね」
この金属バットさえあれば、非力なあたしでも強力な一撃を繰り出せるはず! だから、今日の訓練には気合が入り方が違うのよね。
「ウッス!」
「ウッスじゃないわよ。ちゃんと挨拶しなさいよ!」
「おはよっス。てか……金属バットっすか? ちょっと見せてもらっていいすかね?」
レオは挨拶をあたしに窘められたことすら気にせず、あたしの持ってきた金属バットの先端分を検めていた。むしろ店長に見せつけるように、先端部分を向けていた。
「佐藤さん。消音バット、高かったでしょ?」
「はい。税込みで三万円弱ですね。でも金属バットなら威力は期待できると思って」
「ぷぷっ」
レオが朝から居るのは予定外だけど、それはどうでもいい。あたしとしては店長が難しい顔をしていることの方が気に掛かる。店長を悩ませているのはレオに違いなく、相変わらず碌なことをしないヤツだと思う。
・
・
・
「今日も訓練を頑張ってもらうとして、バットの打ち比べもしてもらおうかな」
あたしが研修を受けるようになってから、レオは単独行動を許されている。その間あたしは店長の指導を受けていた。個人指導で二人きりの時間だ。
ここまでは日常の範囲内であって、段階的にあたしに課せられる戦闘訓練の難易度は上がってる。そこは変わらないのだけど、本日に限っての訓練内容はあたしが持参した金属バットにも影響を受けていた。
「やれるだけやってみなさい。その上で考えるように」
最近だと店長滅茶苦茶スパルタなのに、今日はすこぶる優しい。そこに若干の違和感を抱く。
店長は基本的に優しいんだけど、戦闘訓練だけは一定の時期を越えて以来苛烈だった。それはたぶん、あたしが死なないために必要な経験であり、店長自身の体験を踏襲させているものだと、あたしは考えていた。でも、今日に限って言うとやたらに優しい。優しすぎた。
「おりゃぁ、豚野郎が!」
気合と精一杯の力を込めた一撃にも拘わらず、バットから伝わる手応えは鈍い。釘バットなら込めた力のぶんの手応えが返って来るはずなのに。それに釘バットであるならば、もっと泥が飛散するはずなのだ。なのに期待している成果よりも、圧倒的にとは言わないまでも少ない反応しか得られていない。
「なんで!?」
「消音バットは別名を低反発バットと言うんだ。通称、飛ばないバットとも呼ぶね。昔の金属バットであれば、佐藤さんが期待した成果は得られただろう。試しにこれを使ってごらん」
そう言って店長が渡してきたのは、全体的に真っ黒で握る部分までもがタイヤのようなゴム素材で出来ていた金属バットだった。
店長に渡された金属バットを持った瞬間思った印象は重い。それだけだった。
あたしが今まで振り回していた釘バットよりも遥かに重い。三倍とは言わないまでも二倍くらいはある。
「その黒バットは俺がガキの頃、草野球で普段使いしていたものだ。あの頃は消音バットなんてのは存在すらしていなかった。ついでに言うと、佐藤さんの先輩に当たる幹部候補生も愛用してたモノでもある。俺が父から貰った愛用の品だから、貸与こそすれ誰にも譲渡したことは一度もないがな」
そんな大事なものを! あたしの間違いを正すために貸していただけるなんて!
ん、でも、見も知らぬ先輩も同様の立場にあった、というのは聞き捨てならない台詞だ。
「少し重いけど……使えます!」
嘘だ。かなり重い。振り回すには厳しい。
実際、釘バットやあたしが買ってきた金属バットと同じの感覚で振ると、そのまま振り回される。
でも使えないと言わない。
そんなことを言えば、あたしの手から店長は奪い去ってしまうだろう。このバットが店長の思い出の品であるのならば、あたしは手放したくはない。
譲渡はしてくれないとしても、貸与はしてくれるはずなのだ。今もこの胸にあるペンダントが何よりの証拠ではないか!
店長は基本……ううん、原則優しくて。優しいからこそ、あたしやレオに厳しいんだ。ならば、その期待に応えなければ、女が廃る!
ここは一撃で仕留めたいところだけど……店長は口うるさく何度も言う。
仕留めることは考えるなと、脳震盪を起こすだけで十分だと。
焦るな、あたし。
紆余曲折あったけど、三万円は無駄になっていない。あたしが望んだ重量のある武器は手に入った、結果的に。あたしがスポーツ店に投資した三万円は何も無駄にはなっていないのだ。
だって、店長の思い出の逸品を借り受けているのだから!
「喰らえ、豚野郎!」
乾坤一擲。あたしの振り下ろした黒バットは泥イノシシの脳天を捉えた。
あたしがぎりぎり持てる黒バットの重量もあってか、一撃で泥イノシシはその動きを止めた。
「おぅ、やるじゃないか」
店長はたぶんわかっていない。あたしがどんな思いで、泥イノシシを沈めたかも。でも、それでいいと思う。
あたしはあたし、だ。店長がどう思おうと関係ない。
気にならないと言えば噓になるけど、あたしの最初の目標は魔法○女なのだ!
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