ハードモード入りました
あたしの異世界のアーミル街郊外での戦闘訓練は、今日ひとつの節目を迎えた。
店長が造り出した泥イノシシゴーレムの姿こそ変わらないものの、今までこいつは動くことは無かった。なのに、なのに! 今のこいつは自在に動くことができる。
そしてあたしは、この動く泥イノシシに頭突きを喰らい、惨めに地に這い蹲っていた。
「もう一度言うぞ。俺が設定したポイントに一定の力以上で打ち込まないと、ゴーレムは反撃する。設定したポイントは頭部のみだが、脳天、横面、鼻、顎、耳と幾らでも狙えるはずだ。この訓練は肉を駄目にしない為のものだ。頭部に集中して衝撃を加えるように心掛けろ。仕留めようと考えるな、脳震盪を起こさせるだけでいいんだ。その後、ゆっくり止めを刺せば十分なのだからな」
今日までは泥イノシシのどこに打ち込んでも、それだけで褒められていた。
だというのに、いきなりのハードモードですよ! 今までがゆるゆるだったとも言うけど。店長、ハードルが上がり過ぎですよ!
「はい! 伊織いきます」
動かない的当てなら、あたしだって十分できる。今までがそうだったのだから。
でもね、この子は動くのよ! 泥で出来ているくせに、何て素早い動きなの。
あたしは釘バットをぶん回しながら、泥イノシシを追い掛ける。追い掛けては頭側に回り込む。この回り込む動作が非常に難しい。
「何も正面をとる必要はないぞ? もっと相手の動きを利用しろ。相手の動く上で、相手に制限を設けてやればいい」
ちょっ難しいこと言われても、わかんないんですけど!
「横からでも殴れるだろう?」
店長はこともなく言うけどね! 中途半端な力だと反撃されるのよ! だから思い切りぶん殴るには、振り上げてから振り下ろす動作があたしには必要なの!
あたしゃか弱い女の子だよ? 店長やレオとは違ってムキムキじゃないのよ!
「くそぉ、また吹っ飛ばされた」
泥イノシシの頭突き自体は防具があるからそう痛くもない。だけど、吹き飛ばされて地面に打ち付けられるのは痛い。生い茂る草がクッションになってくれてはいるけど、そんなもの気休めにもならないわ。
初日だけって話だったツナギは今日も着用している。店長のお古のツナギは何着かあって、初日は黄土色っぽいツナギで、前回はスタンダードな青いツナギ。そして今日は店長が一度も袖を通していないという新品のツナギをもらっていうのに、もう泥だらけの草塗れよ!
ツナギをもらって喜ぶ女子も正直どうかと思うけど、あたしは嬉しかったのよ!
「この、豚野郎がぁ!!」
「クックックッ、いいぞ。いい気合の乗り方だ」
店長が何か言ってるけど聞こえない。
今のあたしは、この豚野郎をどう料理するかだけが問題なのよ。
待ってなさい。あたしは何回転ばされようとも、あんたを打ち抜いてやるんだから!
・
・
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「よくやった。今日は一度で終わりにするが、次回からは複数回続けてもらう。反省して対策を練っておくように」
「はぁはぁ……はぁ……でも、お店を出たら忘れちゃいます」
「じゃあ特別に対処方法を授けようか。そのペンダントを身に付けたまま帰るといい。一度でも外すとペンダントの存在そのものを忘れるから、風呂もそのまま入れよ。あと失くしたら弁償な。それ、時価数千億円はくだらないんだ」
「え゛!?」
高そうなペンダントだぁと漠然と考えていたけど、そんな値打ちがあったの?
ペンダントトップの赤い宝石お大きさを考えれば、不思議な額ではないかもしれないわね。しかも、こっちの人の言葉をあたしが理解できるようにしてくれてもいる。きっと魔法が掛かっているんだわ。
「売れば、だけどな。でも材料費だけで一千万近く掛かってるから大事にしろ。あと、あくまでも貸与ということを忘れるなよ?」
「それでも一千万円ですか……。十二分に気を付けます。絶対に肌身から離しません」
「じゃ、レオを待って帰るか。それまで休憩だ」
「はい」
◇
あの日から数日経って月曜日。今日はお店はお休み。
正確には店長とレオは狩りに出掛けているのだが、あたしだけは休息日とされた。
お店の営業は週五日。毎週月曜と火曜がお休み。たまに臨時休業もすると聞いた。
あたしも本来は営業日に準じて週休五日なんだけど、休日を一日自主返納して丸一日訓練日に当ててもらっており、現在は週六日勤務となっている。
あたしの勝手な申し出に対し店長は快く頷いてくれて、返上した休日の訓練でもお給料が支給されている。とても申し訳ないのだけど、店長は「個人の時間を拘束している以上払わないわけにもいくまい」と言う。
仕事あがりに、家族皆が入り終わって温くなったお風呂で筋肉をほぐす毎日には充実感がある。これが労働の喜びなのか、運動後の癒しなのか甚だ疑問ではあるが。
そして今日も今日とて日々の筋肉痛を癒すため、家のリビングでゴロゴロしている。と、月曜だというのに部屋着姿の姉が現れた。
「ちょっと伊織。今度あんたの働いているお店に行きたいんだけど、紹介してくれるわよね?」
「えぇぇ、無理だよ。ずっと予約で一杯だもん。まだあたし研修中で、店長に無理も言えないし……」
店名が異世界風居酒屋あすかろんということは家族にも報告している。面接の問い合わせをした時点で、家族に相談しているのだから猶更だ。
だが、あたし家族は知らない。あの店が普通の居酒屋ではないことを、ほぼレストランという営業形態だという事実を。
当然ながら異世界関係の話は禁句だ。あたしを信用してペンダントを貸したままにしてくれている店長にも、何度となく念を押されている。また、あの店を解雇されると、あたしの魔法○女計画は確実に破綻するのもあり、異世界関連には口を噤む必要があった。
「ただの居酒屋でしょ?」
「いやぁ、お姉ちゃん勘違いしているよ。あそこ店構えも店内も高級レストランだよ? 店長が言うには敷居を低くしたレストランだもん。連日予約で満席。無理無理」
「じゃあ予約すればいいのね」
「一ヵ月先なら……空いてたかな?」
「じゃあ、今度友達と行くわ。電話番号教えて」
「いいけど、店長にあたしの姉だって言わないでよ」
「大丈夫よ。友達名義で予約するから」
謎の豚肉、謎の鶏肉、謎の牛肉などなど、そうメニューに記載されているのを見て、お姉ちゃん驚かなければいいけど。
主な野菜や果物、調味料は日本で購入しているというけどさ。それ以外は異世界産なんだよね。たま~にあたしは初めて見る野菜や果物も、店長は平気で使うからね。
どれが異世界産かも、あたしが見当がつくのはお肉しかなくて、地球のものでも外国産の高級果物なんてあたしが知らないものは多いのだけど。
「料理はすごく美味しいよ。パンも自家製で、デザートもだね。あと、店長は渋くて格好良いいよ」
ただ、店長の歳は未だに不明なままなのよね。
訓練や調理補助の合間に訊ける内容ではないし、ウェイトレスをやっている時はそれどころではない。だから年齢を訊ねるタイミングなんてどこにもないんだわ。
「ふーん、そう」
「何?」
「あんた、男っ気なかったのは年上が好みだったのね」
「何よぉ、お姉ちゃんだって似たようなもんでしょ? もういい歳なのに!」
「うるさいわね! お姉ちゃんにだって、彼氏の一人や二人いますぅ~」
「二人って二股じゃん。うわー、お姉ちゃん不純!」
「それは過去の話よ。だからね、今の彼氏と行けるお店を探してたの! 上手く事が進めば、結婚だって……あるかもしれないのよ」
血痕? 血痕なら最近の訓練でよく目にするけど……主にレオのを。
何言ってんだ、我が姉は? お姉ちゃんがあたしと同様の訓練を受けている、わけないか!?
「かれし? 枯れ木じゃなくて? 嘘だあぁぁぁ!」
「嘘じゃないわよ! 予約次第では一ヵ月以上先になると思うけど、あんたには先に会わせておきたいの」
「マジで? ほかの家族には?」
「マジよ。まだ秘密」
うわー、うわーだよ。
あたしはてっきり、お姉ちゃんは恋人なし歴二十五年だと思ってたよ。くそぉ、あたしも青春したいわ。もう遅いけど!
自分から告白しておいて、お姉ちゃんは真っ赤になって照れている。照れまくっている。
何が彼氏よ、超うぜぇわ! この姉。
胸のペンダントを握るとなんか落ち着く。
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