第6話 帰り道はうとうとしたくなる

 ここまでゆっくり食事をしたのは、久しぶりだった。


「ドリアもハンバーグもおいしかった」

「別々のやつを頼んでよかったな」


 無事に完食した。メロンソーダも飲み切っていた。


「後半の、アイスがドロドロになってからもまた一興」


 飲み切る寸前になって、姫川は語った。


 アイスが溶け、炭酸も抜けたあとのメロンソーダはいまいちに思えるが、姫川にとっては違う。最後の一滴まで満足度は高かった。


「意外といい時間だな」

「帰らなくちゃ。じゃないと路上で寝ちゃう」

「姫川は何時に寝ているんだ?」

「ご飯食べてから二時間以内。日付が変わる前には、もうウトウトしてる」

「眠り姫と呼ばれるだけあるな」


 お会計を済ませ、退店。


 姫川の帰り道を尋ねた。どうも、方面は同じらしい。


「同じ路線だったとは初耳だ」

「活動時間と範囲が違うと、意外と会わないもの」

「どこまで送ればいい?」


 お世話係として、そして夜にいち女性を送り出す立場として、姫川の意思を確認しておきたかった。


「家のドアまで。鍵も開けて」

「わかった」


 相当だな、と心の中で思う。家の近くでさよならバイバイと考えていたのは甘かったようだ。


 同級生らに会わないよう、注意を払いつつ改札へ。エンカウントしそうになったら、距離をとって別々のことをし出す。


 通りすがりの人が事情を知れば、さぞ滑稽な光景だったろう。


「よかったね、無事ここまで来れて」

「ミッションクリアだな」

「家に帰るまでがミッションだよ」

「俺たちは遠足後の小学生か」


 号車に気をつけて、無事電車へと乗り込めた。ちょっぴり嫌な汗をかいた。


 遅い時間に乗ったこともあって、混み具合はいつもとは異なっていた。姫川と会わなければ、乗るはずのない時間帯である。


 席は空いていなかったので、ふたり並んで吊り革にぶら下がっている。


「ちょっとキツくないか?」

「問題ない」

「プルプルしてるぞ」

「武者震い」

「いったいなにと戦おうってんだ」


 よく見ると、姫川は吊り革を数本の指で支えているに過ぎなかった。足の力だけで、電車の揺れに抗おうというつもりなのだろう。足元への負担が大きそうだ。


「筋肉との戦いか」

「こうでもしないと、くっちゃね生活じゃ体が腐っちゃう」

「意識が高くていいことじゃないか」

「褒められたことじゃないと思う」

「かもな」


 停止信号です、というアナウンスとともに、電車が急停止した。トラブルではない。車間調整だという。


 急停止の影響を、姫川はもろに受けていた。バランスを崩し、よろめいた。そのまま姫川の方が、俺の方に当たった。


 これ以上倒れないようにと、そっと手をやった。


「ご、ごめん」

「いいよ。気にすることじゃない」

「実はよくこうなるの」

「筋トレの項目から外した方がいいかもな」

「気は進まないけど……その通りかも」


 ふとしてから、俺と姫川の距離感が、事故とはいえ軽くバグっていたことに気づいた。時すでに遅し。


 冷静になると、自分たちのおこないの意味するところがありありとわかる。


 さっと手を戻す。また吊り革を掴む。


「俺はあくまで助けただけだ。係の責務として」

「べ、別にうれしかったとは思ってないし。鼓動なんて早まってないし」


 ほぼ同時だった。だから、姫川がなんといったかは、ざっくりとしか聞き取れていない。


「なにか大事なことをいってなかったか?」

「いってない」

「嘘だ」

「もういってあげない」


 ふん、と姫川はそっぽを向いてしまった。


 軽く聞き取れた範囲と表情から考えると、姫川のツンデレムーブが発揮された気がする。あくまで推測の域を出ないが。


 ぜひともしっかり聞いておきたかったが、ちょっと不機嫌になってしまったから、もう一回は無理があるだろう。


「さっきより武者震い、ひどくなっていないか」

「ちゃんと吊り革に頼ってるのに?」

「心拍数でも上がってるのかな」

「……っ!」


 ビクッ、と姫川は反応した。図星なのだろうか。


「大智のバカ。アホ。最低」

「罵倒言葉の三連単か」


 軽く拳で背中を突かれた。肉体的な痛さはないが、精神的にやられる。


 心拍数というと、俺の自惚うぬぼれでなければ……いや、自意識過剰だ。俺はただのお世話係。出会ってすぐのニューカマーだ。


 電車を乗り換えても、姫川は頑なに黙っていた。それが不貞腐れているがゆえの反応だと信じてやまなかったが。


 ある瞬間を経てからは、やや疑念を抱くようになっていた。


 もしかすると、それだけではないのかもしれない、と。


「起きてるか、姫川」

「……」


 これは、もしや。


「もう駅寝過ごしたぞ」

「え、嘘っ!?」


 間抜けな声で、姫川はこたえた。


「あ、間違えた。三駅後か」

「嘘つき!」

「嘘つきでもなんでも罵倒してくれていい」


 まるで、というか確実に寝起きだな、これは。


「姫川、さっきから寝てたな」

「寝てない。休息していただけ」

「つまりは寝てたんだ」

「四捨五入すればギリギリ寝てた。そのレベル」


 姫川にもいい分があるだろうが、これに関しては寝ていた。間違いない。


「人に睡眠を妨げるのは途轍もなく重い罪だよ」

「無理に起こしたことは謝る。ただ、寝過ごしたら困るから起こした」

「そ、それは……ありがとう」


 ふだんはちゃんと寝過ごしていないのか、と尋ねてみた。


 三分の一の確率で、寝過ごすという。じゃんけんの勝率と同じだ。高いか低いかは、人それぞれの感性だ。


「いよいよだな」

「最後までよろしく」

「ああ」


 姫川の最寄り駅で降りた。そこから徒歩十分圏内でつくという。


「大丈夫か?」


 せっかく起きたのはいいが、改札をくぐってから、また眠気が襲ってきたようだ。


「見慣れた光景に安心しちゃった」

「途中で寝たら、案内できないんだが」

「最初に私の自宅、教えておく」


 スマホの地図で教えてもらった。迷わなそうな道だった。


「いくぞ」

「肩貸して」

「はいよ」


 身軽とはいえ、相手は高校生だ。赤子を背負うのと同じようにはいかない。足取りは遅くなる。


 ウトウト度数が上昇していくのを止められないので、後半に差し掛かるにつれて、歩くのが難しくなった。


「ついたぞ」

「あいあお〜」


 ありがとう、といっているはずだ。


 姫川は、残された意識の中で、俺に鍵を投げた。


「開けていいってことだよな」


 開けて、姫川を中へと入れる。かろうじてサムズアップ。このままだと玄関でひと晩眠るコースだ。


「もうこれ以上は大丈夫。ありがとう、きょうは」


 最後の力を振り絞ってか、姫川はいった。


「こちらこそ。またあした」

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