第5話 熱々の料理でお口がヤケドかも?

 メインディッシュが届いたのは、コップの中の氷が少々溶け出した頃だった。


「大智のハンバーグ、おいしそう。じゅうじゅういってる」

「ドリアもあったかそうじゃないか」


 できたてが一番だ。心も躍る。料理人としても、食べる側としても、そうだろう。


「いただきます」


 いうが早いか、スプーンを口いっぱいに突っ込んだ。


「いただきます……って、姫川。ちょっと下品じゃないか」


 無駄だった。ドリアのおいしさに取り込まれている。言葉にならない喜びの声をあげている。


 姫川は「んぅ〜」と、ほっぺたに手を当ててニコニコしている。


「おいしそうに食べるじゃないか」

「プラスの感情を表に出して食べるのが、おいしさと楽しさの秘訣だもの」

「肝に銘じておくよ」


 ファミレスの料理はもちろんうまい。だからといって、姫川のように、全身で喜びを表現する勇気はなかった。


 俺もハンバーグを味わってみる。いつもの味。それを、ゆっくり堪能してみる。なかなかにいいじゃないか。


「俺はきょう、ファミレスの新たな楽しみ方を知ったよ」

「人生は一度きり、楽しむに越したことはないもの」

「いいえて妙だ」

「だから、ゆっくり食べることにしない?」

「賛成」


 いつもより味わって食べる。その間に、近況報告と雑談を挟む。


 姫川は聞き役に徹するかと思われたが、むしろ話し役に積極的に回っていた。


 つい数時間前まで、眠りの園にどっぷり浸かっていたとは思えない。


「夜なのに元気だ」

「寝起きだし、夜型だし」

「ふたつが重なって、ということか」

「頭は一番冴え渡っていると思う」

「だから昼に眠くなると」


 これを受けて、ムッとしたのは姫川だ。


「正論は鋭い刃なんだよ!」

「致命傷だったか」

「耳が痛いの」

「これ以上はやめておこうか」

「そうしないと、耳が切り落とされちゃう」

「うまいことをいわないでいい」


 いまのは散文的で凡庸なワードセレクトかもしれないが、すくなくとも俺は気に入った。


「せっかくだし、ひと口頂戴」

「かまわないが、どうひと口にする?」


 現在、俺たちは向かい合って座っている。スプーンを伸ばすにはちょっぴり遠い。


「遠いというなら、移動すればいいだけ」


 皿をずらし、しれっと俺の隣にやってきた。これぞフットワークの軽さよ。


「この様子だと、アーンでも敢行する気かい?」

「私へのあーんは、お世話の一貫。前任のお世話係はしばしばやってくれた」

「前任は女の子じゃないか」

「着替えにお風呂にトイレとかじゃなければ、男子でも大丈夫」

「あーんは問題ないと主張なさるか」

「なにか問題でも?」


 姫川の命令は、お世話係にとって絶対のものといえるだろう。心の準備がやや不完全だが、ここは思い切ってやるだけだ。


「じゃあ、ちょーだい」

「うん」


 目をつむり、あーんと喉から声がで得ている。ここにスプーンを突っ込む。ベリーイージーなタスクだ。余計な煩悩を削ぎ落とせばオールオッケーだ。


 やっぱりこっちでもよかったな、と漏らした。


 今度は俺が姫川のものをいただく。さすがにあーんはないかと思ったが……。


「きょうは大智にもお世話になったもの」

「だな。自分でいうのものなんだが」

「だから特別に」


 おっと、これは急展開に突入するパターンではないだろうか。余計な期待と不安が引き起こされる。


「あーんのご褒美を差し上げます」

「使用人の私めが受けるにはもったいない処遇であります」

「突然かしこまる」

「王様から金銀財宝を渡されるのと同じだ。畏れ多いんだ」

「気軽でいいのに」


 こうして特別が増えていくのか。クラスの男子に知られちゃ大目玉だろう。


 ありえない、けしからん、うらやましい。この辺りが飛んできそうだ。立場が変われば、俺だっていうさ。


 口を開いて構える。


「へぇ、大智ってそんな顔もするんだ」

「どういう意味だ」

「あーんってキスみたいだから」


 危うく吹きそうになった。


「キス顔とでもいいたいか」

「その……個性は尊重するよ」

「遠回しどころかストレートな悪口だな!」

「お黙りっ」


 有無をいわせず、スプーンが突っ込まれた。ピークを超えただろうが、ホッカホカである。熱すぎるのをスルーすれば、間違いない味だ。


「口内は火傷やけど寸前だ」

「そんなに熱い?」

「地獄の業火といい勝負だ」

「大袈裟。私はなんなく食べられたもの」

「熱さのセンサーが狂ってるんだな」

「猫舌」


 俺が猫舌とは認めがたい。いままで指摘されたことがないからな。あんなに湯気があがっているのに、パクパク食べる姫川がおかしいのだ。


「じゃあ試してみるか」

「大智があーんするの?」

「ご名答」


 ターン制バトルのように、あーんの順番が変わる。今度は俺があーんする番だ。ドリアをさらって、口に突っ込む。


 そんなものか、と涼しい顔をしていた姫川だったが、雲行きは怪しさを増す一方だ。頬が熱くなり、眉がひそめられる。


「絶対熱かっただろ」

「熱くない」

「熱かったな」

「熱くない」

「意地を張ることもないだろうに」

「揺るがぬ事実だも……はぅっ」


 ふー、ふー、としきり息を吐き出した。近くのコップを、渇望するように掴み、水を喉に流し込んだ。


「ぷはぁ」

「やっぱり熱かったんだな」

「私はそうは思わないのだけど」

「体は正直じゃないか」

「つ、次は負けないから」

「なにと戦っているんだよ」


 おそらく、意地との戦いだったに違いない。素直に熱いといえばよかったものを。


「どうしよう、これで口内炎になったら……」

「自を通そうとした、名誉の負傷じゃないか」

「そういうことにしておく」


 口内プチ火傷やけど事件は、かくして幕を閉じた。


 姫川は、熱いものがお好きらしい。最初は熱さを楽しめるが、結局は体が反応してよく口内炎を煩うという。とんでもないおバカさんと自称していた。これに関しては同意せざるをえなかった。

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