第4話 ファミレスで会話を楽しむふたり
姫川のいう通り、この部屋には誰も来なかった。
近くを通り過ぎる人はちらほらいたが、こちらには目もくれない。
それをいいことに、姫川は深い睡眠を享受していた。僕に対する警戒心はかけらもなさそうだ。
「姫川ってほんといい寝顔をするよな……」
あだ名に「姫」とつくだけある。これじゃあまるで、眠れる森のなんたらだ。
「寝顔こそ至高」などという、新たな性癖の扉をこじ開けてしまいそうだ。姫川には、そうさせるだけの力がある。
「……なにかいった?」
「いいや、ひとり言だ」
「なんだか気分が晴れやか」
「聞こえてたのか?」
「なんのことかしら」
どうでしょう、とでもいうように、はぐらかす。
「ぐっすり眠っていたらしいな」
「安心できたから」
「なによりだ」
まぶたを擦り、座ったままうんと背伸び。眠気を飛ばしている。
三回ほど深呼吸をして、姫川は次の言葉を紡いだ。
「お腹空いた」
いうが早いか、姫川のお腹がキュルキュルとかわいらしい悲鳴をあげた。
「だいぶ空かしてるじゃないか」
「そろそろ夜だから。生理的現象」
現在六時を目前に控えている。高校が閉まる時間は、もうすぐだ。
六時前とはいえ、まだ明るい。冬であれば、もう真っ暗な時間だろう。
「はやく家に帰るしかないな。閉校時間と、姫川の空腹を考えれば」
「空腹は無理。自宅まで持ちそうにない」
「なら外食か」
「うん」
綿密な作戦会議が必要な事態になった。いますぐやりたいところだ。
「まずはここから出ないとだな。走るぞ」
蛍の光が流れ出した。お店の閉店時間を伝えるあの音楽だ。
部活の練習が長引き、六時をまわってから門を出る生徒もすくなからずいると聞く。
僕らはただの帰宅部だ。たいした理由もなく、六時を越えるのはよろしくない。
「やっぱりまだ眠い」
「走れないか」
「フルはきつい」
「いや、途中まででいい」
「頑張ってみる」
大きく深呼吸をすると、かろうじて姫川は歩き出した。
「いくぞ」
「うん」
僕が先陣を切って、階段をリズムよく降りる。姫川のスピードはやや遅い。俺が何度か振り返らないと見失ってしまいそうだ。
「もうちょいゆっくり」
「そうしたいのは山々だが、時間が時間だ」
「じゃあ、こうする」
姫川は俺の左手をギュッと握った。
「これなら私を引きずってでも前に進める」
「姫川を物扱いする気はないよ」
「そうだとしても、私は引きずってもらいたいの」
「お安いご用だ」
こうして女の子の手を引いて走ると、式場から花嫁を強奪している気になる。小説の読みすぎだ。
だとしても、姫川は輝いて見えた。俺の中のヒロインのように思えた。
「楽しいか?」
振り返ってたずねる。姫川はイタズラっぽく頬を緩ませた。
「楽しい。退屈な授業よりずっと」
「お世話係の特別補習だ」
「あら、家庭教師までやってくれるの」
「俺は教えてもらうことの方が多いだろうよ」
下駄箱までは一瞬だったのだろう。俺の中では、永遠の煌めきを放ち続けるだろう。
ここから先、部活動上がりの生徒とぶつかる。恋人でもないのに、手を繋ぐだけの勇気はない。
しれっと紛れ込んで、そそくさと門を出る。そして、適当な店で夕飯を済ませる。完璧な作戦だ。
「あくまで他人らしく振る舞えばいいんでしょ」
「数分の間、数日前の関係に戻るだけだ」
「簡単そうにいうんだね」
「簡単にやりたいからな」
ふだん見慣れないメンツが、門をくぐるのだ。怪しまれないとはいい切れない。自意識過剰かもしれないが、慎重にやりたい。
頃合いを見て、俺たちは歩き出した。
ふたりは他人である。そう思い込んで、しれっと門を抜ける。指定したルートを通り、人だかりを避ける。合流を果たす。
「……たいしたことなかったね」
「成功したからいえるんだ」
「そういうものね」
食事を決めるべく、作戦会議に入る。
話し合いの結果、駅から遠めのファミレスになった。駅近のファミレスは多々ある。わざわざくる人も、そう多くはないと踏んだ。
案の定、店内には同じ高校の人がちらほらといる程度だった。そういう人たちの視線をかい潜り、目立たない席を選ぶ。
「お忍びみたい」
「確かにな」
「なんせ使用人もいるもの」
「生々しいな。お世話係だ」
「いまは使用人って呼びたかったの」
「朝三暮四も極まれりだな」
まずはメイン。俺はハンバーグ。姫川はドリア。
次にドリンク。俺はジンジャエール。姫川はメロンソーダ。
「そんな食べるんだ」
「食べ盛りの男子を舐めちゃ困る」
「夜に暴食すると太るのに」
「体質的に太りにくいんだ」
「全女子の嫉妬を買うセリフね」
「……気をつける」
さらっとたしなめられた。代謝も体重トークの範疇だったようだ。女性に体重の話題はタブーだとは知っていたが、甘かった。
飲み物が先に届いた。メロンソーダにはアイスがちょこんと乗っている。よくあるタイプのやつだ。
アイスを溶かしつつ、姫川はメロンソーダを堪能した。ご満悦だ。
「好物なのか」
「たぶん」
「そりゃなんとも曖昧な」
「これしか頼まないし、頼もうと思わない」
「なかったらどうするんだ」
「水で我慢する。コーラや紅茶で妥協しない」
こだわりが強いらしい。お世話係をしていくうえで、飲み物には気をつけた方がよさそうだ。
「そういう大智はジンジャエール」
ひと口飲む。炭酸が喉を潤すのが爽快でたまらない。
「やっぱりこの味だよ」
「好物なんだ」
「ああ。俺と同じことを聞いてるな」
「大智の真似」
意図をはかりかねて、俺は姫川をじっと見つめてしまった。
「大智、これはなんの真似?」
「あ」
気づいたときには、ガン見している様相を呈していたようだ。きまりの悪そうな姫川がいた。
「新手のお世話係術?」
「やめろ、変に気を遣われると困るんだ」
「新時代なのね」
「二度刺すこともないだろう!」
メインディッシュも来ていないのに、俺たちは静かに盛り上がりを見せるのだった。
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