第3話 十秒で眠れるクラスの姫川

 俺は授業終了の五分前になって、ようやくグラウンドに出た。当然のように、体育教師から怒られた。


 体調が微妙な上に、場所がわからなくて、などと弁解をした。残念ながら、聞き入れてもらえなかった。


「ちゃんとルールを守ってくれ。無断遅刻はもしものときに困るからな」


 ……というのが、体育教師の言葉であった。


 正論だ。以降気をつけると伝え、その場を丸く収めた。


「実際のところ、どういう理由だったんだ?」


 問われたが、のらりくらりと避けた。友人には、嘘だと見抜かれていた。


「人生、サボりたくなる日がある」

「へー。お前、珍しく不真面目だな」

「不真面目でも結構だ」


 罪悪感はあったが、思ったより薄かった。


 対して、眠り姫こと姫川。


 まったく怒られなかったという。遅刻と欠席が当たり前になりすぎていて、勘繰られることもないらしい。


「習慣っていうのは恐ろしいな。同じことをやっても、俺はきちんと叱られた」

「日頃の行いがいいからだよ」

「そうだとありがたいんだが」

「まぁ、私は日頃の行いが悪いから怒られずに済んだけどね」

「ひと言余計だ」


 放課後。


 俺たち以外、誰も残っていない教室で……というのは危険を伴うのでやめておいた。


 選ばれたのは、選択教室だ。ホームルームでは使われない、授業や部活のためだけに使われる。


「やっぱり、ここって穴場なのよね」

「らしいな」


 本当に人が来ない。彼女は放課後、よくここで眠るらしい。


「誰か来たことはあるのか?」

「ときおりね。だいたい放っておいてくれる。私がよく眠るのは、学年を越えた周知の事実だから」


 眠り姫の愛称は、よその学年でも使われているのかもしれない。


 先輩や後輩の口から発せられたのを、いくらか見たことがある。


「ここなら、なにをしてもバレない。なにをしてもね」

「誤解を招く発言はよせ」

「安心して。お世話係にしかいわないから」

「おいおい」

「だって、お世話係に不義は起こせないでしょう?」

「理屈がなっているのは認めよう。が、俺じゃなきゃどうされるかな」

「残念な人。私に魅力を感じないのね」

「とぼけるな」 


 やれやれ、と俺は肩をすくめた。姫川は理論的だ。しかし、他の人間もそうとは限らない。


 往々にして非論理的な行動を起こすもの。自分の思うままにすべてがなる、というものではない。


「こうやって会話がヒートアップしても、誰も気づいていないでしょう」

「本当だ」


 事実だった。本当に誰も来ない。かなり大きく、抑揚をつけた声となっていた。


「さしあたり、私たちはここで会いましょう」

「クラスだと厄介だしな」

「関係をいろいろと詮索されるたくはないものね」


 俺と姫川の間では、お世話係の話がついている。クラスメイトは、そんなの知ったことではない。カップルなのかと誤解され、眠り姫ファンから嫉妬される。そんな面倒ごとは御免だ。


「仮にだが、クラスメイトにバレたらどうする」

「お世話係だってこと?」

「それに類することも含めて」


 うーん、と姫川は考えるそぶりを見せる。


「バレてしまえば、弁解の余地もないと思う」

「身も蓋もないな」

「たらればを語っても仕方ないじゃない。そのときはそのときよ」

「臨機応変に対応しようってか」

「それ以外にどうするの?」

「だな」


 こうしてふたりでいることに、ドキドキする。姫川のかわいさと、誰も来ないであろう密室という組み合わせがいけない。


 変な気は起きないが、起きるやつもいかねないシチュエーションだ。


「話は決まりね。大智は私のお世話係代理を務める。クラスメイトにバレないように。試用期間ってやつかな」

「試用期間、か」

「働き次第では、お世話係への昇進もある」

「無給労働に変わりはないじゃないか」

「それはそうだけど……私と一緒にいられることが、プライスレスの報酬ってことで」


 願ってもない幸運かもしれない。いささか傲慢である気がするけど、間違いではない。


 お世話係にならなければ、姫川は眠り姫という印象しかなかったわけだ。本性を知ることはなかった。お世話係代理を務めることで、ある種の特権を得たわけである。


「姫川の言を飲もう」 

「いやいやみたい」 

「無給労働を正当化されたことへの、ささやかな抵抗さ」 

「ささやかでよかった」


 いって、姫川はあくびをした。おねむの時間らしい。


「君と話していたら、なんだか眠くなってきたよ。あ、君の話が退屈という意味ではなく」

「なによりだ」

「ともかく、健康維持のために眠る。緊急事態でもない限り、起こさないで」

「わかった」


 おやすみ、といってから、本当に眠るまで。


 わずか十秒。


 いびきをたてて眠り出した。かわいげで、かつ小さないびきである。


「ほんとに寝てるのか……?」


 ちょっと小さく呼びかけてみたり、いろいろやってみたりした。


 反応なし。眠ったフリをしているわけではない。


「すごいな。特殊能力じゃないか」


 思わずいってしまった。


 さすが眠り姫と呼ばれるだけある。ここまでの速さなら、ギネスを狙えそうだ。


 することもないので、寝顔を拝んでおく。これはあくまで、お世話係としての義務だ。義務だからな!


 自分にいい聞かせる。でないと、なんらかの罪に問われそうな気がする。


 口を開けば生意気なところが目につくが、こうして無力な状態を見ると、ふつうの女子高校生だと再確認させられる。


 眠り姫は他の人とは違うからと、神格化したり、別格の存在としてとらえたりしていた。


「くだらなかったな」 

 

 お世話係だろうとなんだろうと。


 これから姫川という人間を知っていくことが、楽しみである自分がいた。

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