第2話 大智、体育の授業をバックれる

 俺も姫川も着替えが終わり、教室に集まった。


「ありがとう、お世話係を引き受けてくれて」

「たいしたことじゃないよ」

「ふふふ、それはどうかな?」

「なんで姫川が偉そうなんだ」


 遅刻が確定したことで、変な余裕が生まれていた。授業時間に突入したが、雑談をしていても罪悪感がない。


「お世話係、思ってるより大変かも」

「初日からビビらせないでくれ」


 お世話係といっても、具体的になにをするのか。


 そこのところ、よくわかっていない。読んで字の如く、眠り姫のお世話をするのだろうか。


「五時間目の授業は男女別。だから、大智はここまでで大丈夫」

「着替えもできるもんな」


 すこし生意気さが鼻についたので、仕返しで意地悪をしてみる。


「いつまで引きずるつもり?」

「たかだが十分前のことじゃないか」

「他の子にやっても嫌われるから気をつけて」

「嫌われちゃったら、もうお世話係をやめるしか……」

「それはダメ。やめるなら切腹の方がまだ男らしくていい」

「もっと最悪の条件じゃないか」


 やめる方がマシな気がする。切腹したら自動的にお世話係をやめることになるんじゃないだろうか。


「切腹は殉死。名誉ある死を迎えることができる。お世話係としての名誉だよ」

「俺は武士じゃない」

「日本男児にはサムライスピリットがあるはずだよ?」

「だいぶ謎理論だな」


 俺たちはなにをしているのだろう。ふと冷静になる。


 本来なら、いまは体育の時間。チャイムを聞いて諦めの境地に達したせいで、無駄話にかまけてしまった。


「……ところで姫川。体育の授業はいいのか?」

「どうせ遅刻だし、まだ話そうよ。見学するってなっても、いつものことだし」

「呑気なこった」

「だってルールを守るだけがすべてじゃないもん」


 突っ込む余地のある考えだが、全否定できるものではない。


 我が高校はテストで内申点の大半が決まるため、極論テストさえできればよい。授業を熱心に聞こうと聞くまいと、結果がすべてだ。


 授業の大半を睡眠に充てる。体育はほとんど見学。


 これらは、オールマイティーな姫川だからこそ許されるやり方だ。良い子は真似しないように。


 道徳とか倫理とか、大事なものを失いそうだ。


「あまり出会ったことないタイプだな、姫川は」

「大智もだよ」

「俺?」

「私のやり方を認められなくて、否定してくる人がたくさんいる」

「うん」

「たいていは怒ってくるの。もっとまともにやれって。大智はいわない。だから、珍しいなって」


 口に出していないだけで、姫川のやり方にすこしは違和感を抱いている。


 完全に共感したわけではない。説明を聞いて、納得できる部分だけ飲み込んだ形だ。


「珍しいとなると、俺は変人ということになるのかな」

「自覚がなかったとしても、そう見られてもおかしくないと思う。私と同じで」

「姫川と同じ、か」

「違う点でいうなら、飛び抜けた才覚が……その……」

「それ以上はいい。俺とてわかってる」


 残念がら凡才だ。凡才未満かもしれない。テストもスポーツも恋愛も、軒並み平均ライン。

 

 いわば普通の男子高校生。


 モブなのだ。


「意地悪の仕返しだよ」

「いけない風潮ができてしまったな」

「嘆くことはないわ。なくすも続けるもあなた次第」

「なるほど、他力本願とはこのことか」

「いいえ、お世話係の努力目標よ」

「姫川は言葉遊びがお好きなようだな」


 よくわかってるじゃない、と姫川は喜んだ。手を口元に近づけ、ふふふと笑った。洗練された仕草だった。


「言葉遊びは楽しい。お世話係も、私はいい言葉だと思う」

「パシリや使用人って感じがしないから?」

「そう。生き物係や図書委員と同じ。生徒としてお世話の義務を果たしてね、ってちょっと軽い感じになるの」

「言葉とは便利で恐ろしいものだな」

「ええ。言葉は刃物。活かすも傷つけるのも使い手の腕次第だものね」


 こうして話していると、姫川は頭がいいのだと感じる。話し方から、知性が見え隠れする。落ち着くトーンの声だ。


 ふだんは寝顔しか拝めないわけだから、どこか抜けている印象があった。


 そのため、こうした姫川の一面は、俺にとって意外なものだった。


「もう、体育の授業はいいの? 急いでいたでしょう?」


 今度は姫川が尋ねた。


「なんだかどうでもよくなってきたんだ。俺はあまり野球やソフトボールがうまくない。仮に行かなかったとしても、後悔することはないかなって」

「私の影響をモロに受けてる」

「流されやすいともいえるな」

「それって自己分析?」

「残念ながらその通りだ」


 凡人にとって、姫川はもっとも悪影響しかない相手かもしれない。


 まともな人間であれば、姫川とは関わり合いになりすぎないよう心がけるべきだろう。


 もはや距離を置くのは不可能だ。なにせ、俺は姫川のお世話係なのだから。一時的なものとはいえ。


「じゃあ、きょうはサボるんだ」

「俺たちは急きょ体調を崩し、体育に行けなかった」

「理由をでっち上げるのね」

「体裁ってものが必要なんだ」


 授業をサボる、バックれる。


 俺こと佐久間大智は、終わっている高校生への道へと足を踏み入れてしまったのかもしれない。


 ここから続くのは修羅の道。引くに引けぬ、地獄への片道切符を手に進む。


 もう授業なんていいや、と思うと、晴れやかな気持ちでいっぱいになった。


「姫川が独自のやり方をを貫く理由、わかったかもしれない」

「知ったような口を利くんだね」

「訂正、理由の一端に説明がつくかもしれない、と朧げながら思っている」

「その心は?」

「ルールに囚われないって、実は楽しい」


 いうと、姫川は俺に手を差し伸べた。握手を求めているらしい。


「――ようこそ


 俺は黙って手を出した。軽く握って上下に振る。


 この瞬間、俺は終わった高校生サイドに堕ちたのである。


 ……偉そうにいえることではないね!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る