第144話 イタリアン『HAYASE』
数日、家のダンジョンに篭っているうちに、市のダンジョンではスメラギの攻略が始まったようだ。
101層までの地図はギルドで保管されているはずなので、迷う心配はない。私は地図を見たことがないので、100層到達までどれほどの日数がかかるか見当が付かんが、ないよりはるかに早い攻略となるだろう。
ギルドに到達層の認定を受ける際、『白地図』を使って描き取られた地図の提出が義務づけられている。認定を目指す者たちは、自分用と提出用の2枚を持って攻略に望むのだ。
出来上がった地図には【鑑定】を使うと、使用者の冒険者名と『白地図』を使った時間、ダンジョンから出た時間が記されている。獣牙皇帝龍天魔王くんが吐血しそうな顔しておった。
初対面では自分の名前に格好いいという絶対の自信があったようなのだが。まあ、フルネームで活躍していたら、いたいけな少年少女が似たような冒険者名をこぞってつけていたかもしれん。
ヤツが視察する時は大抵なんか連れているので、それに『白地図』を持たせて解決したようだが、非公開での深層攻略時に政府に提出する地図からは逃げられないのだ。
そういうわけで、少なくとも公表されている到達最深層まではギルドに地図があるはずで、『政府の勇者』の視察ではその提供が求められる。
なお、市のダンジョンは19層までは地図を無料で公開しており、それ以降は冒険者間での情報の売買を邪魔しないよう無料での公表は控えている。
相場的には攻略者がそこそこいる50層までは、隅々まで描かれた地図でもそこまで高額にはならない。『手書きの写し』は信憑性が低くなりさらに安い。少しお高めだが、ギルドの地図を求める者もいる。
とりあえずスメラギが帰って落ち着くまで市のダンジョン内と『ダンジョンの駅』で買い物は極力控えよう。無駄に混雑が予想される。
個人ブースエリアは入り口も違うのでそこまでではないのだが、近づかないのが無難だろう――と、思っていたら鷹見さんからお誘い。
スメラギがダンジョンの攻略中で手が空いたのだろう。イタリアン『HAYASE』で打ち合わせである。打ち合わせだ。
混雑もなんのその、出かけるに決まっている。私の行動範囲の隣が混んでるような状態で、すり抜けられるしな。
市のダンジョンに車を置いて、鷹見さんと待ち合わせて移動。目的が目的なので、タクシーだ。いや、目的は食材の活用先についての打ち合わせだが、ワインの試飲がついてくるのは仕方がないのだ。
――『HAYASE』ももう少し近いとありがたいのだが。
道から見える看板が暗い。駐車場に入り車から降りると、植栽を照らすのを兼ねたアプローチの明かりはついているが、看板の照明は落としているようだ。
closedの表示のかかった扉を鷹見さんが構わず開ける。本日は臨時の店休日にしてくれたようで、他の客はいない。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、本日はよろしくお願いします」
オーナーシェフの早瀬さんが迎えてくれる。
「こちらこそよろしくお願いする」
カウンターには事前に運び込まれたワインが並んでいる。
すでに『HAYASE』と『ODA』での酒類の確認は了承しているのだが、今日も色々なワインが供されるはずである。確認作業に私と鷹見さんも参加するのである。
店の中には、ギャルソンが2人と早瀬さんより少し上の女性シェフ。
料理のことはともかく、あまり個人的なことは話さないので――私がそういった会話に持ってゆく技術もなければ必要性も感じないので、本人たちにはっきり聞いたわけではないが、シェフはお姉さん、ギャルソン2人は学生時代からのバイトでそのまま就職したらしい。
「聡太、案内を」
「はい。どうぞこちらへ」
早瀬さんが言うと、聡太と呼ばれたギャルソンの一人が先に立つ。
もう1人は風花だったか。女性男性1人ずつだが、制服は一緒、黒いパンツに黒いベスト、白いワイシャツ、黒いネクタイ。
さて酔わないうちに打ち合わせである。が、風花によって、アンティパストとワインが運び込まれてしまった。
トマトのカプレーゼ、海藻を練りこんだ小さなピッツァ生地を揚げたもの、ナスをメインにした夏野菜のカポナータ、キッシュ、各種生ハムが全て一口サイズで大皿に盛られている。
「乾杯」
「乾杯」
飲み始める、いや確認作業を始めるしかないのである。
「『翠』ではどうも。なかなか時間が取れずに申し訳ない」
「いや、接待お疲れさまだ」
『翠』で会った鷹見さんは、酔うどころかネクタイを緩めてもいなかった。あまり楽しくはない食事だったのだろう。
あれは会議室にでも放り込んで、プロテインバーでも出しておけばいいのである。
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