第134話 『翠』でランチ

 『翠』で昼。


 車は店の搬入用の駐車場に入れさせてもらった。クーラーボックスで『若狭のグジ』『石巻の鯖』『小倉の大葉春菊』『浜松のウナギ』『静岡の山葵』と、食材のサンプルを持ってきたので。


 あと酒。


 事前連絡済みだったので、私が車を停めてゴソゴソやっていると和人さんが出てきた。


「台車を持ってきました」

「ありがとうございます」

「こちらこそ」


 和人さんの持ってきた台車にクーラーボックスと酒を積み、裏から調理場に入る。暖簾を出す30分前。


 ちょうど仕込みを終え、客を迎え入れる前に自分たちが昼を食べ終えた時間のようで、もしかしなくても休憩時間を短くさせてしまったかと少々申し訳なく思う。


「おお、山葵か」

関前さんが笑顔。


 『翠』は刺身を出すことも多いので、山葵は喜ばれるだろうなと予想はしていたが、実際喜んでいる顔を見るとほっとする。


「うなぎは和人、おろせるな?」

「はい」

「白焼きにして、山葵で」

「はい」

「甘鯛はどうするか。昆布締めは時間がかかるな」

「松笠揚げは?」


 関前さんと和人さんが料理方法について短く検討している。私の方に一度視線が来たのは、おそらく昼に出せる調理時間の短いものを検討しているのだと思う。それを楽しそうに見ている菜乃葉さん。


「滝月様、今日は2階でいいですか?」

「はい、もちろん」

関前さんに言われ、了承する。


 『翠』のランチは3種類の定食から選ぶ、先ほどの様子では私にはランチメニューにないものが出る。


 2階は4、5人で入れる和室3間で、襖を開けて繋げて使える部屋。昼は開けないのだが料理が違うのでランチ客とは部屋も違える、ということだろう。


「酒はどうしましょう?」

「車ですし、今日は控えます」


 今日は控えるもなにも朝っぱらから飲んでしまった後なのだが。


 2階に案内され、いつもとは違う座敷に一人。外は古めのビルが立ち並ぶよくある通りだと分かっているが、障子に透ける陽とまだ新しい畳がこの部屋を日常の雑多なものから遠ざけている。


 2階の客は私一人だと思うと、さらにだ。


「ランチはどうしますか? Aは刺身、Bは焼き魚、Cはお肉です。――お魚はつくと思いますよ」

明るく笑う菜乃葉さん。


 ランチとは別に先ほど届けた魚が出ると言うことだろう。


 菜乃葉さんの笑顔は裏表がなく、明るく爽やかな印象。きびきびと元気よく動くが、粗雑さはない。和装なので動きが制限されとるだけかもしれんが。


「Cで」

注文を聞いてきた菜乃葉さんに答える。


 承りましたの声を残し、部屋を出てゆく菜乃葉さん。また暫し一人の空間、今度は座卓の上に茶とおしぼりがある。


 本日のランチCはサーロインステーキの柚子胡椒添え。夜はお高い肉になるが、ランチはダンジョン産のお手頃な肉が使われる。


 大きな皿にサラダとメイン――刺身の時は皿が分けられるが――、小鉢が2つに漬物の載った小皿、飯と汁物、最後に小さなデザートのセット。メイン以外はほぼ共通のセットである。


 小鉢の一つに酢の物が2種おさまっている。新蓮根の白に鷹の爪の赤の対比、そこに濃い緑のワカメの酢の物。ワカメは塩漬けではなく生のようだし、おそらく私のダンジョン産だ。


 夏の蓮根はみずみずしく、さくりといい歯応え。秋から冬になると今度はほっくりとした食感に変わってくる、酢蓮根にするなら今の時期の方が好きだ。


 脂が強めの肉に柚子胡椒をつけて口に運ぶ。こちらも安い肉をおいしくする料理、家でもやろう。


 大根と鰤のアラ煮の小鉢をつつき、飯を頬張る。下から微かに声が聞こえるようになったので、開店したのだろう。


 飯の終盤、声がかかり襖が開けられ、追加の皿がきた。


「甘鯛の松笠揚げと、ごま鯖です。ごま鯖は少し漬かりが弱いかもしれません。ご飯のおかわりは?」

「お願いします」


 『若狭のグジ』のグジは甘鯛のこと、松笠揚げは鱗が逆立って松ぼっくりのように見える。


 添えられたレモンを絞り、口に運べばパリパリとした鱗にふんわりとした白身。酒、酒が欲しい。


 ごま鯖はゴマだれに漬けられた鯖が海苔に埋もれている。漬け込みの時間を短くするためか、薄く切られた鯖を2、3切れまとめて箸でつまんで口に運ぶ。


 酒、酒が欲しい。


「失礼します。お茶もお変えしますね」

ご飯と新しい茶を置いて、きたと思ったらすぐに出てゆく菜乃葉さん。


 今日もランチタイムは盛況のようだ。


 何故私は酒でなくご飯のお代わりを頼んでしまったのかと後悔しつつ、完食。2品とも少量に抑えられていたが、流石に少々苦しい。


 その苦しいところに蒸して焼き上げられたウナギの白焼き。美味しいから入ってしまうのだなこれが。


 調理場経由で裏口から帰る。帰り際、「家で食べてください」と、重くなったクーラーボックスを返却された。


 運動、運動しなくては。

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